第27話 あの頃の二人


「大体、こんな男のどこがいいんですか?」

「え!?」


 こんな男──そう言われ、結月は目を丸くする。これは、つまりのことを言っているのだろうが


「え、でも、その小説の執事が、五十嵐に似てるって、クラスの人が」


「…………」


 昼間、有栖川に言われたことを素直に告げると、レオは、なんとも言えない複雑な表情を浮かべた。


「え? 俺、こんな四六時中、発情してるような男だと思われてるんですか?」


「あ、いや、じゃなくて……その、仕事ができるところとか、見た目とか雰囲気とか、あと、物静かでミステリアスなところとか、なんだか似てるなーって」


 酷く心外そうな顔をした執事に、結月が慌てて弁解すると、レオは再度、その文庫本を見つめた。


 物静かで、ミステリアス??


「ふ、ははは……! 俺、そんな風に思われてるんですか?」


「……!?」


 すると、思いもよらぬ印象を告げられ、堪えきれなくなったらしい。レオが、肩を震わせ笑い出した。


 だが、その表情は、まるで少年のように屈託のない表情を浮かべていて


(……五十嵐って、こんな風に笑うことあるのね)


 普段からは想像もつかない姿に、結月は呆気にとられた。


 いつもは事務的な会話しかしないからか、笑っていても穏やかなもので、こんなふうに声を上げて笑うことがあるなんて、思いもしなかった。


 それに──


「五十嵐って、普段はって言ってるの?」


「え?」


 いつもの「私」言葉ではなく「俺」と言った、その一人称が気になって、結月が首を傾げる。すると、レオは


「あ……、申し訳ありません。つい」


「いいのよ。別に、怒ってるとかじゃないの。ただ、私言葉よりも俺って言ってる方が、なんだかしっくりくるなって……おかしいわね? 初めて聞いたはずなのに」


「…………」


 結月が不思議がりつつも微笑めば、その瞬間、レオは目を見開いた。


 あの頃と変わらない、優しげな笑顔。

 昔、よくこうして二人は並んで話をしていた。


 くだらない話をするレオの言葉を、結月はいつも興味津々に聞いていて。だけど、結月は、そんな二人のことを、今は何も覚えてなくて……


「お嬢様は……誰かを好きになったことはありますか?」


「え?」


 思わず、喉をついてでた言葉。


 脳裏には、自分の名を呼びながら駆け寄ってくる、結月の幼い日の姿が過ぎった。


 思い出してほしい。


 また、あの頃のように『レオ』と、名前で呼んでほしい。


「そんなの、あるわけないでしょ」


 だが、淡い期待を込めたレオの言葉は、あっさり打ち砕かれた。


 あるわけない。それは、誰も好きになったことなどないと、強く否定する言葉で、そして、その言葉に、レオは、これでもかと胸を締め付けられた。


「五十嵐も聞いてるでしょ? 私は将来、この阿須加家を継がなくてはならないの。だから、身も心も全て、生涯夫になる方に捧げなさいと言われています。だから、もし、私が誰かを好きになるとしたら、お父様に選ばれた、その『婚約者』だけだわ」


「…………」


 悟りきったように呟いた結月の言葉を聞いて、レオはそっと目を細めた。


(本当に、何も覚えてないんだな。俺たちのこと……)


 期待してはいけない。

 そんなの、よくわかっていた。


 だけど、『しっくりくる』と言ってくれたその言葉に、もしかしたらと、淡い期待を抱いてしまったのは、例え記憶をなくしていたとしても、変わらない『何か』があると、信じたかったのかもしれない。


「それより、どうしてそんなこと聞いてくるの? お父様に『聞いてこい』とでもいわれたの?」


 すると、結月がまた問いかけてきて、レオは再び目を合わせると


「いえ、そういうわけではありません。ただ……」

「ただ?」


 きょとんと首を傾げながら、こちらを見上げてくる結月。その姿をみて、レオは、その後またニッコリと微笑み


「意外とお嬢様みたいな方に限って、こっそり男となさっていた可能性もあるかもなー……なんて?」


「なっ!?」


 沈んだ空気をやわらげるかのように、レオが笑ってそういえば、結月は再び顔を赤くした。


「あ、逢引って!? ありません!! そんなこと神に誓ってもありません!」


(うわ、神に誓っちゃったよ)


 神に誓えるほど、見事になかったことになっているとは、さすがに泣きたくなってきた。


 だが、顔を真っ赤にして、恥じらいながらも怒る結月は、今日見た、どの表情よりも可愛らしくて


(まぁ、いいか……)


 たとえ、今は思い出せなくても、少しずつ少しずつ、ゆっくりでいい。


 もし、二人の出会いが、運命なのだとしたら、きっと、またいつの日か、二人同じ『夢』を見ることができるはずだから……


 レオはそう思うと、ベッドから立ち上がり、手にしていた文庫本を机の上に置く。


「お嬢様、もう読書の時間はおしまいです。明日も早いですから、そろそろおやすみ下さい」


「あ、そうね」


「はい。では、おやすみなさいませ」


 ベッドに座る結月に、レオは頭を下げると、その後、再度戸締りを確認して、部屋の扉の方へ歩き始めた。


「あ、そうだ」

「?」


 だが、扉の前までくると、レオは一度足を止め、改めて、結月の方へと振り向き


「もし、がしたくなったら、いつでも仰ってくださいね。お嬢様が満足されるまで、私がお相手致しますので」


「……へ?」


 不意に放たれた言葉に、結月は首を傾げる。

 小説と、同じ──?


「ッ!!?」


 だが、その意味に気づいた時には、もうレオの姿はなく


「もう、だから、違うって言ってるのに!!」


 しかも、これから眠ろうという時に、再び小説の官能的なシーンを思い出してしまう、一度収まった身体が、再び火を噴くように熱くなる。


 そして、赤らんだ頬を両手で覆うと、結月は、先程のレオの言葉を思い出した。


 ──私を、愛してください。


 その言葉は、ひどく耳に残っていた。


 手袋越しに握られた手の感触は、とても男らしいもので、小説の真似事として紡がれたはずのあの声も、本気かと思わせるほど、酷く艶やかな声だった。


 だけど、真っ直ぐに見つめるその瞳が、なんだか、とても寂しそうで──


(っ……どうしよう。これじゃ、眠りたくても眠れないじゃない……っ)




 ✣


 ✣


 ✣




 そして先程、去り際に、なぜレオがあんなことを言ったのかというと


(結月のやつ。このまま、俺のことだけ考えて、眠れなくなってしまえばいいのに)


 散々メンタルをえぐられたせいか、少しだけ仕返しをしたくなったからだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る