第7話

 7


 昔から、この地域では夏に幽霊が見かけられることがよくあったという。白いワンピースを着た少女の幽霊で、何かを探すように彷徨い続けていたらしい。彼女は幽霊なので村の人達からは怖がられ、怯えられていた。しかしある日、まだ小学生にもなっていないような男の子が、夏の夜にその少女を見つけたという。その男の子は幼いがゆえに幽霊という存在を知らず、同じ人間だと思って少女に話しかける。驚きもしない男の子に少女は戸惑いながらも、人間のように話してくれる男の子に好感を抱いていた。何度か会ううちに、はっきりとした恋愛感情を抱いていることに気づいた少女は、男の子の前から姿を消すことを決める。幽霊の噂を男の子が耳にして、気付かれて怖がられるのを恐れたからだ。急に消えてしまった少女を探すも見つけられない男の子はそのまま地元で育って行き、必然的に幽霊の噂を聞くことになる。その噂を聞いて初めて、あの少女が幽霊だったと知る。それ以来、青年となっていたその男の子は、夏になるといつも落ち合っていた神社の境内を訪れ、少女がいないか確認する習慣が出来ていた。たとえいなくとも、チョコや飴を賽銭箱の前に置いて行くのが恒例だった。そうして8月の終わりに神社を尋ねる青年の習慣が、儀礼と化し、現在の渚沙祭に至っているというわけだ。


 一風変わった昔話を一通り話し終えると、幽霊さんは改めて僕の顔を見た。

「だからさ、このお祭りに異性を誘うのって、必要以上に気を遣うんだって。妙に勘ぐっちゃうからね」

「どういうことですか?」

「この昔話を知ってたら、もしかして自分に気があるのかなって思っちゃうでしょ? なんせ、男の子が少女と会いたいがためにしてた行為から始まった祭りなんだよ」

「あぁ、そういうことですか」

 当然、僕は奈月と一緒に行った渚沙祭を思い出していた。幽霊さんも、僕の考えていることが分かったのだろう。

「そう思うと、今まで行ったお祭りとかもちょっと考えちゃうよね」

 耐えられなかった。これは驕りかもしれないし、自意識過剰なのかもしれない。けれど、これから起こることの展開をなんとなく予想できてしまう程には僕は賢かったし、同時に馬鹿だった。だから、言葉を遮ろうとした。

「あの、幽霊さんは……」


 その時だった。

 後ろから、誰かの声が聞こえた。およそ人の来ない山頂の神社で人の声がするなんてまさか幽霊と思ったが、幽霊は自分だった。

 次第にそれが2人の声だと分かり、さらに男女の声だと分かった。

 妙な違和感があった。女の人の声は澄んでいて、間延びしたような独特の訛りがあった。悪寒が背中に走り、近づいてくる声に対して祈るような気持ちで振り返った。


 奈月が、立っていた。


 水色の浴衣に身を包む奈月は肩のあたりで綺麗に髪をそろえ、うっすらとメイクをしていた。久しく見ていなかったけれど、すぐに奈月と分かった。独特な訛り、印象的で大きな目。髪が伸びたり肌が白くなったりして多少容貌が変わっているものの、そこに立つのは確かに、僕の唯一の幼馴染だった。

 ハッとした僕は思わず幽霊さんの方を見た。幽霊さんは、よく状況がつかめないという風に首を傾げた。

「奈月です。僕の……幼馴染です」

 僕の発した言葉の意味を飲み込むのに時間がかかったのか、若干のタイムラグの後に、幽霊さんは目を丸くした。信じられないという顔をしていた。

 隣を歩く男は純情で素朴な感じのイケメンだった。そして何より僕が驚いたのが、奈月が男と並んで歩いているという事実だった。二人は山頂を登り切ったからか微妙に息を切らしており、よりよく花火の見える位置を模索しながら、不気味な神社をうろついていた。最終的に、僕と幽霊さんの座っている隣に来た。悔しいけれど、奈月の隣にいるのがやけにしっくりきていて舌打ちをしたくなった。

 二人の距離感から慮るに、恋人同士ではなさそうだった。本当に、最悪だった。

 いっそ恋人らしく手でも繋いでくれていたら、どんなにマシだっただろうか。先ほど聞いた渚沙祭に関する昔話が頭をよぎり、吐き気を催した。何も食べられない幽霊のはずなのに。胃の奥がムカムカし始め、頭痛すら感じた。

 幽霊さんはずっとキョロキョロしていて、きまり悪そうに斜め下を見つめていた。僕も幽霊さんの立場ならきっとそうしていたに違いない。

 迂闊だった。この神社に見覚えがある時点で分かっていなきゃならなかった。ここは、昔僕と奈月が花火を見た場所だった。

 それから花火が終わるまでの静寂は、僕のこれまでの中で最も騒がしい静寂だった。この気持ちは何なのか。この青くて、痛くて、脆い気持ちは何なのだろうか。

 紅い花火が咲いた。今までで一番大きかった。直感的に、これが最後の一発なんだと思った。余命宣告されたみたいな心持ちだった。


「花火、終わっちゃったね」

 2メートルほど離れたところから声が聞こえた。掠れた僕の声とは違って、優しげな男の声だった。

「……そうだね」

 今にも消え入りそうな声で、奈月が呟いた。

 頼むからそんな声を出さないでくれ、と思った。幽霊になった僕は、自分がモブとして出演する青春映画を見せられている気分になっていた。青春映画のラストなんて、もう決まり切っているのだ。

 この渚沙祭にどちらからか誘っている時点で、互いに察する部分はあるのだろう。その由来を知っていても、いなくても。付き合う前の、両想いみたいな期間。その一番楽しい時間が、よりによって夏祭りというイベントに割り当てられている。


 ぎこちなく二人の会話は進んだ。

「このあと、どうする? もっかい、屋台とか見て回る?」

「うーん、あんまり遅くなるとお母さんが心配しちゃうかな。今日はもうお開きにしようよ」

 そう言って笑った奈月の表情を、僕は今まで見たことがなかった。

「そっか。じゃあ下まで降りようか」

「うん、そうだね」

 二人は立ち上がって階段の方へ向かいだす。先に歩き始めた奈月を、男が呼び止めた。

「奈月」

 男の声は若干震えていた。

「……ん?」

 なんだか泣きそうな顔をして、奈月は振り返る。限界だった。僕はもう二人の方を見なかった。

 それでも残酷なことに、声は確かに聞こえてくる。今すぐこの場から逃げたいのに、なぜか体は逃げようとはしなかった。一瞬、例の「十分間だけ人に見える能力」を使おうかと思った。けれど判断を迷ううちに、言葉は継がれていった。


「あのさ、俺、奈月が好きだ」


 案の定発されたその言葉に、なぜか僕が身構えた。全身が動かなかった。

 そしてゆっくりと、奈月が首を縦に振った。僕の中で何かが死ぬ音がした。

 その一瞬はあまりにも長かった。もしくは永遠みたいに短かった。手を繋いで笑いながら暗闇に消える二人を、僕は他人事のように眺めていた。実際、それは他人事だった。


 彼らが眼前の風景と雰囲気に見出したインスタントな感傷を、観客でしかない幽霊の僕は永遠に眺め続けていた。

 あの二人の感じた有限の感傷を、なぜか部外者である僕が勝手に無限に変えてしまい、それでいて消費し続けている。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る