序章 誘い
第1話 明暗
下り坂な空模様が必然的に多くなるこの時期に、珍しく晴れ間が覗くらしい。そんな気象予報を伝えるテレビの音声を思い出し、それでも念のためと折りたたみ式の傘を通学鞄に突っ込む。
梅雨の間の予報は正直アテにならない。じゃあそれ以外の時季の予報は信ぴょう性が高いのかと聞かれれば、それもまた何とも言えないのだけど。
などと考えながら俺は階段を駆け下り玄関へと急ぐ。砂埃で茶ばんだ運動靴に足を滑り込ませ、何度がくねらせる様にして、どうにか潰れた踵を持ち上げた。
普段であれば姉の
玄関に設置された下駄箱、その上に置かれた小さなウサギ形のアナログの置時計を一瞥する。
「っと、やばいやばい、多分もう二人とも来てるな……。いってきまーす」
「あ、いってらっしゃい。多分雨降るかもだから、道路とか気をつけなさいね」
「分かってるって。ここんとこほぼ毎日それ言ってんじゃん。それに、一応今日は晴れるかもって話だろ」
居間の母と挨拶を交わし、俺は少しばかり急ぎ足でいつもの待ち合わせ場所に向かった。
薄っすらと湿り気の残る路面を眺めながら、俺は近所の公園を目指す。家から徒歩約七分の距離に位置する『ウサギ公園』。そこで毎朝幼馴染の友人二人と待ち合わせをし、通学を共にしている。
いつもなら大体同じ時間に三人揃う所だが、今日は少しだけ遅くなってしまった。昨晩なかなか寝付けなかったのが明らかな原因なのだが。というのも――。
「お、やっと
「ちょっとぉ、遅いんですけど~?」
公園に差し掛かったところで、二つの声に思考を遮られる。
少し恰幅のいい丸顔の少年と。
小柄な、肩口あたりで切りそろえられた濃茶の髪を揺らす少女。
「いやぁ悪い、軽く寝坊しちゃって」
「ほーん、珍しいじゃん。いつもは俺らより早く来るほうが多いのに。んま、そういう日もあるか」
俺の言葉にあっさりした反応を返したのは宮瀬椋次――通称ムックだった。細かいことは気にしない質であり、そんなさっぱりしたところが魅力の幼馴染だ。
「まあ、そんなに大幅に遅れたってわけでもないし? 大目に見てあげますかね~」
それとは対照的にどこか偉そうな態度で口元に笑みを浮かべるのが栗原巡莉。まあこれも一種のお決まりのやり取りのようなものなので、俺もまた芝居がかった口調で返す。
「はは~っ、ありがたき幸せー」
「清々しいまでのわざとらしさ、嫌いじゃないけどね。ま、とりあえず行こっか。言い訳は道中で聞こう」
「なんだその署で聞こうみたいな言い方……。でもあんまし気軽に話せるような内容でもないっていうか……。放課後でもいいか?」
「え~? ……なんてね。まあ何かしら事情がありそうな感じだし? それで良しとしましょ」
「そういうことなら俺はそれでいいぜ。タクムンのための放課後お悩み相談室ってな、へへ」
俺の浮かない語気から何か察したのか、二人はいつもの調子ながらも俺を気遣ってくれていることがわかる。付き合いがそれなりに長い分すぐに分かってしまうんだろう、お互いに。
「てかタクムンってなんだよ」
「いいじゃんタクムン。かわいいじゃんタクムン」
いたずらな口調でムックに乗っかる巡莉に、俺も言い返してやることにした。
「ほーん、クリリンにそんなこと言われると照れるなぁ」
「な、ちょっと、その呼び方はなしって言ったでしょ⁉」
「ん? その呼び方って……クリリンのことかーーっ‼」
「それ以外何があんのよ! それやめろって言ってんの!」
「まあ落ち着けよ、クリリン」
「あんたもかムック!」
そんないつものくだらないやり取りを交わしながら、見慣れた通学路を往く。ここから俺たちが通う
そんなことを考えつつ歩くこと数分。駅前と学校方面、そして繁華街への道を繋ぐ大通りの十字路に差し掛かる。その一角に小さな人だかりが出来ているのが目に入った。
「ん? なんだありゃ……。こんな朝っぱらからなんかあったのか?」
ムックが訝しげな表情で呟く。
「事故かなんかかなぁ。うーん、ちょっと時間的にやばそうだけど少しだけ見てかない?」
「は? まじで?」
巡莉の野次馬根性満載の提案に素っ頓狂な声が出る。俺のせいとはいえ、のんびり見ていくほどの時間的な余裕があるとは言えない。通りすがりにちらりと覗くくらいの時間は辛うじてあるだろうけど……。
「まあちょいとギリギリの時間になりそうだけど大丈夫じゃね? 最悪走れば行けるだろ」
確かにムックの言う通り、遅れそうなときは毎回小走りで向かっており、今までも朝の清掃前には教室にたどり着くことは出来ていた。
「そう、だなぁ……。分かったよ、少しだけ見るか。パパっと見てすぐ学校いくんだからな」
「へへ、決まりだな」
「んじゃ行きますか! さてさて、何があったんですかっと」
食い気味に先導する巡莉の後を俺とムックがついていく。巡莉のこういう何かあれば真っ先に確かめに行く性格は昔からで、いつ変なことに巻き込まれるか少し心配だったりする。
結局毎回付いていくあたり、俺もあまり人のことは言えないんだけど。
俺たちは人だかりの出来ているフラワーショップの前に向かうと、6,7人ほどの、おそらく近隣住民であろう集団の輪に囲まれた地面を覗き見る。
そこに転がっていたのは、青いじょうろだった。中に残っていたであろう水が零れ出し、周りにシミを作っている。そしてその隣に茶色い大小の破片が多数散らばっている。大き目の植木鉢あたりが割れたものといったところだろうか。そして無残に飛び散った土と共に、中身の色とりどりの花もその中心に横たわっていた。
しかし、それだけだった。そのふたつ(一つはバラバラになっているが)のものを囲うようにして数人の人間が立っていたわけだ。
「……なんだこりゃ。ただのじょうろと粉々の植木鉢? じゃんか」
俺の胸中をそっくりそのまま代弁してくれたムックの顔には、ほんの僅かに落胆の表情が浮かんでいた。
俺自身少しは非常事態を期待していた部分は否定できないのも事実ではあるが、とはいえ何もないに越したことはない。そういう感情はせめて心の中に留めておいてほしいもんだ。
「でも、じゃあなんでこんなに人がいるわけ?」
ごもっともな疑問を口にした巡莉に俺も内心頷いた。このサイズの植木鉢が割れれば確かにそれなりの音がするのはわかる。しかしそれだけでこんなに人が集まるわけがない。おまけにじょうろがそのまま地面にほったらかしなのも不可解だ。
「お、ちょうどいいところに聞けそうな人はっけーん」
その声に顔を上げると、巡莉が人だかりのうちの一人、若い青年に駆け寄り声をかけていた。
身に着けているエプロンを見るに、近くのパン屋の店員だろう。そういえばよくこの辺のパン屋で買い物するって言っていたな。
しかし、気軽に話しかけに行けるほどの仲になるくらいパン屋に通っていたということか? それとも単純に巡莉が人懐っこいだけなのか。
(いや、どっちもかもな)
良くも悪くも分け隔てなく接する性格から考えると自然とそう思えた。
「あいつ、地味に顔広いよな」
巡莉の背中を見つめながらぽつりとこぼしたムックにならって俺も再び視線をそちらへ向ける。
「ああ、確かに。昔っから年齢関係なく交友関係の幅があるっていうか」
三人のなかでも特に友人の多い巡莉は、いつしか俺たちの情報の窓口のようなものになっていた。それでも多くの時間を俺たちと過ごしているのは、やはり幼馴染故の縁ということなのだろうか。
それはともかく。
話している様子を窺ってみたが、なんとなく雰囲気がおかしい。険悪だとかとかそういったことではないが、二人ともお世辞にも楽しい話をしているとは言えない表情をしていた。まあそもそもこんな状況から楽しい話が期待できるはずもないんだけど。
ほどなくして帰還した巡莉は、どうにも腑に落ちない、そんな顔をしていた。
「おう、どうだったよ。梅雨の下り坂な天気みたいな顔しやがって」
ムックのなんとも微妙な表現に顔をしかめる俺と巡莉。
「え、なにその例え方……。いや、それがなんかよくわかんない話だったんだよね」
「よくわかんない?」
俺の返しに巡莉が小さく頷く。
「うん。なんか最初にね、そこのお花屋さんの新人アルバイトのお姉さんがお店から出てきたんだって。それで外にお花の鉢植えをいくつか並べる作業をしてたらしいんだ」
そう言って向けた視線の先には、確かにそれぞれ違った種類の花の鉢植えが並べられている。おそらく店先にディスプレイするためのものだろう。
「それで一度お店の中に戻ってからすぐに、青いじょうろを手にもって出てきたんだって。そんで田島さん――ああえっと、パン屋のお兄さんが、近所のお店ってのもあって軽く挨拶しようとしたらしいんだ。まあ水あげてる最中ならあんまし邪魔にもならないだろうって思ったんだろうね。そんでまあ、そっからが意味分かんなくって……」
俺とムックは無言で話の続きを待った。巡莉もそれを分かった上で、ひと呼吸置き再び口を開く。
「ここのお花屋さん――『ポラリス』って三階建てで、二階の窓際にもいくつか鉢植えが置いてあるんだよ」
その言葉に、俺たちは自然と上を仰いだ。窓が二つ。片方の窓の手すりには小さめの鉢植えが数個並べて置かれている。正直落下したら危ないだろうと思ったが、さすがにそれくらい理解したうえで固定なりなんなりをしているだろうと勝手に納得した。
と、そこでもう片方の窓、そしてその外側に突き出した手すり――だったものに視線が移った。ああ、そういうことか。
「あそこから鉢植えが落ちてこうなった、か」
「うん、そういうこと」
俺が注目した手すりは、一部が砕けて破片をぶら下げている状態だった。木製だからこそ何かのはずみで割れてしまったのかもしれない。しかしどちらの手すりも、木製とはいえそこまでヤワな作りには見えないけど。それか、雨の影響で経年劣化でも進んだ、とか。
「ん? てことはまさか、その落ちたやつが店員さんに当たったのか……?」
ムックの不安げな言葉に巡莉は首を横に振った。
「それが当たらなかった? らしいんだ。当たりはしなかったんだけど……」
「「……けど?」」
意図せず俺とムックの声が重なった。
「なんか――いきなり消えたって……」
「……は?」
「消えた?」
ムックの間の抜けた声に俺も続けて言葉を発する。
「そ、そう。植木鉢が当たるか当たらないかのところで、パって店員さんが……」
言っている巡莉自身も困惑を隠せない様子だった。そりゃそうだ。消えたってなんだ。魔法じゃあるまいし。中二ど真ん中の俺でもさすがにそこまでファンタジーには生きていない。
「上のほうから何かが折れるみたいな音がしたから田島さんがそっちを見たんだって。それで植木鉢が滑り落ちてくるのが見えたからそっちに向かって走ったらしいんだよ。でも二階からだし地味に速さがあったから間に合わなかったらしくて。それでその植木鉢を追いかけた視線の先の店員さんが消えて、じょうろが地面に落ちた……っていうのが聞いた話」
「お、おお、確かに意味分かんねえな……」
ますます混乱したといった感じに、ムックは片眉を吊り上げ「うーん……」と小さく唸った。
「それに田島さんの言い方も実はあんましはっきりしてなくてさ。一瞬だけ当たったように見えたけどその時には消えてたから確証が持てないって」
「なんだそりゃ」
理解が追い付かない、というかあまりにも荒唐無稽すぎてそんな言葉がこぼれた。
「まあ確かに田島さんの話だけじゃ信じられないかもだけど、ほかにも二人それを見てる人たちがいたって」
「え、誰だよ?」
「向かいの喫茶店のマスターと、その何軒か隣のクリーニング屋の店員さん」
俺の問いに、該当する店を指さしながら巡莉が答える。
道路を挟んで向かいに並ぶ店たちだ。遠目からだとはっきりとは見えないだろうが、それでも似たような光景を見た人間が少なくとも三人。だからこそ近所の人たちが集まり、こうしてこの一見ちょっとした事故にしか見えない現場を囲んでいたということか。
なんか。
「なんか超常現象っぽくね、はは」
またしても俺の思考をトレースしたかのようにムックが笑う。
「まあ、確かにそうだよね……。ぶっ飛びすぎてて、それ以外にどう言い表すこともできないし」
いっそ気味の悪さすら覚える話だ。普通であれば信じるはずもない内容だが、如何せん目の前にそれらしい痕跡があり、それらしい目撃談さえ聞くことができた。
なんとももやっとする現状だが、いくらどうしたって俺たちにこれ以上の追究は不可能だ。
この奇妙な出来事が何によって発生し、花屋の店員さんはどこへ消え、そしてどう事態が収束するのか。正直かなり気になるところではあったが……。
「なあ、俺たちなんか忘れてね?」
俺の言葉に、二人がきょとんとした表情で振り返る。
「…………あ、やべ、時間」
ムックの絞り出すようなつぶやきを皮切りに俺たちはそれ以上一つの言葉も発することなく、全力疾走で学校への道を駆け抜けた。
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