第6話 布石
数分の距離でさえ若干の焦りを覚えるほどには時間も遅くなっていたため、俺は小走り気味に家路を急ぎ我が家の窓を一番に確認する。
暗がりのみが浮かぶそれらを見るに、母親はまだ帰っていないようだった。まだ夕飯などの買い物をしているのかもしれない。
カバンから引っ張り出した鍵で手早く開錠し家に入る。靴を脱ぐと同時に玄関の明かりをつけ、流れのままに左手のリビングへと向かい残りの照明を灯した。
テレビ上部の壁につけられた時計を確認する。六時五十六分。いつの間にこんな時間になってたのか。
(もう七時前じゃねえか。夏の部活終わりでも六時半には家に着いてるからな……)
母子家庭ということもあり、俺は親に心配をかけるような行動は控えるようにしている。夜七時以降に外出することはまずないため、この時間に帰宅すること自体が俺にとってはやや焦りを感じさせる。姉はアルバイトをしているため夜九時前後に帰ってくることもあるが、そのあたりは正当な理由として母親も理解を示している。
「……っと、とりあえずさっさと風呂入っちまわねえと」
夕飯前に風呂に入るのが一応の我が家の決まりになっている。俺は階段を駆け上がり二階を通り過ぎると、そこからさらにもう一階上がり階段の先にある扉を開けた。
その向こうは屋根裏部屋のようになっており、ここを俺の自室として使っている。正直広さはあまりないが、一人用の部屋としてはむしろ落ち着く丁度いいスペース感だと思っている。
鞄を下ろし、机の前の椅子に腰かけ一息つく。
「ふぅ~……。俺、生きて帰ってきたんだよな……?」
どうも未だに現実感が希薄な気がして、俺は自分に半ば言い聞かせるかのように呟いた。
気持ちを整理するためにも、改めて先ほどの一件を思い返してみることにした。
子猫を助けて、それで木から落ちて、地面に首を打って、もう終わりだと思ったら痛みも衝撃もほとんど無くて—―。
こうして何事もなかったように、生きている。
原因はさっぱりだが、とりあえず考えられるのはこの透き通る石、なんだと思う。
俺はポケットから取り出したそれをそっと机上に置き、まじまじと見つめる。造り付けの机上ランプを点灯し、さらに細かく観察する。
見た感じでは曇りの混じった水晶のような感じにも取れる。どちらにせよこの石が何かしらの不可思議な力なり加護なりを具えている、ということか?
「いや、さすがにファンタジーすぎるかぁ……?」
しかし先ほどの出来事がそもそも現実離れしすぎているしなぁ。石を譲り受けた矢先のこれだ。どうしてもこれに原因を見出したくなってしまう心理が働くのは、仕方のないことに思う。それが実は落とし穴、なんて可能性がないこともないが。考えてもキリがないか。
もはや今ある情報から答えがでるとも思えない。二人にこのことを話すべきだろうか。なんなら新井も交えて。
……いや、やめておこう。
何か具体的な理由があるわけでも、話したくないという感情的な要因があるわけでもない。
ただ何故か、まだ話すべきではない、という妙な直感が頭に響いたからだった。
あまりにも馬鹿馬鹿しい動機に思えるが、同時に話すほど重大な出来事でもないと自分に言い聞かせた。こうして今生きているのだし。
それに、不明な点が多すぎる今回の出来事を話せば、却って混乱させかねない。ただでさえ親のことで話を聞いてもらっているのだから。
目下の悩みが解決したら、また話せばいいよな。
そんなことを考えながら、俺は風呂の準備を済ませる。
一階まで再び下り、母が未だ帰宅していないことを確認しシャワーを浴びつつ、あれこれと思考を巡らせた。
そもそもこの周辺地域がどこか
なんの目的か、年齢問わず人を誘拐していたことが判明し強制捜査が行われたとかだったか。
いつの間にかそんな話題もなくなって幾何もないうちに、またしても失踪事件が発生。これに至っては今日まで原因不明ときた。
人が消えすぎだろこの町。それも、噂ではあれど失踪者の年齢が下がってきているという話も気味が悪い。
この石がそういった現象からも護ってくれるのだろうか。そう期待したい。
考えに没頭して長風呂になるのもよくないと、俺はシャワーを手早く済ませあがることにした。これ以上は、徒に不安を増長させてしまうだけの気がした。
それからはいつも通り、帰宅した母と夕飯を摂り、部屋に戻って宿題を片付けた。母からは『お相手』に関しての言及はなく、意外なほどにいつも通りの夕飯だった。それがなんだか逆に違和感にも思えたのは、俺のほうが神経質になっているからなのだろうか。
やるべきことをすべてやり終えて、ようやく本当に人心地ついたといった気分だった。
寝るまでの自由な時間は、漫画なりゲームなりを楽しんで潰すのが常だったが、今日ばかりは集中できそうになかった。気を紛らわすには少しばかり今日の出来事の余韻が残りすぎているのかもしれない。
ベッドに横になり、鞄から引っ張り出したスマホをつける。ポニーアンダーソン製のエスパーダ・グレイ。小さくて細長いこの機種は、中学生の俺には妥当なスペックだろうと思っている。
いざスマホをいじろうと画面をつけてはみたものの、やることなど精々ゲームのログイン程度のもので。
場合によってはそれすらもやらずに、特に意味もなく画面をいじるなんてこともある。意外とこういう感じの人って多いんじゃなかろうか。なんだか依存症っぽい気がしなくもないし、あまりいい傾向とは言えないのかもしれない。
「……あ、そうだ」
俺はあることを思い立ち、ベッドから起き上がる。
先ほど置いたままにした机上の石を動かし位置を調整する。そのまま適当に良さそうな角度を見つけると、スマホのカメラでそれを撮影した。
「うん、なかなかいい感じに撮れたんじゃね」
これといった目的もなく撮っただけだが、一応の記念として一枚記録しておこうと思ったのだ。こういうよくわからない記念撮影を俺は時々行う。普段あまり写真を撮らない身として、せめて何かしらの写真でアルバムを埋めようという、おかしな心理でも働いているのかも。
それから改めて石の中までじっくり眺めてみる。水晶っぽいとは思ったものの、どうにも少し違う気もする。よく見たらほんのり紫がかっているように見えなくもない。
「うーん。ほんとにお前が助けてくれたのか……? だとしたらまじで本物の――ん?」
俺は目を皿のようにして石の中を覗き込む。
新井に貰った時の記憶を呼び起こし、目の前のそれを頭のなかで照らし合わせる。
気のせいだろうか。
何か、中身の曇りや粒の位置が、若干変わってる?
いや、さすがにあり得ないよな。中身が液体だったらともかく、明らかに固体だ。何かしらの結晶であるという前提での話だが。
そもそも俺の記憶だってそんなに確かなものじゃない。記憶力にはさほど自信はないのだ。中の細かなパターンなど、そもそも詳細に把握していなかったのだし。
「いろいろありすぎて考えすぎてんのかな……」
想像以上に神経が高ぶっているのか、それとも実は頭を強かに打っていて記憶が混乱しているか。
さすがに前者であることを願いたい。こういうのって後から症状でてくるのが怖いとか聞いたことあるし。
「……だめだ。やっぱこういうときはさっさと寝ちまうに限る」
明日は遅れるわけにはいかないし、なにより今の俺に必要なのは心身共に十分な休息なのだ。
俺は早々に布団に潜り込むと、あれこれ考えないように目を固く閉じ、静寂に身を委ねた。興奮してしまって寝付けないかもしれないという心配があったが、疲労ゆえだろうか、意外にも呆気なく俺の意識は眠りへと沈んでいった。
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