第6話

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 花火の開始を知らせるアナウンスが鳴ってから、人の流れが大きく変わった。主流と袂を分かつように、堤防の方に人が流れていった。

 堤防は既に多くの人が各々の席を取っていて、新参者は立ち見するか、もっと先の堤防まで歩かなくてはならないようだ。

 ある人は意識を失うほど酒を飲み、ある人は夏祭りに来てまでスマートフォンに目を奪われている。ちょうどロウソクを囲んで怪談話をする中高生を見かけた。暗がりで円を作って静かに話を聞く彼らは、ある意味では幽霊より狂気だった。きっとこの後肝試しもするのだろう。

 花火までまだ時間はある。幽霊になった今、改めて怪談について考えてみる。


 人々が夏に怪談を好むのは、単に涼しくなりたいからだけではないだろう。それは夏という瑞々しい季節への反抗であり、調和でもある。

『過ぎたるは猶及ばざるが如し』という故事成語があるように何でも行き過ぎは良くない事だ。夏の場合は何が過剰かと言えば、それは「生」だろう。

 生き物が最も盛んな夏。太陽も虫も植物も人も、皆がそれぞれのやり方で熱に浮かされてはしゃぎだす。だが、なまじっか賢い人間は、行き過ぎた「生」を無意識のうちに感じ、恐れている。だからこそ、怪談という「死」の存在に触れて、調和をとろうとしているのだ。


 そんなくだらない思索にふけっていると、幽霊さんが話しかけてきた。

「キミ、ちょっとついてきて」

 幽霊さんが手で招いて浮遊するので、僕も素直に従う。提灯の明かりや人々がゆっくりと小さくなっていった。

「はぐれちゃうといけないからさ。手、出してくれる?」

「え?」

 僕が言葉の意味を解するよりも先に、指先にぬくもりが伝わった。幽霊さんに曳かれて浮遊する僕は、耳の先まで真っ赤だったと思う。暗くて幽霊さんの表情は見えなかったが、見られなくて本当に良かったと思う。

 夏が舞台のラブコメに出てくるフレーズをあれだけ言わせ、聞いていたというのに、どうしてこんなことで心臓が早鐘を打つのだろう。訳もなく誰かに謝りたくなった。


 幽霊さんは山の上の神社に降り立ち、僕に耳打ちした。

「ここは穴場スポットでね、ほとんど人が来ないんだよ」

 辺りを見渡す。もう誰も来ないであろうボロボロの境内はさながらホラーゲームの舞台だ。加えて、本来ならば何段もの階段を登らなければならない。わざわざここに来る物好きはいないということなのだろう。なんだか見覚えがあった気がしたが、きっと何かのホラーゲームをプレイしているうちに現実で見た気になっていたのだろう。


 周りを眺めているうちに間抜けな爆発音がして、地面が紫色に染まった。どうやら、花火が咲き始めたらしい。

 花火を見るのも相当久しぶりだった。青色の花火があることを忘れていたくらいだ。それくらいずっと見ていなかった。

 こうしてみると、花火というのはそれ単体で思い出されるものではないということが分かる。パンジーみたいな色合いの花火が咲いた時、僕は無意識に奈月の事を思い出していた。

『花火ではなく、君の横顔を見ていた』という表現は月並みだけれど、要はそう言うことなのだ。花火とは、付随する夏の記憶を思い出すための装置のようなものだ。それを人々に植え付ける花火は美しく、そして残酷だ。

 川端康成が『別れる男に、花の名を一つは教えておきなさい。花は毎年必ず咲きます。』と言った。花火は毎年打ちあがるし、それを見て人々は夏の風景、ひいてはそれに付き従う様々な要素を思い出す。風鈴の音、日が暮れるまで遊んだ海、屋台の立ち並ぶ夏祭り。そして隣で花火を見たあの子の横顔。僕は奈月の事を思い出してる。

 ふと横を見てみると、幽霊さんの顔があった。物思いにふける僕を見ていたのか、僕と目が合った。恥ずかしそうに舌を出して、小声で「ごめんね」と呟いた。それ以上見ていられなかった。不覚にも、可愛らしいと思ってしまったのだ。

「そういえばキミはさ、渚沙祭の由来って知ってる?」

 反射で紫色に光った幽霊さんが話かけてくる。

「そういえば今まで気にしたことなかったです。何が発祥なんですか?」

 幽霊さんが語ったのは、この県に伝わる、古い伝承だった。

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