第26話 愛してください


「お嬢様、私を愛してください」

「……え?」


 結月の手を引き寄せると、レオは、手の甲に口付けた。


 突然のことに、手を振りほどくことも忘れ、結月は、ただ呆然と、その光景を見つめる。


 愛してください──そう言って口付ける姿は、まるで絵本の中の王子様か、忠誠を誓う騎士のようだった。


「私は、この世界の誰よりも、お嬢様を愛しております。ですからどうか、お嬢様の全てを私にください」


「ん……っ」


 すると、夜も更けた静かな室内に、また声が響いた。


 掴んだ手を決して離さず、まっすぐに見つめる瞳は酷く欲情的で、触れるか触れないかで伝う唇が、どこかくすぐったい。


「あ、五十嵐……ッ」


 今まで経験したことがない感覚。

 それに戸惑いつつも、結月の身体は素直に反応する。


「大丈夫ですよ。全て私にお任せ下さい」


「な……なに、言って」


 すると、執事が優しく微笑んだかと思えば、その唇は、手の甲から、手首ヘと移動しはじめた。


 まるで聴覚を犯すように、熱い唇がリップ音を奏でる。


(んっ……あ、これって)


 すると、その瞬間、結月は小説の中の、あるワンシーンを思い出した。


 今、執事が言っているその言葉は、"小説の中の執事"が告げた言葉と、全く同じものだった。


(もしかして……小説のマネをしてるの?)


 そのシーンをしているのだろうか?

 それに気づいた結月は、頬を真っ赤にする。


 小説の中の執事は、お嬢様の前に膝まづいたあと、甘く囁き、その手の甲にキスをした。


 そして、そのキスは、次第に手首へと移動し、ゆっくりと二の腕、首筋へと口付け、そして、最後に唇を奪った執事は、そのままお嬢様をベッドに──


「い、五十嵐!?」


「はは、冗談ですよ」


 瞬間、結月が切羽つまった表情でレオを見つめれば、レオはさっきとは一変、ニッコリと笑って、その手を離した。


 掴まれていた手が自由になれば、結月は握られていた手を胸の前で合わせ、ぎゅっと握りしめた。


(び、びっくり……した……っ)


 一瞬、本気なのかと思った。


 私を愛してください──そう言ってみつめる瞳が、あまりに真剣だったから。


「少しは、ドキドキしましたか?」


「……え?」


 すると、結月の前に膝まづいたまま、執事がまた話しかけてきて


「か、からかうのはやめて……どうして、そんな意地悪ばかりするの?」


 少し不安そうに結月が問いかければ、レオは小さく息をついた。


 ──どうして?

 そんなの、可愛いからに決まってる。でも……


「こんな本を読んでるくらいですから、てっきりなのかと」


「違います! 断じて違います!!」


「ふふ。しかし、なかなか凄い小説ですね。廊下でとか、階段でとか、屋敷の外でとか、隠す気ありませんよね、この二人」


「ちょ! もう、その話題に触れるの、やめて……っ」


 恥ずかしくて、どうにかなりそうだ。結月は、恥じらいながら、顔を両手で覆い隠した。


 だが、その姿はレオの悪戯心に更に火をつけるものだったらしい。


 レオは、ベッド座る結月の隣に腰掛けると、今度は、その耳元で、内緒話でもするように囁きかけてきた。


「しかし、執事とお嬢様が恋をする小説をかりてくるなんて、お嬢様も、、このようなことがしたいと思っていたりするのですか?」


「え?」


 不意に囁かれた言葉に、身体がカッと熱くなるの感じた。


 こ、ご自分の、執事って……っ


「ち、違いますっ! 確かに、執事との恋愛物を読んではいたけど、だからといって、執事と恋したいとか、こんなことしたいと思っていたわけじゃなくて! あの、本当にちがうのよ!! 心配しないで!! 五十嵐は、私にとって、だから、異性としてみておりません!!」


「……っ」


 だが、からかうつもりが、思わぬ大打撃がかえってきて、レオは口元を引きつらせた。


 異性として見てない!?

 本当なら、とんでもない話だ。


「あの、本当に内容を知らなかったの! 知ってたら借りてこないし、それに、執事と恋するなんてわ」


「あの、もういいです」


 これ以上聞いていたら、心がえぐられそうだ。


「しかし、女性向けの恋愛小説は、比較的ロマンチックなものが多いようですが、お嬢様も、このような恋愛に憧れたりするのですか?」


 するとレオは、多少腑に落ちないながらも、再び文庫本をめくりながら、結月に問いかけた。


 自分の好きな女の子が、どんな恋愛をしたいのか、気にならない訳ではない。


「え、いや……そんなのは、ちょっと……っ」


(……だろうな。俺も『してくれ』って言われても、これはちょっと)


 女の子に、無理矢理キスをして許されるのは物語の中だけだ。


 こんな展開リアルに再現しようものなら、即刻使用人に見つかってゲームオーバーか、警察に捕まって、ジ・エンドだろう。


「まぁ、これはあくまでも"妄想の世界"ですから、お嬢様も読まれるのは結構ですが、現実と空想の区別は付けてくださいね」


「わ、わかってます!」


「大体、のどこがいいんですか?」


「え!?」

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