第13話 価値
「「お帰りなさいませ、お嬢様」」
その日の夕方、結月が屋敷に帰宅すると、レオとメイドの
午前中、噴水の掃除をしていたレオ。
あの後、シャワーを浴び、身支度を整えたレオは、またいつもの燕尾服に身を包み、にっこりと笑顔で結月を出迎えた。
そして、黒の燕尾服とは対象的なアイボリーのブレザーと桜色のスカート。
学校指定の上品な制服を身につけた結月は、手にした鞄をレオに手渡しながら、にこやかに帰宅の挨拶をする。
「ただいま」
「学校は、いかがでしたか?」
「えぇ、茶道の先生に、手つきが良いと褒められたわ。でも長時間、着物を着ていると、やっぱり疲れるわね」
学校の話をしながら、結月は苦笑いを浮かべた。
結月が通う女子校は、お金持ちの娘たちが通う、いわゆるお嬢様学校。
その選択教科には、茶道や華道だけでなく、声楽やピアノ、ダンスといった、女性らしさを身につけるための教科が一通り揃っていた。
そして、この学校を選んだのも『将来、素敵な女性になれるように、女性としての品位を身につけておきなさい』と、結月の両親が選んだ。
子供の頃から、何を決めるにも結月の意思は尊重されない。
全ては、阿須加家のため。
そして、それは、今もずっと──
✣
✣
✣
「後ほど、お茶をお持ち致します。なにか、ご所望がございますか?」
自室につくと、結月の鞄を所定の場所に戻しながら、執事が声をかけてきた。結月は、その言葉に、再び執事を見つめる。
「そうね。じゃぁ、ミルクティを頂けるかしら?」
「かしこまりました」
お嬢様の返答に、執事が胸元に手を添え、微笑する。
その仕草や振る舞いは、とても優雅なもので、まだ若いのに、五十嵐は、どこのベテランの執事にも引けを取らない。
──コンコンコン
「失礼致します」
すると、今度は部屋の入口から、メイドの恵美が声をかけてきた。
それを見たレオは、結月に一礼し、部屋を出てると、今度は、恵美が結月の前に立つ。
「お嬢様、お着替えをお手伝い致します」
「ありがとう」
執事が出ていったのを見届け、カーテンを閉めると、恵美は続けて、結月の制服に手をかけた。
もう、着替えを手伝ってもらう年でもないのだが、長年の習慣とは恐ろしいものだ。
するりとシャツを滑らせ、結月はブレザーを脱ぐと、リボンを外し、シャツのボタンを一つ一つ外した。
脱いだ服を恵美に手渡し、逆に手渡された白のブラウスと黒のロングスカートを着ると、少しだけ乱れた髪を整える。
すると、着替えを終えるのを見届けた恵美は、脱いだ制服を
そして、部屋の中に一人になった結月は、小さくため息をついたあと、自分の机の前に立った。
朝しまい忘れていたのか、例の"空っぽの箱"が目に付いて、結月は
昨夜、夜更かしをしたせいか?
はたまた、授業で着物を着ていたせいか?
気だるい身体に、フカフカのベッドが、やけに気持ちよかった。
だが、結月は一度目を閉じると、その後、ゆっくりと目を開け、手にした箱を見つめた。
(……この箱、一体なんなのかしら)
この前、五十嵐に問われて、何も答えられなかった。
どうして、この箱が大切なのか?
だけど、この箱を初めて手にした時のことは、今でも、よく覚えてる。
それは──8年前。
結月がまだ、10歳だったころ。
✣✣✣
『結月様は、花かんむりを作ったことはございますか?』
この屋敷には、
『お花で、"かんむり"をつくるの?』
『そうですよ。作り方、教えてさしあげますね?』
白木さんは、悪いことをしたら、とても厳しかったけど、なにより優しくて、温かい人だった。
庭先に咲いていた花を二人で摘んで、花かんむりをつくってみたり、お花の話や星の話。
他にも、世界各国の物語やおとぎ話を読み聞かせてくれて、白木さんは、私にとって、まさに母親のような人だった。
だけど、ある時──
『お父様、どうして!!』
私は、屋敷の階段から落ちて、怪我をしたらしい。
だけど、落ちたことも、怪我をしたことも一切記憶になくて、目が覚めたら病院のベッドの上だった。
頭に包帯を巻いて、久しぶりに屋敷に帰る。
すると、ずっと側にいてくれた白木さんは、もう父と母に、辞めさせられたあとだった。
『どうして! どうして、白木さんを辞めさせたの!?』
『結月、お前は一週間も目を覚まさなかったんだ! 阿須加家の大事な娘に怪我を負わせた。あんなメイド、もう必要ない!』
『そうよ、結月。メイドの変わりなんていくらでもいるじゃない。また、新しいメイドを雇ってあげるわ』
『……っ』
久しぶりにあった父と母が、私を宥めながら声を荒らげた。全く聞く耳をもたない両親に、目には自然と涙が浮かんだ。
『代わり、なんて……っ』
代わりなんていない。
白木さんの代わりなんて、いるはずない!
『お願い! 白木さんをやめさせないでッ!!』
父の服にしがみつきながら、必死になって訴えた。だけど
『結月、いい加減にしなさい!!』
『ッ……』
次の瞬間、怒号のような父の声が響いて、幼い私は、身をすくめた。
『まさか結月が、こんなワガママな娘に育っていたなんて、あのメイドに任せたのは失敗だったな』
『結月、あなたは将来、この阿須加家を背負って立つ人間なのよ、分かってるの?』
『……っ』
声が震えた。
それでも、なんとか伝えようとした。
白木さんは悪くないと。
だけど──
『しかし、怪我をしたのが頭で良かった』
『……え?』
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
……なにが、良かったの?
怪我をしたのに?
『もし、顔や身体に傷でも残っていたら、女としての価値を失うところだったな』
『……っ』
女としての価値。
その言葉を聞いた瞬間、愕然とした。
子供が、怪我をして悲しむわけでもなく、目が覚めて喜ぶわけでもなく、ただ、その『価値』を失わなかったことに喜んでいるのが分かった瞬間、もうなんの言葉も出せなくなった。
『いいか、結月。お前は将来、私の会社を大きくするために、金持ちの立派な男と結婚するんだ。だから、いつか私が見つけてきた男に気に入られるよう、しっかり女を磨いておきなさい』
『…………』
その後は、もう諦めたように、呆然と返事をしただけだった。頬を撫でる父の手が、こんなにも気持ち悪いと思ったことはなかった。
娘として生まれてきたその時から、私の未来は決められてしまったのだろう。
将来、この阿須加家を継ぐために、父の選んだ立派な男と結婚する。その両親の願いを叶えるのが、私の娘としての価値。
そして、いつも放ったらかしにしてるくせに、都合のいい時だけ『親』になる。
娘の気持ちなど一切考えず、ただ言たいことだけ言って従わせる。
そんな愛情の欠片もない人たちが──私の『両親』だった。
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