第28話 四つ葉のクローバー
バスケットの中にあった食事は、とても豪華なものでした。
馬車に戻った従者と御者には別に取り分けた分がありましたから、私とネイラだけでは持て余していたでしょう。
でも、運のいいことにグロイン侯爵様とご一緒できました。
侯爵様も、警備と称して離れて立っている若い騎士様も、お勧めするとパクパクとよく召し上がってくれました。見ていて実に気持ちがいいですね。
ありがたいことにバスケットは空になり、私は満足感に浸りました。
でも、重要なお仕事はまだあります。
四つ葉のクローバーを探さねばなりません。
何気なく近くのクローバーを見ていたら、敷物の上で寛いでいた侯爵様はすぐに気付いたようでした。
「また四つ葉を探しているのか?」
「はい。このあたりならありそうな気がして……」
そう答えかけて、ふと気付きました。
侯爵様は、今「また」と言いませんでしたか?
驚いている間に、侯爵様は一旦立ちあがり、少し離れた場所のクローバーの群生の横で片膝をつきました。
どうやら、四つ葉を探しているようです。
手伝ってくれるのでしょうか。でも、あの……マントが地面についていますよ!
「こ、侯爵様! 探すのは私が……!」
「ご馳走になった礼だ。おい、お前も手伝え」
「はっ!」
若い騎士も、嬉々として近くのクローバーを見ています。
こうなったら仕方がありません。私も一緒に探すことにしました。
「……伺ってもいいですか?」
「何だ?」
「なぜ、四つ葉を探しているとわかったのですか?」
「それは」
侯爵様は顔をあげました。
「以前、あなたが四つ葉を探しているのを見たことがある」
「……え?」
「もう四、五年前になるか。その時もこの公園だったな。姉君のためだと言っていた」
それ、間違いなく私ですね。
五年前、確かに私はこの公園で四つ葉探しをしていました。あの時は四阿の周りしか探せなくて、困っていたら兵士の方々が……。
「今日も姉君に差し上げるのか?」
「……はい、そうです」
「お姿がないが、アルチーナ殿は先に帰ったのか?」
「いいえ。今日は私たちだけで来ました。……でも、あの、お詳しいですね……」
「俺も四つ葉探しに参加していた。そう言えばグィドもいたな」
侯爵様は小さく笑いました。
愕然としていた私は、今度は驚いてそのお顔を見つめてしまいました。
そして……黒い髪に半分隠れた額の傷に気付きました。
そうでした。
あの日、手伝ってくれた軍人さんたちの多くは怪我をしていました。
グィド様がいたかどうかは覚えていません。
でも、頭部に包帯を巻いた人はいました。その人は右手にも包帯を巻いていていました。クローバーをかき分ける手が痛そうだったので覚えています。
頭と、手。
侯爵様の額と手の甲にも、傷跡がありました。
「……当時、頭と手に怪我をしていましたか?」
「戦闘を終えたばかりだったから、負傷していた気もするな」
では、やっぱりあの時の軍人さんは……!
どうしましょう! 私、今まで全然気付いていなかったのですが……!
「あなたが覚えていないのは当然だ。あの時は子持ちの騎士たちが熱心だったからな。泣きそうな顔の子供を見過ごせなかったのだろう」
「そ、その時の方々は、今も軍にいらっしゃるのでしょうか」
「半分はいる。残りは……」
侯爵様はそれ以上は言いませんでした。
でも、何を言おうとしたのか、なんとなく察することはできました。
侯爵様が決定的な出世をした戦争は、一年前に終わりました。ですから……諸事情で軍を離れただけの人もいるでしょうか、亡くなった人もいるのでしょう。
グロイン侯爵様はそういう環境にいるのだと、急に気付いてしまいました。
なんとなく目を上げられなくてクローバーを見やり、そして、ふと一本の葉を見つめました。
「……あった!」
可愛らしい葉が、四枚。
探していた四つ葉のクローバーです。
「僕も見つけましたよっ!」
「ここにもあったぞ」
若い騎士様が、誇らしげな笑顔で駆け寄ってきました。
侯爵様も私に差し出してくれました。
四つ葉が三本。
短時間にしては十分な収穫です。アルチーナ姉様も満足してくれるでしょう。
ほっとしながら用意していた紙に挟んでいると、侯爵様がマントについた草や土を払って剣を帯びなおしました。
「申し訳ないが、そろそろ失礼する。馬車まではそこの男に送らせよう」
「今日はお屋敷までお守りするように言いつかっています!」
「……そうか。では任せる」
「はっ!」
敬礼をする若い騎士にもう一度頷き、侯爵様は一歩足を踏み出しかけて……ふと私を振り返りました。
お見送りのために立っている私を、まるで初めて見るもののようにしげしげと見ています。思わず緊張していると、侯爵様はわずかに笑ったようでした。
「……本当に、立派な大人の女性になられたのだな」
「え?」
「俺にできることは限られていたが、あなたのおかげで動かせる力は増している。だから、あなたには可能な限り報いたいと思っている」
「でも、私は何もしていません」
「俺の妻になってくれた。それだけで十分だ」
侯爵様は私の手を取り、軽く持ち上げました。驚く私の顔を見つめ、やがて深々と腰を折りました。
手の甲に、ごくかすかに何かが触れました。
思いもしなかった事態にびくりと体が震え、大きな手はすぐに離れました。
私の手に触れたのが侯爵様の唇だったと気付いたのは、青いマントを翻すお姿がすっかり見えなくなってからでした。
「あら、もう帰ってきたの?」
「アルチーナ姉様」
屋敷に戻って自分の部屋へと向かっていると、お姉様がいました。
しばらく私をジロジロと見ていましたが、不思議そうに首を傾げました。
「早かったけど、それなりに堪能してきたようね。公園は楽しかった?」
「あ、はい。その、実は、偶然にグロイン侯爵様とお会いして……」
そう言いかけて、ふと気付きました。
「何よ」
「……もしかしてお姉様は、侯爵様が郊外の公園にいらっしゃることをご存知だったのですか?」
「はぁっ? 何を言っているの? おかしなことを言わないでちょうだい」
お姉様はふんと鼻を鳴らして自分の部屋へと行ってしまいました。
その後ろ姿を見送って、私は四つ葉のクローバーをお渡ししていないことを思い出しました。
でも、お姉様はどうなったかとは聞いて来ませんでした。いまさら持っていっても、いらないと言われるだけのような気もします。
これは押し花にしておこう。
そう思いながら、それでもやはり、お姉様はグロイン侯爵様のことを知っていたのではないかと疑う気持ちは捨てられませんでした。
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