第29話 不穏な雨の日
その日は、朝から不快な日でした。
昨日の夜から続く雨のせいで、屋敷の中はじっとりとした空気が満ちていました。気温も上がらず、厚着をするほど寒くはありませんが、火の入った暖炉の前でつい足を止めたくなります。
お父様は窓から外を見てため息をついていましたが、いつも通りに王宮へと出掛けていきました。
そしてお母様も、ローヴィル公爵夫人主催の大切な集まりがあるそうで、雨が弱くなった頃合いを見計らって出掛けていました。
天気が悪いので、ドレス関連で訪問する人はいませんし、グロイン侯爵邸の補修も順調なのか業者も来ません。
比較的平和な一日となりそうです。……不快な雨さえなければ。
窓から外を見ながら、私はため息を吐きました。
湿度のせいか、髪もドレスも重く感じます。
それに昨夜体が冷えてしまったようで、朝はなんとなく食欲がありませんでした。暖炉の火で体が温まった今、やっと空腹を覚えて来ています。
早すぎる昼食を頼むか。
それとも、食事に近いおやつを頼むべきか。
諦めて我慢をするか。
雨に濡れる木々を見ながら、私はずっと悩んでいました。
と、その時。
扉をノックする音が聞こえました。私が振り返ると、すぐにネイラが対応していました。
「お嬢様、じゃなくて奥様。アルチーナお嬢様がお呼びだそうです。ロエル様からお菓子が届いているそうですよ」
最近、ロエルは忙しいようです。だからこちらの屋敷に来れない日が多くなっていて、そのお詫びと称してお菓子が送られて来ています。
どうやら今日もロエルは来ないようですね。だから、退屈したお姉様が私を呼び出しているようです。
今日のアルチーナ姉様は、機嫌の良いお姉様でしょうか。それともイライラと八つ当たりをしてくるお姉様?
できれば機嫌のいいお姉様でありますようにと祈りつつ、呼びに来たメイドと一緒に部屋へ向かいました。
「……エレナ様、今のうちにお話ししたいことが」
廊下を歩いていると、お姉様付きのメイドがそっとささやいてきました。
どうしたのかと足を止めると、リザという名のメイドは周囲を確認してから、さらに声を潜めました。
「実はここ数日、アルチーナ様は食欲が落ちています。それで心配したロエル様がお菓子を手配してくださったのですが……」
「そう言えば、今朝もあまり召し上がっていなかったわね」
私も食欲がなかったので、特に気にしていませんでした。
でも確かに、最近のお姉様はあまり召し上がっていないかもしれません。婚約披露パーティー用のドレスが細身だからだろうと思っていましたが、ロエルが心配しているのならそれだけではないかもしれませんね。
「では、お姉様と一緒にお菓子を食べればいいのね?」
「アルチーナ様には不要だと断られてしまいましたが、エレナ様とご一緒なら、もしかしたら召し上がるかもしれませんし、他のものがよいようならすぐにご準備します」
なるほど。
私の前では、アルチーナ姉様は言いたい放題ですものね。
今日のお菓子が気に入らなくても、私が美味しそうに食べていれば気が変わるかもしれないし。
私はリザを安心させるために微笑み、お姉様の部屋に入りました。
「このお菓子、とても美味しいですね。ちょうどお腹が空いていたので、誘っていただいて助かりました!」
「それはよかったわね」
「え、えっと、ロエルが届けて来てくれたのですか? 有名な菓子職人のお店なのでしょうか」
「さあ、よく知らないわ」
「このお茶もいい香りですね! 気分が憂鬱になりがちな今日のような日にぴったりです!」
「気に入ったのなら、そのお茶は全部あげるわよ。好みじゃないのよ」
「……そ、そうですか。では、いただいて帰ります」
今日のアルチーナ姉様は、不機嫌なお姉様でした。
二人分用意されていたのに、お菓子の皿は全部私の前に移動されてしまいました。
リザがお茶新しく淹れてくれましたが、お姉様はカップごと遠くに押しやってしまって、全く手をつけていません。
華やかな花の香りがする、お姉様好みのお茶だと思うのですが。本当に気に入らないようです。敏感なお姉様の鼻ですから、何か不快な要素を見つけてしまったのかもしれません。
でも、困りました。
リザたちは私がなんとかしてくれるのではないかと期待してくれたのに、全く役に立ちません。
控えているお姉メイドたちとネイラは、きっと気を揉んでいるでしょう。
何かできることはないでしょうか。
お茶を飲みながら、どこかにヒントがないかと視線を彷徨わせていたら、お姉様が無造作に手を振りました。
「お茶はもういいから、下がって。エレナと話がしたいのよ」
「は、はい」
メイドたちが部屋から出ていきました。ネイラも私に目配せをしてから部屋を出ます。
部屋の中には、アルチーナ姉様と私の二人だけになりました。
……緊張してしまいますね。
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