婚約者を譲れと姉に「お願い」されました。代わりに軍人侯爵との結婚を押し付けられましたが、私は形だけの妻のようです。
ナナカ
第1話 アルチーナの「お願い」
「エレナ、お願いね」
私はこの言葉を聞くのが嫌いです。
アルチーナ姉様は美人です。
完璧な美貌はもちろん、長いまつ毛に覆われた眼は晴れた空の色だし、蜂蜜のような金髪も完璧なほど美しい。
何でも持って生まれたと言われているのに、二歳年下の私にいろいろな事を「お願い」してきます。
例えば。
楽しみにしているお菓子。
伯爵家ではあるけどそこまで裕福ではないメリオス家は、甘いお菓子は日常に属するものではありません。
でもお客様が来たり、お祝い事があったり、そう言う特別な日にはたっぷりと甘いお菓子が出てきます。
メリオス家の料理人が腕を振ってくれたお菓子も好き。王都で人気の高価なお菓子も見ただけでわくわくします。いくつ食べていいのか。どんな味がするのか。明日の分もあるか、とか。そんなことを考えながらお菓子を見るのは楽しいです。
でも、そう言う時に「あら、美味しそうね」とお姉様がつぶやくのです。
私が慄いている間に自分の分を食べ尽くし、私のお皿に盛り付けたお菓子をじぃっと見た後に「ねぇ、お願い。少し分けて?」と言われてしまったら……。
断れません。
子供の頃の二歳差は大きく、どんなに嫌だと言っても奪われました。お母様は無関心な放任主義で、使用人たちはメリオス伯爵家の長女であるアルチーナ姉様に遠慮をしていました。
お父様なら、もしかしたらたしなめてくれたかもしれませんが、そもそも家にいません。
十代になったお姉様は力尽くで奪うことは無くなりましたが、代わりに最高の笑顔で「お願い」と言うようになりました。
だから私も、お姉様が好きそうなお菓子が出てきた時は、最初から手をつけない癖がつきました。
妹としての悲しい習性です。
他にも。
アルチーナ姉様は四つ葉のクローバーが大好きです。
幸運が訪れるという言い伝えはもちろん、あの形がお好きなようです。だから、クローバーの群生を見かけるたびに四つ葉探しを始めます。
我が家の庭にもクローバーはいっぱいありますから、アルチーナ姉様はふらりと探し始めることがよくあります。
お勉強の時間であろうと、屋敷にお客様がいらしている日であろうと、四つ葉が欲しいと思ったらお構いなし。当然のように私は四つ葉探しを手伝わされ、挙句にこう言われるのです。
「もう飽きちゃった。エレナ、私の代わりに四つ葉を探してよ。お願い!」
もちろん断れませんから、私は見つかるまで続けなければなりません。
お勉強の時間をさぼったと怒られたり、お客様への挨拶を怠ったと怒られたりするのはよくあること。冬なら風邪を引くこともあったし、夏に日焼けで顔が真っ赤になったこともありました。
馬車で出掛けた郊外の公園で、どこにもクローバーが生えていないのに四つ葉探しを「お願い」されたこともあります。
よほど見かねたのか、強面の軍人さんたちが遠くにあったクローバー群生まで案内してくれました。額と手に包帯を巻いた人とか、足にギプスをつけた人とか、負傷している人が多かった記憶があります。
あの時は、公園に詳しい人がいて幸運でした。
いろいろ苦労はありますが、アルチーナ姉様が喜んでくれれば充実感が得られます。
でも、だいたいは「いつまでやってるの?」と笑われましたし、「なによ、私が悪いとでも言うのっ?」と怒られたことだってありました。
本当に、アルチーナ姉様の「お願い」はろくでもありません。
でも四つ葉探しは、まだマシな方でした。
いつまでも見つからないこともありますが、コツを掴めば一つくらいは何とかなります。それに、夜まで探して熱を出してから、使用人たちが無理矢理に止めてくれるようになりました。
アルチーナ姉様も、一晩経てばだいたい忘れてしまいます。
慣れてしまえば、何とかなるものです。
それより。
今までで一番大変だったのは、家庭教師が出した宿題を「お願い」された時。
もちろん、アルチーナ姉様の分です。
二歳上のお姉様の勉強内容は、私には難しすぎました。それでも断れないから一生懸命に勉強しました。
元々期限ギリギリで押し付けられたのですから、泣きながら徹夜をしても間に合いません。ロエルが手伝ってくれても時間が足りなくて、結局、家庭教師に一緒に謝ってくれたのはロエルでした。
運良く、私が叱られることはありませんでした。
でも、それ以降、なぜか私にアルチーナ姉様と同じ内容を教えられるようになりました。
そのことを後で聞いたロエルは困った顔をしていましたが。やっぱり、これっておかしいですよね。
……それでも。
今までの「お願い」は、かわいいものだったと思い知ってしまいました。
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