わけありの美しい青年

 数日前のことだ。

 テリーの店にスティードを持ち込んできたのは常連客の青年だった。しばらく見ないと思っていたところ、半年ぶりに顔を出してきた。


 同年代の男性とくらべれば小柄なほうだろう。短く刈った髪を黄金色に染めてツンツンに立てているところを除けば、線が細く、色白で綺麗な面立ちは女の子と間違えられそうで、萩尾望都の世界から出てきたような美しい青年である。

 ただし、どこにでも物好きはいる。夏でも黒革のライダースジャケットに袖を通していた。どうもテリーから感化されたらしい。

 テリーとは真反対の性格なのだが不思議となついていた。居心地がいいのか気疲れしないのか、用もないのに日がな一日テリーの店で寛ぐことも珍しくはなかった。


 寡黙だった。自分に自信が持てないのか、何かに怯えているように、おどおどした挙動が目についた。女の子のように弱々しい容姿と引っ込み思案な性格がコンプレックスなのだろうか。これはテリーの見立てに過ぎないのだが。髪型にしろファッションにしろ、それを隠すための虚栄心か、はたまた自らを鼓舞するためだろうか。口数は少ない割に身に着けたアクセサリーは多く、テリーと会うたびに増えていき、ついには左手を指輪だらけにして年中クリスマスになっていた。


 アクセサリーばかりではない。まだ冬の色残る春先のある日のことだ。

 青年がテリーの下にやって来て誇らしげに左腕を見せると、そこにはジェームズ・ディーンの刺青が彫られていた。テリーの驚いた顔と嬉々とした反応を期待していた青年だったが、意に反した。

「そんなもの、見せびらかすもんじゃないぜ」

 一蹴された。呆れと冷淡さが混じった語気に鼻をへし折られた気にさせられた。青年は不貞腐れ、歯をがちがちと鳴らして「くそっ」と捨て台詞を吐いて、目を充血させて帰ってしまった。

 遠くで不協和音がこだました。やけくそに空ぶかしするスティードのエンジン音と低空をゆく航空機のエンジン音。それはテリーの耳奥に残響し、鳴り止まなかった。


 もう、あの青年は自分には寄り付かないだろう。テリーは悔やんだ。自分の言ったことは間違いなかったと思いつつ、もっと他に換言の余地などいくらでもあったではないかと自責の念に駆られた。

 内蔵という内臓がきりきりと痛んだ、体の中で一寸法師に立ち回りされるように。

 客の一人を失っただけなら屁でもない。しかし、一人の青年の心の拠り所を奪ってしまったのではないか、取り返しのつかないことをしてしまったのではないか、と怖くなった。自惚れだろうか。


 ところが青年の足が遠のくことはなかった。新聞屋からもらったカレンダーを二枚も捲らないうちに、右手もカーニバルにしてやって来た。おまけにスティードのタンデムシートに、目の覚めるようなとびきり可愛い天真爛漫な女の子を乗せて。

 それを見て閉口したテリー。なぜか満面喜色で「くそっ」と悔しがるのであった。


 話がそれてしまった。

 ちょうどお天道様が真上にあり、誰しもがキリギリス同盟を組もうかという時間帯。

 スティードに跨り陽炎の波に乗ってやって来た青年は、端から裏手の工場へと乗り付けた。毎度のことながら店舗内にはテリーが不在であり、無駄足をふむことは知っている。

 大きな株を引っこ抜くようにフルフェイスのヘルメットを脱ぎ、爪を立てて血が出る勢いで頭をかいた。汗の玉が派手に飛び散り、ライダースジャケットの肩に黒い斑を作った。


 バイクの音を聞きつけたテリーが開放されたシャッターの下から顔を出した。手にしていたミネラルウォーターのペットボトルで乾杯の仕草をし、たまたま通りかかった散歩中の近所の犬に出会ったかのように「よう」と挨拶した。

 久方振りの対面はばつが悪いのか、青年は肩をすくめて口をへの字に曲げた。無言で軽く頭を下げてテリーに歩み寄る姿はエノコログサだった。ジーンズのバックポケットから折りたたまれたA4サイズのコピー用紙を取り出し、もたついた手つきで広げると、親に三十点の答案用紙を出す子供のように、どこか自信なさげに見せてきた。

「こういう風に、してほしいんだ」

 確かに三十点だ。が、絵心がないなりに一所懸命に描いたのだろう。やけに平べったく誇張されたバイクが色鉛筆で描かれている。Vツインエンジンであることが、それがスティードであることを分からせる唯一の意匠だった。

 自分で描いた絵をまじまじと見られるのが恥ずかしいのだろうか。青年はテリーに絵を手渡すとそっぽを向いて、靴底に張り付いたガムを削り落とすように、意味もなく地面を踏みにじっていた。


 その絵はテリーに疑問を湧かせた。ずいぶんと長いスプリンガーフォークをまとっているのもそうだが、ほとんどノーマルで乗り続けていたスティードを大きく変貌させてしまうとは、どういう風の吹き回しだろうか? 気にしつつも詮索することはせず、しかし一応の念押しをする。

 今までより乗り易くなることは有り得ないし、取り回しも苦労するし小回りが利かないけど? 

 青年はやや迷いを見せたが、腹をくくったように言った、「かまわないよ」と。

 それならオーケーだが――――。


「この絵、あずかってもいいかな?」

 青年は戸惑った様子でうろたえ、言葉にならない上ずった声を中空に浮遊させた。 

 テリーは小さく吹き出して「だれにも見せやしないよ」と親身な目を向けると、青年はぶっきら棒に、あげる、好きにしていいよと言って、終いには「そんな下手クソな絵」と吐き捨てた。テリーはまた小さく吹き出し、苦笑しながら頬の無精ひげを撫でた。

「じゃ、そうさせてもらうよ」

 テリーは丁寧に絵を畳み、マジシャンがカードを観客に向けて確認させるように顔の高さに掲げ、「では、たしかに」と言ってライダースジャケットの内ポケットに収めた。そして青年、スティードを順に目で追いながら「今日は一人かい?」と訊くと、青年はカーニバルを首の後ろに当て、迷惑そうな顔をした。

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