第9話 不意打ち
「ほんじゃまた明日なー」
「ばいばーい。あ、巧、ライオンありがとね。大収穫でした」
「いいってことよ。お礼なんだから。てか俺たち三人の力だからな」
「あっはは、まーた言ってるよ」
「はいはい、じゃあそういうことにしときますよー」
「それじゃなー」
俺たちの家のちょうど中心あたりに位置するこの公園は、朝の集合だけではなく、こうして帰宅する際の解散地点にもなっている。
ムックと巡莉の別れの言葉に冗談交じりに返し合い、それぞれの家へと別れた。
スマホにぶら下がる、迷彩柄のミサイルに跨るライオンを眺める。力の抜けるような微笑に、こちらまでなんだが笑顔になってしまった。いや、きっとそれだけではない。
なんてことのない一日の思い出を振り返って、それでもやはり三人で過ごす時間は楽しいものだと思った。そんな記憶もまた、俺を元気づけ笑顔にしてくれるんだ。
これでますます前向きな気持ちになれそうだな。そんなことを考えながら歩いていると、気づけばもう我が家がそこに見えていた。
まだほんのりと光を帯びる空を背に、俺は自宅の玄関を開ける。
「ただい――ん?」
中に入りふと足元を見ると、見慣れない靴が土間の隅に揃えて置かれていた。
大きさや形状からみるに男性用のものだろう。
(……誰か来てるのか?)
少し間を空けたところに姉の濃紺色のローファーも見える。今日はバイトは休みとか言っていたっけ。
俺も適当な場所に靴を揃えて脱ぎ、人の気配のする居間へと向かう。
そろそろ母親も帰ってくる頃だ。もしかすると岩原さんが来ているのかもしれない。今日は家にいる姉が応対したといった感じだろうか。
外から俺に連れられて入り込んだ、ほんのり蒸し暑さの残る空気を振り払うようにして居間に足を踏み入れた。
それと同時か、或いはほんの僅かだけ先んじて耳に入ってきた声。
「ひゃっ――」
姉の千雪のそれだった。
直後に視界に入ってきたのは声の主である姉と、まさに俺が予想していた人物――岩原さんだったのだが。
「…………」
俺は挨拶どころか声を出すことさえできなかった。
さすがに目の前の光景までは予想していなかった。
居間の入り口から少し奥、キッチンへの入り口の更にもう少し先にある食べ物等が入った棚の前。
高所のものを取り出すときによく使う木の台の上に、姉はつま先立ちで立っていた。いや、これだけアンバランスな姿勢を『立っている』と表現していいかは些か疑問ではあるけど。
仰け反らせたその体に後ろから抱き着くようにして、岩原さんが姉の背中に顔面を押し付けていた。
ちょうど体をひねりこちらを向いた姉が、俺に気づく。
「あ、巧おかえり! い、いや、それよりも岩原さん大丈夫ですか⁉」
「ふぐ、あ、ああ、こっちは全く問題ないよ。千雪ちゃんはケガしてない?」
少し焦り気味に、それでも優しい手つきで姉の背中を押し返す岩原さん。鼻頭がわずかに赤くなっていた。結構強かに打ち付けたのではないだろうか。
姉もバランスを取り戻し、慎重に足場から降りる。その手には来客用の少し良い紅茶の缶が握られていた。確か上の戸棚の奥のほうにしまわれていて、以前母が客をもてなす際に淹れていたような気がする。
「は、はい、お陰様で……。すみませんでした。あ、その、鼻も少し赤くなってますし……」
「それなら良かった。俺のは全然大したことないから、はは」
安堵したようにそう告げてから、はっとした顔でこちらに向き直る。
「あっ、巧くんこんばんは……! 岩原です。お母さんにちょっと用があってお邪魔させてもらってます。突然で申し訳ない」
苦笑気味に軽く頭を掻いた岩原さんは、そう俺に挨拶する。
「あ、こんばんは。えっと、もうすぐ帰ってくると思うんでゆっくりしていってください」
とりあえず反射的に無難な対応をしたが、内心の動揺を嫌でも自覚していた。といっても、冷静に考えてこの状況に至った経緯は大方想像がつく。
「いやぁ、お茶淹れようと思って上から取ろうとしたんだけどね、バランス崩して危うく転げ落ちそうになっちゃって……」
「さすがにちょっと見てて心配だったからさ、代わろうかと思って後ろに居ておいて良かったよ……はは……」
それにしてもタイミングが絶妙すぎる。俺が帰宅したところでのこの出来事。ただの事故であることは明白だし、岩原さんに他意がないであろうことも疑ってはいない。
だが所詮俺も十四の子供だ。どうしてもあの一瞬の光景に、拭い切れない気持ちの悪さや精神的異物感を感じてしまっている。
そのまま平静を装いこの家に居続けるのは、どうにも辛いものがある。これが一時的な感情であっても、とにかくこの場を離れたいという気持ちがじわじわと湧いてきた。
「あ、ちょっと飲みもん買ってくるわ。近くのコンビニ行ってくる」
そうして出た言葉がそれだった。なるべく自然にこの場から離れるため、努めて落ち着き払って言ったつもりだった。それでも流石に少し露骨だったかもわからない。察しのいい姉に対してであれば尚更。
「え? 今から?」
「そんなに時間かからないから大丈夫」
驚きを含んだ姉の声を背中に聞き、振り向くことなく俺も返す。
焦りを悟られないよう、不自然にならない程度に時間をかけて靴に足を通すと、俺は帰ったばかりの家を出た。
小走り気味に距離を空けたところでスマホを取り出し、いつも使っているチャットアプリを起動する。
迷わず開いたグループは、やはり『いつもの三人』のそれだった。
そこに一言。
『悪い。今から公園来れるか』
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