第11話 侯爵夫人の部屋
「この壁掛け、とても素敵ね。でもこの部屋は日当たりが良くて明るいから、あまり合っていないわよ。私がもらってもいいわよね?」
「はい。もちろんです」
「あら、このドレスはとても綺麗だけど、色が全然ダメね。エレナには絶対に似合わないわよ。赤毛と相性が悪い色ですもの。こういう微妙な色は金髪以外には難しいのよね」
「よかったら、お姉様がお使いになってください」
「私の部屋の鏡、形はきれいだけど、古くて小さくて使いにくのよ。もっと明るい部屋だったらあれでもいいんだけど。そうだわ、この鏡と交換してくれないかしら?」
「……はい、喜んで」
ここ一週間、私の部屋で繰り返されてきた会話の一部です。
結婚式翌朝のお言葉通り、私の夫となったグロイン侯爵様は一度もこちらの屋敷に戻ってくることはありませんでした。
まるで初めからそんな存在はいなかったような、以前と同じ日常が、同じ顔ぶれだけで続いています。
誰も侯爵様がお戻りにならないことを気にしていないようで、なんだか不思議です。新婚のはずなのに、夫がいなくていいのでしょうか。
それとも、不在を気にしている私がおかしいのでしょうか?
そんな中、ただ一つの変化が、私の部屋です。
私は「グロイン侯爵夫妻のための部屋」で寝起きをしています。新しく与えられた部屋は、日当たりが良くて明るくて、窓から手入れをした庭が見える素晴らしい部屋です。
その心地よい空間に、グロイン侯爵夫人に相応しい格式のドレスと調度がたくさん用意されていました。
どれも一目で上質なものとわかります。
表向きより財政が厳しいメリオス伯爵家ですから、こちらはお父様が奮発したのではなく、グロイン侯爵が用意した支度金が元になっているのでしょう。
そして当然、アルチーナ姉様の好みのものばかり。
お姉様は毎日のように私の部屋にやってきて、ひとしきり一方的なおしゃべりをして、目についたものを持ち帰っていくようになりました。
おかげで、部屋は少しすっきりしてきました。
真新しくて豪華な調度は、質は良いけれど探せば傷がいくつもあるような古いものに変わりつつあります。ほとんど物がないのが私の部屋の「普通」でしたから、むしろ落ち着くと言えなくもない。
そして乳母のネイラが頭を抱えたように、ドレスはほとんど全部が私に似合いません。
似合わないものを無理して着るほどドレスを必要にしていないこともあり、ドレスはできるだけお姉様に使ってもらうことにしています。
ただ……鏡だけは、ちょっと惜しかったな。
そんな日が続いていた、ある午前のことです。
「このイヤリング、この前のドレスと似合いそうよ。こっちのブローチは赤い外套と合わせてみたいわね!」
「そ、それは……」
いつにも増して目を輝かせているアルチーナ姉様に、私は冷や汗をかいてしまいました。
お姉様が見ているのは宝石箱。厳重に保管庫に入れておくほどではなく、でも美しい宝石が使われたやや日常向けの装飾品が並んでいました。
お姉様が衣装部屋で宝石箱を見つけ出し、持ち出してきた時から嫌な予感がしていました。
でも、まさかそこまで、とも思っていました。
この宝石箱の中に並んでいる装飾品たちは、箱ごとグロイン侯爵様からの贈り物。それなのに、アルチーナ姉様が「お願い」一歩手前の状態になっています。
確かに、今までに差し上げたドレスや外套に似合いそうです。一緒に使う前提で用意されているのかもしれません。私には似合わないし、このまま宝石箱で眠らせるより、お姉様にお譲りした方が装飾品たちにとっても幸せだろうとも思います。
でも、侯爵様からいただいた品物を、勝手にお姉様に差し上げていいのでしょうか。
「お姉様、そのイヤリングとブローチは侯爵様から頂いたものです。所有権は侯爵様と言えなくもないですし、勝手にお譲りしていいものかどうか……」
「うーん、それもそうねぇ。たいして高価な物ではないし、成り上がりの野犬が宝石箱の内容を把握しているとも思えないけど、確かに後から所有権を主張されても面倒かもしれないわね」
珍しいことに、お姉様が引きました。
ほっとしたのも束の間、イヤリングを宝石箱に戻したアルチーナ姉様は、思慮深そうな顔をして頷きました。
「だったら、許可を取ればいいのよ。まずエレナがすべきことは、あなたの夫がどう考えているかを探ることよね。ついでに、いろいろ許可を取り付けておけば全てが解決してしまうんじゃないかしら?」
「え? でも、それは」
「あの成り上がりはこちらに来なくても、まだあと数日は王宮にいるはずだから、探し回る必要はないわよ」
侯爵様は王宮にいらっしゃるんですね。
でも……あと数日とは?
私がつい首を傾げると、アルチーナ姉様はふふんと鼻で笑いました。
「あの男、数日後には遠方に視察に行く予定なのよ。遠くまで追いかけるわけにはいかないし、今のうちにすぐに会っておきなさいね」
「で、でも、出発前なら、尚のことお忙しいのでは……」
「成り上がり相手に、遠慮なんて必要はないわよ。それに込み入った話なんだから、手紙より直接会ってするべきでしょう?」
まるで議論の余地のない、当たり前のことを言うような笑顔です。
……当たり前、なのでしょうか。
部分的には正論のような気がしますが、でもどこかに理論の飛躍があるような、ないような……。
「と言うことで、エレナ、お願いねっ!」
……どうしましょう。
私にはお姉様ほど自信がありません。
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