第20話 誰にも渡さない


 結月を送り届けたあと、レオは一人、屋敷に向かって車を走らせていた。


 今頃、どんな顔をしてるだろう?


 少し混み合う朝の時間帯。信号待ちで止まった車の中で、レオはクスリと笑いながら、結月に行ったのことを思い出す。


 先ほど、結月のポケットの中に、こっそりチョコレートを忍ばせた。勿論、校則違反なのは知っているし、執事としてあるまじきことなのもわかってる。


 だが、それでも──


(……食べたかな?)


 そんな期待を、微かに込める。


 だが、ここ一ヶ月、結月の様子を見てきたが、学校ではかなりの優等生で通っているようだった。先生からの評判もよく、他の女女子生徒の模範になるような立ち位置。


 ならば、きっと結月は、チョコレートを口にしたりはしないだろう。


「……まぁ、いいか」


 チョコレートを食べて、すぐに思い出せるなんて、元々思ってはいない。


 しかも、この8年間、結月の記憶を無理に思い出させようとする者は、きっといなかったのだろう。


 それに、仮に思い出させようとしても、レオのことに触れる者などいるはずがない。


 なぜなら、レオとのことは、屋敷の、二人だけのだったから。


「……しかし、結構キツいものだな。忘れられるのは」


 一向に変わることのない信号機を見つめながら、レオはぽつりと呟いた。


 たとえ、それが事故によるものだったとしても、忘れて欲しくはなかった。


 他のどんな記憶を忘れても、自分との記憶だけは、覚えていて欲しかった。


 もし、このまま結月が思い出さなかったら


 あの時間も

 あの約束も


 なにもかも、ただの『幻』に終わってしまうのだろうか?


 全て、なかったことになってしまうのだろうか?


「はぁ……」


 思わず、ため息が出た。

 レオとて、不安がない訳ではなかった。


 このまま記憶が戻らなければ、いつの日か、を選ぶ日だって来るかもしれない。


 もし、そうなったら……


「ふ……らしくないな」


 瞬間、信号が赤から青に変わった。前の車が進み出したのを確認すると、レオは、すぐに気持ちを切り替え、また車を走らせる。


 弱音なんて、吐いてはいられない。


 それに、例え思い出せなかったとしても、元から、誰にも渡すつもりなんてないのだから……





 ✣✣✣




 暫く車を走らせると、その先で、阿須加の屋敷が見えてきた。


 青い屋根の西洋風の屋敷。それを囲うように立つ塀はとても高く、外から中の様子を伺うことは出来ない。


 まるで、他人を寄せ付けない、外界から遮断された空間。唯一入れるのは、使用人が利用する小さな裏口と、正面の門だけ。


「……?」


 だが、その門の前まで来ると、少年が一人立っているのが見えた。


 紺色のブレザーに赤と緑のチェックのズボンは、この町・星ケ峯ほしがみねにある公立高校の制服だ。


 レオは一旦車を止めると、中から出て、門の前で、ジッと屋敷の中を見つめる少年に声をかけた。


「悪いけど、そこ退いてくれないかな? 中に入れないんだけど」


「…………」


 レオの呼びかけに、少年が視線をむける。


 近くでみると、年齢は17~8歳。髪がツンと跳ねていて、どこか生意気そうな雰囲気をした男子高校生だった。


「あんたは?」

「私は、この屋敷の執事ですよ」

「……ふーん」


 退いてほしいと、お願いしたにもかかわらず、その場から決して動くことなく、少年は、頭の先からつま先まで、じっとレオを見つめた。そして


「なぁ、執事って、ご主人様のいうことなら、なんでも聞きてくれんの?」


「えぇ。お望みとあれば、どんなことでも」


「じゃぁ、ドラクエのレベル99まで上げてっていったら、上げてくれる?」


「お安い御用ですよ」


「マジかよ!? スゲーな!!」


「それより、君は?」


「あー、うちのが鍵忘れてて出てったみたいで、これ、渡しといてくれません?」


「母親?」


「あー、矢野です。矢野やの智子ともこ


 自宅の鍵なのか、少年はレオに鍵を差し出しながら、そう言った。


(へー……この子、矢野さんの)


 矢野とプライベートな話をしたことはないが、確か高校生の息子が二人いると、前に冨樫とがしが言っていたのを思い出した。


「君、名前は?」


浩史こうじ


「浩史くんか……鍵を忘れるなんて、案外そっそっかしい所もあるんだね、矢野さんも」


「まーな」


 優しげな笑顔を浮かべながら、レオは雑談を繰り返す。


 あの厳しい矢野の息子なら、かなりの真面目くんかと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。


 どちらかというと彼は、クラスの中心にいそうな、ちょっと浮ついたタイプだ。


「あのさ、ここのお嬢様って可愛いの?」


 だが、その瞬間、あまりに突拍子もないことを問われて、レオは思考と止めた。


「俺と同い年って聞いてるけど?」

「…………」


 矢野から聞いているのか、同い年と言うことは、彼も結月と同じ高校3年生なのだろう。


 だが、屋敷の主については、守秘義務がある。


「申し訳ないけど、お嬢様のことについては、一切お答え出来ません」


「あー、なんだ」


「ふざけるな。メチャクチャ可愛いよ、うちのお嬢様は!」


 ニッコリ笑いながらも、威圧的な表情をうかべた。


 思った以上に、かなりのクソガキだった!!


 矢野は、どういう教育してるんだ。


 しかも母親が仕えている屋敷のお嬢様に向かってとは、ほかの屋敷のお嬢様が聞いたら、矢野は即刻クビだろう。


「大体、うちのお嬢様が、可愛いかろうが、そうでなかろうが、君には関係ないだろ?」


「関係なくはねーよ。だって、どうせなら、可愛い女の子の方がいいだろ?」


「は?」


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