第5話

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 僕と幽霊さんは様々な所に赴き、様々な「再現」をした。理想の夏としては完璧だけれど、欠陥がないゆえにどこか非現実に思えてしまうような夏を一日中演じた。


 例えば、それは一面に広がるひまわり畑。僕の背丈より少し高いくらいのひまわりが、所狭しと立ち並んでいた。白ワンピースと麦わら帽子を身につけた幽霊さんは、数多のひまわりをかき分けて僕を見つけに来る。

「やっと見つけた。ほら、行くよ」

 そのセリフによって、小規模なかくれんぼは終わりを迎える。


 またあるいは、誰もいない小学校のプール。プールサイドに腰かける僕を差し置いて、幽霊さんは大胆にダイブする。困惑する僕を見て笑い、「引き上げて」と言って手を差し出す。それに応じた僕の手は、一気にプールに引きずり込まれる。二人ともびしょ濡れになった状態で、幽霊さんは言うのだ。

「世界に二人だけみたいだね」


 もちろん、幽霊の特性上、完璧な再現には至らない。そもそも幽霊は通り抜けるのでかくれんぼなんて一瞬で終わるし、水にも濡れない。ただ、最高で理想の夏の「フリ」という点が重要なのだ。「フリ」でなくなってしまえば、僕は奈月に会う資格なんてなくなってしまうから。


 3つ目の演目である「無人駅での待ち合わせ」を演じ終えたあたりで、幽霊さんが唐突に笑いだした。

「くっくっく」

「なんで笑ってるんですか? せめて笑うなら忍び笑いはやめてくださいよ」

「いやあ、なんだか久々に楽しくなっちゃって。初めは注文が多すぎて、『ラーメン屋のトッピングじゃないんだよ!』とか思ってたけど、演じるというのは極度に感傷的でやっぱり面白いね」

「僕も8割くらいは満たされた気がします。ほんと、付き合ってもらってすみません」

「いいんだよ。私から言ったんだし。というか、これだけの名演技で8割なの? やけに厳しくない? 助演女優賞くらいは貰うつもりでいたよ」

「いや、幽霊さんの演技は完璧でしたよ。でも、完璧な夏ってのは、決して100%にならないところまで含めて完璧なんです」

 幽霊さんはしばらく考える風を装い、「なるほどね」と呟いた。多分分かっていない。


 その後は幽霊さんの、「幼馴染さんを探せるところに行こう」というなんとも曖昧な提案に従った。

「これ、今どこに向かってるんです?」

「キミは未練を達成する前に、幼馴染さんを探さなきゃいけないでしょ? これは体験談だけど、ネットも何も使えない幽霊が人を探すのはかなり難しいんだよ。キミの場合は隣の県だからまだいいけどね。それでもやみくもに探すのは効率が悪いから、『わりかし会える可能性の高い場所』に向かってるよ」

「何ですかそれ。というか、なんで幽霊さんがそんなの知ってるんですか」

「いいからいいから。お、もう少しかな」

 幽霊は意外とスピードの出せる生き物(生きてはいない)で、本気を出せば新幹線くらいのスピードは出る。しかも壁を通り抜けるので、移動にはそこまで困らない。ただ、目的地を知らないまま移動するというのは、いつも以上に時間が長く感じるものだ。遠くに橙色の光が見えた。

 近づくにつれ、どこか懐かしい喧噪が耳に入り、甘さと苦さとしょっぱさを混ぜたような匂いがした。幽霊でも匂いは分かるんだな、と今更のように思う。この状況を夏祭りと認識するまでに数秒かかったのは、僕が小学生以来夏祭りに行ったことがなかったからだった。

 まただ。こういう風景に出会う度に奥底に眠っていた絵の具のような感情が疼きはじめ、危うく口から漏れ出そうになる。奈月と行った夏祭りなんか思い出したら、今の僕は耐えられないかもしれない。劣等感とニヒリズムが混ざった僕の瞳は、幸せな景色(浴衣を着て練り歩くカップルに象徴される)を無意識に拒絶する。

 最高の夏に憧れているのに、まったくの部外者としてそれを見せられることは苦痛だ。僕は、その矛盾が辛い。


「なんで夏祭りなんですか?」

 誤魔化すように僕は尋ねた。

「キミもこの県の人間だったなら分かると思うけど、偶然にも今日は渚沙祭の日なんだよ。北陸地方で一番大きいお祭りなんて、普通の女子高生なら来ないはずないからね。ましてや隣県から電車で一時間の距離でしょ?」

 渚沙祭とはこの県で最大かつ北陸最大級の夏祭りだ。確かに奈月の性格を考えるとこういうイベントごとは外さないタイプだ。

「それで、どうやって探すんです?」

「そりゃあもう、気合で」

 結局そうなるのか。蟻のような人混みから一人の人間を探し出さなければならない。だが、砂漠から一本の針を見つけるより易しいことも確かだった。


 赤提灯のぶら下がる街路を、人の波にのまれながら歩いた。幽霊だからすり抜けられるのだけれど、それは無粋というか、マナー違反のような気がしたのだ。強力な引力によって、無意識に夏の礼儀作法が身についていた。

 夏祭りは不思議なパワーを持っている。その支配下における人間に例外なく幻覚を見せ、ステレオタイプの夏祭りを過ごさせるというパワーだ。

 僕と幽霊さんが立ち並ぶ屋台を見てなんだか感慨深くなってしまったのも、幽霊らしく振舞うことが無粋に感じてしまったのも、そういう理由なんだと思う。神社に来たら自然と手を合わせてしまうのと同じことだ。いくら辛くなろうとも、夏が魅力的であることは否定できない。

 しばらくは僕らも、屋台に沿ってただ歩くのを楽しんだ。たこ焼き、焼きそば、カルメ焼き、かき氷、金魚すくい、ヨーヨー、お面。人という存在を意識しなければ、それらの夏の景色はどこまでも美しいものだった。

 いつも以上に魅力的に見えるそれらを眺めているだけで、心にある原風景と所々シンクロする箇所があり、得も言われぬ気持になった。幽霊という、いわばスペクテイターに近い視線で景色を眺めているからか、余計にそんな気持ちになった。

 隣に並ぶ幽霊さんの表情も心なしか少し幼く見える。これは夏の魔法か、あるいは夏祭りの魔法か。すっかり涼しくなった茜色の空にヒグラシが鳴いていた。

「幽霊さん、なんだか僕達普通に楽しんじゃってません?」

「えーいいじゃない少しくらい。それに、キミから幼馴染さんの特徴とか聞いてないから分かんないし」

 そういえば今まで言っていなかった。もっと早くそれを指摘して欲しい。

「奈月は、ショートカットで少し内巻きの癖があります。よく笑う子で、笑うとえくぼが出来るんです。身長はそんなに高くなくて、どちらかといえば華奢なんだと思います」

「そんな気はしてたよ」と、幽霊さんは前もって知っていたかのように言った。

「なぜです?」

「キミが今まで話してくれた思い出話の中に、奈月ちゃんが出てくるのが容易に想像できるからね。むしろ、キミがいるのが不自然なくらいに」

 そう言われて、僕は黙ってしまった。特に最後の言葉は重く心の底に沈んでいった。

「小さい頃は白いワンピースと麦わら帽子をよく身につけてましたね。それこそ、夏を体現したような子でした」

「ふうん。そこまで理想に当てはまってると、奈月ちゃんが幽霊だったりしてね」

「そんなまさか。奈月は足がありますし、小学校にも通っていたんですよ。いくら僕が最高の夏ハンターだと言っても、イマジナリーフレンドを創り出す程ではないです」

 そう反論してみたものの、自分でも思うところがあった。奈月が幽霊、という指摘もあながち間違っていないからだ。理想の夏を頭に飼っても、そこに住むワンピースの少女は幽霊のようなものだ。そしてそれを観客として眺める僕もまた、幽霊のようなものなのかもしれない。

「キミはさ、渚沙祭に来たことあるの?」

「最後に来たのは小学生の時ですかね。奈月が水色の浴衣を着ていました。覚えているのはそのくらいです」

「へぇ。奈月ちゃんの事だけは覚えてるんだ」

 悪魔的な笑い方をして幽霊さんはこちらを覗き見てくる。

「違いますよ。他が印象深くなかっただけです」

「またまたー。でもさ、今はどう? 奈月ちゃんは誰と来ていると思う?」

 妙な質問だな、と思いながらも僕は答えた。

「そりゃあ友達とかじゃないですかね。僕と違って、奈月は友達が多かったですし」

「なるほどね。じゃあ特徴も聞いたし、私も目を光らせるよ」

 まだ何か言いたそうな幽霊さんは、辺りを見渡しながら歩き始めた。空はもう薄暗くなっていて、屋台の光がやけに眩しく感じた。

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