第16話 目撃者


「はぁ~、やっと終わったー」


 二階の奥にある客室の掃除を終えると、恵美はほうきとバケツを手に、一階にある用具室のへと歩き出した。


 広い屋敷の掃除と洗濯を、恵美はほぼ一人で行っていた。もちろん矢野も手伝ってくれるのだが、矢野は別の仕事で忙しいため、細々した雑用は、ほとんど恵美が行っている。


 毎日、掃除しているため、特段汚れはひどくないが、やはり一番大変なのは、あの広大な庭の掃き掃除だろう。


 その上、お嬢様の身の回りの世話まで行うとなると、なかなかに忙しく、手が休まる暇もない。


 だが、これが恵美の仕事。お給料をもらっている手前、手抜きなどできない。


(あ、そう言えば、お嬢様の部屋の窓、閉め忘れてたかも?)


 階段を下りる寸前、恵美はふと思い出した。


 お嬢様が帰宅する前に、部屋の掃除しておいたのだが、その際、窓を閉めるのを忘れてしまった。


 恵美は、お嬢様の部屋の前まで足を運ぶと、その後、廊下の隅に箒とバケツを置き、コンコンコンと扉をノックした。


「……あれ?」


 だが、聞こえなかったのだろうか。

 中から、お嬢様からの返事はなく……


(もしかして、また居眠りしてるのかな?)


 お嬢様は、よく本を読みながら寝てしまうことがあった。恵美はそう思うと、扉をそっと開け、中の様子を確認する。


「!!?」


 だが、その直後、とんでもないものを目にしてしまった! 

 恵美は慌てて扉を閉めると、ドアノブを握りしめたまま硬直する。


(う、うそ……今、五十嵐さんが……っ)


 扉の隙間から見えたのは、眠っているお嬢様に、覆いかぶさる執事の姿。


 それはまるで、眠るお姫様に王子様が口付ける、おとぎ話のワンシーンのような。そんな魅惑的な光景を目にし、恵美は火を噴くように赤くなる。


(ちょっ、ちょっと待って! 五十嵐さん、お嬢様に、一体何を!)


 叫び出しそうな声をグッと飲み込み、恵美はドキドキと早まる心臓を必死になって押さえ込んだ。


 だが、頭の中は、もはやパニックだ!


(な、なな、五十嵐さん、彼女と結婚の約束もしてるって言ってたのに! あ、もしかして、お嬢様がその相手──て、そんなことあるわけないじゃない!)


 そうだ、そんな話はありえない!

 ということは──もしかして、犯罪!?


 恵美は、そう確信した。


 そうだ。あれはどうみても犯罪だ!


 あろうことか、主人に忠誠を誓う執事が、お嬢様に良からぬことをしようとしている!!


 ならば、こは、お嬢様に仕えるメイドとして、見過ごすわけにはいかない!!


(わ、私が、なんとかしなきゃ!)


 恵美はそう決意すると、立てかけていたほうきを手に取り、音を立てないように、ゆっくりとドアノブを回した。そして──


 バタン──!!!


「五十嵐さん!!」


 箒を構え、勢いよく扉を開けた恵美は、まるで、現場をおさえた警察官のように、執事の名をきつく発した。


 だが、お嬢様の側にいると思っていた執事は、なんと恵美の目の前に現れて


「はい、いかがしました?」

「ひぃっ!?」


 いきなり目前で対峙した執事に、恵美はビクッと身を強ばらせた。


「あ、ああ、あ……ッ」


 だが、狼狽えつつも執事を見れれば、その手には、ティーポットが乗った銀のプレートがあって、執事は、平然とした様子で立ち尽くしていた。


「相原さん、大丈夫ですか?」

「え、えと……っ」


 特段いつもと変わらない執事。

 その姿をみて、恵美は困惑する。


 だが、未だに箒を構える恵美に、レオは、更に笑って問いかける。


「どうかしたのですか?」


「どうって……い、今、キ」


「え?」


「キ、キキ……いや、あの……今、お嬢様に……、してませんでしたか?」


 カタコトになりながらも、恵美は更に問いかける。するとレオは


、とは?」


「え!?」


 なんと、逆に問われ、今度は恵美が口ごもった。


 だが、言えるわけがなかった。だって『今、キスしようとしてませんでした?』なんて、面と向かって聞けるはずがない!!


「あ、あああ、あの……なんか、その、今、ものすごく距離が近かったというか……覆いかぶさってるように見えたもので、その……なにをしてたのかなと?」


 恵美はしどろもどろしながらも、問いかけた。


 その手には、ひどく汗をかき、愛想笑いを浮かべつつも顔はひどく引きつっていた。


 すると、レオはまたいつものようにニコリとわらって


「それは、のせいじゃないでしょうか?」

「え?」


 そう言ってレオが指さしたのは、お嬢様の机の上。


 すると、その机の上には、例の「空っぽの箱」が、ひっそりと置かれていた。


「どうやら、大切な箱を手にしたまま眠ってしまわれたようなので、箱が壊れないようにと手に取る際に、になってしまったので、多分そのせいかと」


「…………」


 特段、慌てる様子もなく、平然と放つ執事の言葉に、恵美は改めて、お嬢様の姿を確認した。


 見れば、お嬢様は未だにスヤスヤと眠っていた。


 特に変わった様子はないし、執事がかけたのだろうか? 身体の上には、薄手の柔らかな毛布が一枚被せてあった。


(じゃぁ……箱をとる時に、たまたま?)


 確かにベッドの中央に投げ出された手から箱をとるには、多少ベッドの上に身を乗り出さなくてはならない。


 それに、あの箱は、お嬢様にとって、とても大切なモノ。そんなモノを、過って踏み潰したとなれば、お嬢様が、どれほど嘆き悲しむことか!


「そ、そうだったんですね。私はてっきり……」


「てっきり、なんでしょう? もしかして、私がお嬢様に、なにか良からぬことをしているとでも?」


「え!? あ、あの、それはッ」


「あー、だから、箒を構えて入って来たんですね」


「すみませんでしたあああぁぁぁ!!!!」


 五十嵐の言葉が、チクチクと刺さると、恵美は土下座をする勢いで、頭を下げた。


 無理もない。本来信頼すべき屋敷の執事を、勘違いで犯罪者扱いしてしまったばかりか、あまつさえ箒で撃退しようとしていたのだから。


 だが、そんな恵美にレオは


「大丈夫ですよ。気にしてはおりません」


「ほ、ほんとですか!?」


「はい。ですが、私はですので、お嬢様に邪な感情を抱くことは、。そこは信じていただければと」


「は、はい! もちろんです!!」


「ところで、相原さんは、ここに何を?」


「あ、私は、さっき掃除をした時に、部屋の窓を閉め忘れた気がして!」


「あぁ、そうですか。窓なら閉めておきましたので、大丈夫です。では、私は、もう行きますので」


 一通り話し終えると、レオは恵美の横をすり抜け、部屋から出ていった。


 そして恵美は、そんなレオを見送りつつ、再度お嬢様を見つめた。


(そうだよね。そんなこと、あるわけないよね?)


 まさか、執事が、お嬢様に恋心を抱いているなんて疑いもせず、恵美は、ほっと胸をなで下ろしたのだった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る