第三章 独占欲の行方

第17話 一人目


 次の日の朝──


 結月はメイドの恵美に手伝われながら、いつも通り学校へ向かう準備を始めていた。


 白のブラウスにピンク色のスカートを着て、上からジャケットを羽織ると、高校の制服をしっかり身につけた結月は、鏡台の前に座る。


 恵美に髪をといてもらえば、少し茶色がかった黒髪がサラリと流れた。


 いつものようにハーフアップにしてもらい最後に赤いリボンを付け、全ての身支度を整えると、結月はいつも通りニッコリと微笑む。


「ありがとう、恵美さん」


「いいえ、しかしお嬢様、だいぶ髪が伸びましたね」


「そうね。いつも手間どらせて、ごめんね?」


「そんな滅相もない。それに、これが私のお仕事ですから!」


 そう言うと、恵美は無邪気に笑って見せる。


 恵美は約二年前、この屋敷にメイドとしてやって来た。


 歳が近いため、結月の身の回りの世話をすることになり、初めは不慣れなこともあったが、今では、お嬢様ともかなり打ち解け、メイドの仕事も大分慣れてきた。


 なによりこのお嬢様は、一般的なお嬢様とは違い、一切偉そうでもないし、わがままでもない。


 失敗しても笑って許してくれるため、多少おっちょいな恵美でも、なんとかなっていた。




 ✣✣✣




 その後、準備をすませた結月は、恵美と別れ、一階の広間に向かった。


 中に入ると、だだっ広い部屋の中央には、幅広く長いテーブルがあった。


 十数人は腰掛けられそうなアンティーク製の長テーブルには真っ白なクロスがかけられていて、中央には燭台と花が飾られていた。


「おはようございます。お嬢様」


「おはよう、五十嵐」


 執事のレオが頭を下げると、食卓の椅子を引き、結月をテーブルに付かせた。


 すると、それと同時にシェフの冨樫とがしが朝食を運んできてくれた。


 毎日、良い食材を使い、手間暇かけて作ってくれる料理は、昼の学食のメニューなども考慮して、カロリーや栄養面などもしっかりと考えて作られていた。


 お嬢様のためだけに作られた、豪華な朝食。


 その食事を、結月はいつも、この広い部屋で一人で食べるのだ。


「…………」


 カチャとナイフを使う音が小さく響く。


 冨樫が部屋から出て行った後は、傍らで、燕尾服を着たレオが無言で佇むだけだった。


 特段会話もなく、暫くして食事を終えると


「……ごちそうさまでした」


 そういって、口元を拭き取った結月は、その後、洗面室に向かった。


 化粧室も兼ねたこの部屋には、とても大きな鏡があった。


 歯磨きをするため、結月は鏡の前に立つ。

 そして


「はぁ……」


 深くため息をつくと、結月は、また鏡を見つめた。


 なんの変わり映えもない、いつもの日常。


 朝起きて、一人で朝食をとり、そして、学校へ行く。


 寄り道ひとつせず、学校から帰ったあとは、また屋敷の中で、いつも通り過ごす。


 毎日毎日、同じことの繰り返し。


 やりたいこともない。

 行きたいところもない。


 ただ父と母の言いなりに、毎日を過ごすだけ。


 変わらない日常は、変えられない日々は、次第に感情すらも麻痺させて、時折、自分は、何のために生きているのかと、自分自身に問いたくなる。


「……なんの……ために?」


 鏡に映る自分を見つめ、結月はそっと目を閉じた。


 なんのため? そんなの──


に、決まってるじゃない……っ」





 ✣✣✣




 歯磨きすませたあと、結月は玄関に向かった。


 玄関先では、すでに矢野と恵美が学校の鞄を手にし、結月を待っていた。


 だが、その、いつもとは違う光景に、結月は首を傾げる。


「あれ? 五十嵐は?」


 いつもは、この二人の他に執事である五十嵐も、結月を見送りに来てくれていた。


 だが、なぜか今日は、その執事の姿がなかった。


「五十嵐なら、今、外におります」


「外?」


 いつもとは違う五十嵐の行動に、結月は再び首を傾げた。


(なんで、外にいるのかしら?)


 いつもなら、学校の鞄を手にし、車の前までエスコートしてくれるのに?


「そう……まぁ、いいわ。それでは行ってまいります」


 少し困惑しながらも、結月は矢野と恵美に挨拶をする。


 たが、そのタイミングで、丁度玄関の扉が開き、話題にしていた執事が顔を出した。


「お嬢様」


「い、五十嵐??」


 だが、その姿を見て、結月は更に困惑する。


 いつもは燕尾服を着ているはずなのに、今は何故かを着ていた。


 燕尾服と変わらない真っ黒なスーツと、濃いブルーのネクタイ。


 その姿は、執事の時同様に、とても様になっていた。


 だが……


(なんで、スーツを着てるの?)


「どうかなさいましたか? お嬢様」


「ど、どう……って」


 結月の頭の中は、?マークでいっぱいになる。


(なんで着替えてるのかしら? 確か、さっきは……)


 朝食をとる時、五十嵐は、いつも通りを着ていた。


 ということは、結月が洗面室にいっている間に、着替えたということになる。


「相原さん、鞄を預かります」


「はい。宜しくお願いします!」


 だが、困惑する結月をよそに、五十嵐は恵美から鞄を受け取ると、普段通り、結月を車までエスコートし始めた。


「お嬢様、どうぞ」


「う、うん……っ」


「「行ってらっしゃいませ、お嬢様」」


 それを見て、恵美と矢野が同時に頭を下げると、結月は五十嵐に連れられるまま屋敷の外に出る。


 屋敷の前には、いつも通り、車が用意されていた。


 それなりの高級車ではあるが、一般人でも手に入りそうな普通の乗用車。


 漫画や小説の中のお嬢様は、リムジンなんてものを利用するが、通常はそんな目立つ車で出かけることは滅多にない。


 なぜなら、明らかに高級そうな車に乗っていれば、それだけで『お金持ちが乗ってますよ』と、触れ回るようなもの。


 誘拐などの事件に巻き込まれる危険性を少しでも減らすために、あえて普通の車を利用しているのだ。


「お嬢様、お手を──」


 車の前に着くと、五十嵐が後部座席のドアを開け、手を差し出してきた。


 乗車を促すように差し出された手には、執事の時と同様、白い手袋をつけていた。


 だが、結月はその手を取る前に、五十嵐に気になったことを問いかける。


「ねぇ、五十嵐……どうして今日は、スーツを着てるの?」


 汚れて着替えたのだろうか?


 だが、燕尾服の替えは何着かあるはずで、わざわざ、スーツに着替える必要なんてないはず。


 すると、五十嵐は、結月のその問いに平然と答える。


「これですか? 今日から、お嬢様の学校への送り迎えは、私がさせて頂くことになりましたので、先ほど着替えてまいりました。外出する際、燕尾服だとなにかと目立ちますので」


「……え?」


 一瞬、言われた言葉を飲み込むのに時間がかかった。


(送り迎えって……?)


 そして、その言葉に、結月はある違和感を抱く。


 車の中を見れば、いつも運転席に座っているはずのの姿がなかった。


 休みなのかと思ったが、休みの日は事前に知らせてくれるし、それに、大抵、休む時は、結月の学校が休みの土日に限られていた。


「さ、斎藤はどうしたの?」


「…………」


 誰もいない運転席をみて、結月が不安そうに問いかける。


 すると、レオは薄く笑みを浮かべたあと


「斎藤は──昨日づけで退いたしました」


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