第10話 誤解
数分後。
「ごめんな二人とも。さっき解散したばっかだってのに……」
道中で鉢合わせたのか、俺が着いてから数分のうちに二人そろって公園へと入ってきた。
申し訳なさに押苛まれながら、俺は小さく頭を下げる。
「いやまあ、さすがに少しは驚いたけどよ、なんか只事じゃない感じはしたからさ。どうせ夕飯までまだ結構あるし、多少なら話聞かせてもらいますぜ」
「そうそう。それにこんな時間にいきなり呼びだされるなんて珍しいし、むしろこういうのもたまにはいいかも、なーんて」
普段と明らかに違う様子に何かを察したのか、明るい口調で言葉をかけてくれる二人。
二人の到着まで眺めていたスマホの画面、その時映されていた時刻はちょうど十九時だった。
あまり時間は掛けられないだろう。母親ももうじき帰ってくる。その時俺がいなければきっと岩原さんが責任を感じて、先ほどのことを話すなんてことも十分あり得る。
せめて母親がいるときだけは、俺が原因で家の中に気まずい空気を生みたくない。
そのためにもここは手早く済ませなければいけない。いけないのだが――。
そもそも俺は二人に話を聞いてもらってどうしたいのだろうか。
ただの考えすぎであるという確証を得たくて、正面から『あるかもしれない万が一の可能性』を否定してほしいのだろうか。
理屈ではもう答えが出ているはずなのに。
単純に吐き出したいだけ、なのかもしれない。
とにかく。
早速話をしようと思い、例の大樹の脇にあるベンチに腰掛ける。
完全に日の落ちた後の公園周辺に来たのは、あの子猫を助けたとき以来だ。そもそも日が落ち切ったあとに公園にくることはほとんどない。相変わらず不気味な静けさがあったが、他に連れがいるというだけで、むしろどこか落ち着いた穏やかな空間にさえ思えるのだから不思議だ。
ただ今はそんな気分さえかき消えてしまうくらいには、雑然とした感情で一杯だった。
「して、今回はなにがあったのかね?」
少し間隔を空けてベンチに腰掛けた巡莉は俺に話を促す。
右前方に聳えるジャングルジムの、入り口として使われているであろう縦長の穴。その下部の鉄棒にバランスよく座りながら、ムックも目線で俺の開口を待っている。
「ああ、まあ簡単に言うと――」
俺は先ほどの出来事の流れを、なるべく私見や偏りのないように事実そのままに話した。
あくまで俺自身の主観でしか語れないため、印象を誘導するような言い方は控えたかったのだ。
「でまあ、さっき家を出て今こうして二人に来てもらってるんだけど……」
「なるほど……。うーん、なんというか、単純なような、難しいような……」
そう言いながら八の字眉の巡莉は腕を組んだ。
単純なようで難しい。俺の心中を端的に表す言葉だった。
しかし、それをさらに具体的に言語化する男が、そこにいた。
「事実だけ見りゃもう分かり切ってることではある。けどその光景を見た気持ちまでは簡単に処理しきれない。ましてや住み慣れた家の中で起きたこととなれば……そんなとこか?」
「……おまえ、すげえな」
この間ヘタクソな例えをしていた男と同じ人間とは思えないほどだ。
「おー……。 さすが国語だけはちょっと得意なムック」
「ちょっとは余計なんだが?」
素直に感嘆の声を漏らす俺とは対照的な巡莉の茶化しに、すかさずムックが返した。
「結局俺はこの気持ちをどう消化して、またいつも通りに戻ればいいのかわかんなくてさ……」
ムックのおかげで、俺が今なにをどうしたいのか――それが自然と口から零れた。
「ゆっくり時間使って処理するしかないんじゃねえか? そもそもよ、言い方はよくないかもしれないけど、そのイワハラさんってのはお前にとっては家族に入ってきた異物みたいなもんだとも言えるんじゃね?」
「異物……」
「巧の姉ちゃんはさ、いい意味で利口で大人なんだと思う。だからすぐに割り切ったり順応したりってのができるんだろうよ」
「そうだよねぇ。年上の兄弟って何かとしっかりしなきゃーってなるもんだし、尚更じゃない? 巧本人じゃない私でも、いきなり他人を受け入れることの難しさくらい、なんとなくは想像つくし」
ムックの『異物』という指摘に俺はどこかしっくりくるものがあった。母は当然ながら、姉でさえ知り合って幾許も無い相手と打ち解けている――少なくとも俺からはそう見えている。
だからこそ余計に、自分がそう振舞えないことに対して焦燥感を覚え、身の丈以上の対応を自身に強いていたとしたら。
俺はそんな自分を無意識に家族内の異物のように思っていたが、そうじゃない。
本来『向こう』が異物である、そう考えるのが自然なんだ。
巡莉の言うように、姉という立場上俺よりも気を遣いがちになってしまうことだって、今思えば想像に難くないはずなのに。
これはきっと巡莉に妹がいるからこその観点とも言える。
――きっと俺は自分で自分の視野を狭めていたのかもしれない。
姉がそうであるなら、自分もまたそれが当たり前である。いや、当り前じゃないといけない。
そんな固着観念が、気づかぬうちに形成されていた。
この二人によってそれがこじ開けられ広がった、そんな実感があった。
「そう、だよな……。俺、ちょっと焦ってたのかも……」
「普通なら巧みたいになるのが当たり前だと思うんだけどね。だって顔合わせたのだってついこの間なんでしょ? ムックのいう通り時間が要るんだよ。ね?」
「そういうこったな。第三者の俺たちがあんまり知ったことは言えねえけどさ、まずは相手を知る期間が必要だろ。じゃなきゃ、さっき遭遇した場面ってのだって消化するには材料不足すぎるしな」
そういってムックは『ははっ』、と小さく笑った。ムックなりに暗くならないようにしてくれているのだろう。
「お姉ちゃんはお姉ちゃん、巧は巧なんだから」
「……ああ。ありがとな、二人とも」
「こんくらいならなんてことないよ。いつでも頼りなさ~い」
「そうそう。まさにお悩み相談室ってな」
笑顔でそう返してくれた二人に、自然と俺も笑顔になった。感謝してもし切れないな。
ここ最近は二人に感謝するようなことが多いような気がする。
改めて、二人が友達で良かったと心から思った。
俺もいつか二人に返せるように、力になれる時があればいいんだけど。
「あ、そうだよ。せっかくここにいるんだしさ」
何かを思い出したように声を上げたムックは、いつの間にか数段上っていたジャングルジムからぴょんと飛び降り、着地と同時に言葉を続けた。
「ほら、そこの木の下んとこの」
そう言って指し示した先は、あの大樹の根元だった。
「あーなるほど! あの根っこのとこの穴か」
ムックの意図に気づいたのであろう巡莉が納得したような声を上げる。
巡莉の言葉を聞いて、俺も『それ』に思い至った。
「あっはは、まさにうってつけじゃん!」
「まあ、確かに丁度いい、のか……?」
俺としては二人ほど気乗りするものではなかった。
公園にそびえる大樹。実はその根元付近に、ぽっかりと大きな穴が空いているのだ。
いつからそこにあるのかはわからないが、とある噂が言い伝えられていることを考えると、それなりに前から存在しているのではないだろうか。
その『噂』というのが、その穴に頭を突っ込んで心の内を叫ぶことで心が軽くなり、剰え悩みであった場合は好転する――というものだった。
神社の付近に生えているからこそのご利益なのか、あるいはこの木が元来持つ力か。
そもそもそれ以前に効果があるかどうか自体が甚だ疑問ではあるのだけど。
「やっても損はないだろ? 取りあえずさ、な?」
「うんうん、こういうのって気持ちの問題が大きいしね」
妙に乗り気な二人に促され、しぶしぶ木へと向かう。
……こいつら、半分面白いもの見たさで言っているんじゃなかろうか。
穴はちょうど神社に面するように空いており、俺たちはそちら側に九十度ほど回り込む。
街灯の微かな明り程度では届かないくらいには深さのある穴が、目の前に現れる。
以前日中に見た時の記憶だが、平均的な成人男性が体を丸めて入って、まだ少し余裕が有るくらいの大きさだったように思う。俺の身長だったら、立った状態で臍あたりまで入りそうだ。
穴の周囲をよほど太く頑丈な根っこが支えているのか、これだけの大きさの穴が維持されているのをみるとなんだか神秘的な雰囲気を感じた。
「おー、相変わらずなかなかにご立派な穴だな――中は全く見えないけど」
「逆にむしろそれがいいんじゃない? 全部飲み込んでくれそうで。ささ、巧。どうぞひと思いに」
「なんだよそれ……」
巡莉のどこか年寄りくさい催促に嘆息しつつ、俺は穴の前に膝を折る。穴の入り口付近の地面に手をつき、浅く頭を潜り込ませた。
闇。
ひたすらに、終わりを感じさせない漆黒が広がっている。
おおよその大きさは把握しているはずなのに、そんな印象が俺の頭を満たした。
自身の腹部を見るようにして後ろの様子を窺う。
上下逆さになった巡莉とムックが、屈みながら俺の脇の隙間からこちらを覗き込んでいる。
向こうからは俺の顔は見えているのだろうか。
試しにちょっとした変顔をしてみた。が、反応はなかった。どうやら見えていないらしい。
「よーし、じゃあいくぞ」
二人に始める意思を示すように声を上げる。
「おう、ばしっといっとけ!」
「すべてさらけ出しちゃえ~」
「……なんか恥ずかしくなってきたぞ……」
応えに困る後押しを背中に聞きながら、俺は呼吸を整える。
意を決して深く息を吸うと、気恥ずかしさを振り払うように思いの丈を吐き出した。
「――少しずつでいいから、新しい家族の形に馴染めますようにー! それと、俺なりに岩原さんとも打ち解けられますように~‼」
その声がなんだか、全て余すことなく穴の底へと吸い込まれたような、そんな錯覚を起こした。
とはいえ、当然後ろにいた二人には聞こえていたわけで。
「いい叫びだったね~。腹から出てたね」
「漢らしい気合の入った一発だったぜ」
余韻に浸る俺の後ろから、拍手であろう音とともにそんな言葉が入ってくる。
(相変わらず好き勝手言うよなこいつらは……)
謎のノリに呆れつつ、体を引こうと腰に力を入れた。
しかしその時、何かが俺の臀部を押さえ、遮った。
感触からして、恐らく手だ。
両手でそれぞれ左右の臀部を押さえられている。
「お、おい。何ふざけて――」
そう言って振り向こうと、首を捻ろうとした時だった。
「そりゃっ、俺たちからの気合注入だぜ!」
その声とともに、臀部の掌に力が加わる。
「なっ――」
それは、俺が穴の中に転がり落ちるには十分なものだった。
ふと、体育の授業を思い出した。
前転をする時、臍を見るようにすると上手く転がれる。
今まさに俺はその体勢で転がり落ちようとしている。
なんだろう、この藪から棒な記憶の想起。
やけに覚えがあった。それもつい最近の出来事だ。
(あ……子猫のときの――)
それを自覚した瞬間、全身に以前の比ではないほどの悪寒が駆け巡った。
骨の芯まで震えさせるような、不快なまでの寒気。
そして同時に、意識がひどくゆっくりになっていることにも気づく。
視界がほぼ暗闇であるため認識が遅れたが、体の感覚がそれを物語っている。
どういうことだ。
これじゃ、まるで。
まるで――今から死ぬみたいじゃないか。
前回のことに鑑みれば、同じような状況に陥っていることはどことなく想像がつく。
ゆっくりと転がっていき、徐々に後方の視界が開けてゆく。
逆さに映るムックが、いたずらっぽい笑みを浮かべ両腕を突き出している。
その横で、僅かに驚きの表情でこちらを見やる巡莉。
きっと、俺が気まずくならないように穴に落として、出てきたところで冗談でも言おうとしてたんだろうな。
最後まで気を遣うやつだよな、ほんと。
というか、『俺たち』じゃなくてムック一人じゃねえか。
こんな状況にも関わらず、なんとも暢気な思考が浮かんでくる。しかしすぐに逃れ得ぬ現状に引き戻された。
今回はきっと無事では済まない。先ほどの悪寒で、俺はなんとなくそう察していた。
あの時のように、不思議な力で助かるような幸運は多分訪れない。
こんなタイミングで、そりゃないだろう。
もしこれで俺が死ぬようなことになれば、ムックはもちろん巡莉も責任を感じるはずだ。ただの、事故なのに。
それに、岩原さんだって。あんなことがあってからのこれだ。間違いなく自分を責めることになる。そのせいで母さんや姉ちゃんが気に病んだりしたら。
どうにかなんないのかよ。あの石だって今持ってるんだ。助けてくれよ。この石を貰ってから、俺も新井も命が助かったじゃんか。だったら今回だって――。
あれ。
この石をもらってから、助かってるけど。
死ぬような目に合ったのも――。
新井は仮面の男に助けられて。
俺はよくわからない謎の現象で助かって。
助かり方はまるっきり別だけど。
死にかけたって点は、共通している。
であるならば。
そんな。嘘だろ。ありえない。
俺は『その結論』に達し、必死に否定した。
あくまで可能性の話だ。それに、裏付ける根拠も少ない。
そう、俺の出した仮定でしかない。なんなら直感と言ってもいい。
――死に際の、研ぎ澄まされた直感。
なぜこうも、確信めいているのだろう。
これじゃあ、尚更ムック達がバカを見ることになるじゃないか。
仲間への善意で行ったことが、死に利用されただなんて。
ふざけんな。こんな。
(こんなのって、ねえだろ……)
もうすぐ、この時間にも終わりがやってくる。
そして、俺もまた、終わる。
今際の走馬灯なのだろうか、思い起こされた記憶は三人で回したデカマ・ライオンのカプセル自販機のものだった。
(ほらな、ムック、巡莉。黄金のミサイルを当てられたのは三人の力あって、だったろ……?)
心の中で、伝わることのない想いを、それでも届いてほしいと念じながら――。
鋭い激痛を刹那の間後頭部に感じると、視界に弾ける鮮烈な火花を最後に。
――俺は、闇に墜ちた。
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