落ちてた?スクーター
整備工場前の通路を、グンさんはスクーターに跨って進んだ。三輪車に乗った幼い子供のように地面を蹴って行く。地面を蹴るたびに上体が前後に揺れ、年季の入ったライダースジャケットの肘と横腹が擦れる音がした。
敷地の奥まったところにグンさんのプライベートガレージがある。ひとまずそこまでスクーターを運ぶという。僕は何年か前にこのガレージを見たことがあった。たしか車一台が収まる程度の小ぢんまりとしたものだったと記憶している。僕はまだ左膝の痛みが引かない中、早足でグンさんに並んで進んだ。
左手に見える工場内に十名ほどの整備スタッフがいた。みんな機械油が染みた繋ぎを着て汗を流している。黙々と作業に勤しむ彼らの姿は、無職となって狭くなった僕の肩身を一層狭くさせた。自分で蒔いた種なんだけど。
グンさんがスタッフの一人に声をかけ、スクーターを指し示してみせる。やや大きめのライトブルーの繋ぎを着た、僕よりも年下だとわかる小柄な若いスタッフが軽く頭を下げた。彼がスクーターの乗り手になるのだろう。
グンさんのプライベートガレージに着く前に、ガードレールの落書きのことを聴取してみた。
「あれ描いたの、グンさんでしょ?」
「ああ、あれ、ポッカコーヒーね」
ありきたりな答えなど返ってくるはずはないと分かっていたけど、あまりにもしれっと言うものだから、僕はクスっと笑ってしまった。
僕はグンさんのユーモアが好きだった。グンさんの放つ冗談には不思議と打算というものが感じられず、なんと言うか、とにかくナチュラルだった。これはいつも聞き手に回り勝ちな僕を気疲れさせることはなく、また飽きさせることもなかった。退屈な校長先生とは正反対の位置にある。ときどきガードレールの落書きのような悪趣味に走ることはあるけど、ご愛敬だ。
グンさんからの二の矢を期待して、ついでにスクーターはどこから引き取って来たのか訊ねると、グンさんは正面を向いたまま真顔でこう言った。
「落ちてた」
これには笑えなかった。本当に冗談であってほしい。でなければあの若いスタッフが気の毒である。
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