第19話 お嬢様の憂鬱


「はぁ……」


 その後、教室に入り席についた結月は、深いため息をついていた。


(……どうしよう)


 やってしまった!


 執事や使用人に、ワガママは言わないように心がけてきたのに、いくら執事が悪いとはいえ、あのように声を荒らげて怒鳴りつけてしまった。


 しかも、他の生徒たちが行きかう、ロータリーのど真ん中で!!


(恥ずかしい……っ)


 つい感情的になってしまい、結月は自分のはしたない行動を酷く反省する。


 あんなに声を荒らげたのは、どのくらいぶりだろうか?


 結月は基本的に、ほとんど怒らない。それなのに、五十嵐の言葉をきいて、ついムキになってしまった。


(今日からってことは、帰りも五十嵐が迎えに来るってことよね?)


 あんなふうに怒鳴りつけたあとに、どんな顔して会えばいいのか?


 しかも、車の中は二人きりの密室状態。


 重い!

 絶対、空気が重い!

 もう、想像するだけで、胃が痛くなりそう!!


「はぁ……」


 窓際の席から外を見つめると、結月は再度ため息をついた。


 使用人達とは、仲良くしたい。

 それは、五十嵐だって同じだ。それなのに……


(五十嵐、私のこと嫌いなのかしら?)


 嫌われるようなことをした覚えはないし、ここ一ヶ月、良好な関係を築けていると思っていた。それが、斎藤がいなくなった途端、あんなことをしてくるなんて……


 もしかしたら、元気づけようとしてチョコを差し出してきたのかもしれないが、この女子校は、かなり校則に厳しい。


 お菓子なんて厳禁だし、もし先生に見つかったら大変なところだ。そして、その規則は、五十嵐だって、知っているはずだった。


(五十嵐が何を考えてるのか、よく分からないわ……)


 もしかしたら、本当に嫌われてしまったのだろうか。そう思うと、また涙が出そうになる。


 だが、今からホームルームが始まる。結月は、微かに滲む涙を拭おうと、ブレザーのポケットからハンカチを取り出そうとした。


 カサ──


「?」


 だが、そのハンカチと一緒に、なにか別のものが指先に触れた。


(え?……なに?)


 その身に覚えのない感触に、結月は、なにかしら?……と、ポケットから、それを取り出す。


 すると、そこに入っていたのは、先程、五十嵐が差し出してきた──チョコレート。


「ひっ!?」


 瞬間、結月は小さく悲鳴をあげた。


(な、なんで!? なんで、チョコが入ってるの!? ていうか、どうやって入れたの!?)


 ポケットにチョコを入れられた感覚なんて、一切なかった!


 もしこれが、先程のいざこざの最中に入れられたのだとしたら、スリレベルで手先が器用だ!!


(う、うそ、どうしよう……! お菓子を持ってきたなんて、先生にバレたりしたら)


 未だかつて、結月は校則を破ったことがなかった。それなのに、このことが先生にバレたりしたら、きっと、両親にも──


「阿須加さん!」

「きゃっ!?」


 突如、名前を呼ばれて、結月は跳ね上がった。慌てて、チョコレートをポケットの中に隠すと、結月は、声をかけてきた相手を恐る恐る見上げる。


 だが、どうやら先生ではなかったようで、結月の元には、女生徒が二人パタパタと駆け寄ってきた。


「ごきげんよう、阿須加さん!」


「ご、ごきげんよう」


「ねぇ、少し聞いてもいいかしら?」


「あれ? なんか目赤いけど、大丈夫?」


「え!? あ……だ、大丈夫。ちょっと目にゴミが入っただけで」


 涙目の結月に気づき、女生徒の一人が心配そうに覗き込んできた。


 だが、まさか『執事にいじめられました!』なんていえるはずがない。


「そ、それより、聞きたいことって?」


「あ、そうそう! さっきと一緒だったでしょ? いつもの運転手の方はどうしたのかと思って」


「あ、それは……」


 その言葉に、結月は再び斎藤を思い浮かべた。


(斎藤、本当にどうしちゃったのかしら? 挨拶もなく辞めるなんて、やっぱりおかしいわ。身体を悪くしたとか、そんなんじゃないといいけど……)


 斎藤とは、もう長い付き合いだ。


 体調を崩したのでは?

 事故にあったのでは?


 事態が急なことだったからこそ、結月は気が気じゃなかった。


「阿須加さん?」


「……あ! ごめんなさい。斎藤は辞めてしまったの」


「あら、そうだったの。じゃぁ、さっきの方は新しい運転手?」


「いえ、彼は私の執事よ。斎藤が辞めてしまったから、運転手も兼任することになったみたいで……」


「えぇ!! あの方、阿須加さんの執事なの!? 羨ましい~!!」


「羨ましい?」


「だって、あんなに若くてカッコイイ方が執事だなんて! ねぇ、あの方お名前は? 年はいつくなの?」


「な、名前は『五十嵐いがらし』で、年は……20歳だったかしら?」


「私達と二つしか違わないじゃない! うちの執事なんて、もうおじいちゃんよ!」


「うちもそうよ。いいわねー、私の屋敷にも若くてハンサムな執事がきてくれないかしら?」


「ねぇ、なんの話ー?」


「阿須加さんの執事の話! 先程のロータリーで見かけたら、とても素敵な方だったの!」


「…………」


 急に執事の話題で盛り上がり始めたクラスメイト達。それを見て、結月は複雑な表情を浮かべた。


 いくらお嬢様学校とはいえ、みんながみんなおしとやかなお嬢様ばかりではない。


 お年頃というかなんというか、みんな、お洒落にも、恋にも、イケメンにも敏感な普通の女の子だ。


 特に女子校は男性がほとんどいない環境だからか、こうして若い男性が現れると、その話題で、一気に持ち切りになる。


 しかも、他の生徒の運転手たちは、大抵が30代以上の男性ばかりで、だからか、五十嵐からのように、若い男性は珍しい。


 そのうえ、五十嵐は身長も高く、顔立ちも良い。ならば、女子の妄想の餌食になるのは、ある意味しかたのないことかもしれない。


「年が近い方が執事だなんて、さぞ話も盛り上がりそうね!」


「そ、そんなことないわ。私、五十嵐が何を考えているのか、よくわからなくて」


「わからない?」


「えぇ……今までの執事とは、少し違っていて、困っているの」


「あら、そうなの。でも、素敵じゃない! 男性は多少ミステリアスな方が魅力的よ?」


(いや、ミステリアス通り越して、ちょっと怖いというか……!)


 勝手に、ポケットにチョコを入れられてたんです!!


 お嬢様の生活を円滑に進めるのが仕事のはずの執事が、逆にお嬢様を陥れるという、とんでもない事態になっているんです!!


「あ、そうだわ!」

「?」


 だが、その直後、女生徒の一人が結月の元を離れたかと思えば、自分の机の中からを取り出してきた。


「この本にでてくる執事が、とてもミステリアスな方でね。どこか五十嵐さんと雰囲気が似てる気がするの。なにかの参考になるかもしれないし、良かったら、貸して差し上げましょうか?」


「え?」


 女生徒は、ブックカバーがかけられた文庫本を結月に差し出しながら、にっこりとほほ笑んだ。すると、その場にいた、もう一人の女子生徒が


「あら、有栖川ありすがわさん、また、そんな本もってきてるの?」


「またとはなによ。いいじゃない、小説は校則違反ではないわ! それに、これも立派な文学よ!」


 二人の会話を聞きながら、結月は目の前の文庫本を見つめた。話を聞けば、五十嵐に似ている執事が出てくるらしい。


(これを読んだから、少しは五十嵐のこと、分かるようになるかしら?)


 歩み寄りたいし、嫌われたくはない。

 今の結月は、藁にも縋りたい気分だった。


 なぜなら、これから長い付き合いになるかもしれないのだ。こんなところで気まづい関係にはなりたくない。


 結月はそう思うと、その文庫本を受け取り


「ありがとう。せっかくだし、お借りしてみようかしら」


 そう言って、ふわりと微笑んだ。

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