四月、冬のあと
図書室という空間は静かであるべきだ。ルール的にもマナー的にも、または情景のふさわしさにおいても。
そんなことは十五年の人生で既に分かりきっている。そういう感想を抱くのは私だけじゃないと思う。けれどその共通認識による縛りも今は破られている。
高校入学直後、新しい生活に浮き足立つ新一年生が大人しくしているはずもない。少しの時間さえあれば、迷える子羊たちは新たな人脈を求め、ぺちゃくちゃとお喋りをする始末。
生徒たちが騒がしいのは先生がいないことも影響していると思う。次の授業は入学直後のオリエンテーションも込めた施設利用についてのお話。特に図書室利用の説明らしい。
そのため学校図書館に来たのだが……肝心の先生がいない。担任がいないのは元より知っていたことだが、説明をしてくれるという司書? の先生さえいない。
授業を勘違いしたり、忘れてしまったのだろうか? 授業はもうすぐ始まる刻限となっている。会話が止む様子もない。
まあ、かく言う私もお喋りに興じてしまっているが。
「涼はいつも休日ってなにしてるの?」
私の目の前で机に肘掛けて、彼女は語りかけてくる。彼女の名前は筒井雛乃。高校に入ってから初めてできた友達、だと自分は思っている。
出会いはいきなりあっちから話しかけて来たんだっけ。何の脈絡もなく、急にだ。全然迷惑でもないし、嬉しかったけどさ。
「えー、写真が趣味だから撮影のためにだいたい外出してるかな」
「アウトドア派だ」
「そ、そう? 適当にぶらついて、写真撮ってるだけだよ」
ついでに言うなら高い機材を揃えたり、撮り方に腐心したり、こだわりがあるタイプでもない。「いい感じ」と思った風景をちょっと写真に収めるだけだ。なんならいい風景を見つけるために、散歩している時間の方が多いくらいだ。
予想外の感想を言われて、逆に恥ずかしくなってしまった。話を少し逸らしたりしてみる。
「ひ、雛乃は休日何してるの?」
「私? インドアの極みだよ。漫画読んだりね。あ、あと最近は受験期に録り貯まったテレビ番組見たりとかしてる」
「あ、それ分かるな。冬ドラマとかすっごく貯まってる」
「自分はバラエティもだわ。それより冬ドラマ何録ってるの?」
言葉に詰まる。ドラマを録っているのは間違いないが、本当に録画しているだけなのでタイトルが出てこない。私の脳ミソよ、なんとか録画リストを思い出せ。
「ええっと『おとぎ話』みたいなタイトルだったような……」
「あー、『森の魔女はおとぎ話みたいな恋をする』? あたしも見てるよ」
「それ! どう、面白い?」
「あたしは好きな感じの雰囲気。大好きな漫画をドラマにしたみたいな」
ほぼ初めましての人との会話の基本は、好きか嫌いかを把握することに始まると思う。そこで気が合えば話が弾むし、趣味が合わずとも聞き手に回るか、どうして好きなのか嫌いなのか語り合えばいい。
円滑えんかつなコミュニケーションを実現する私なりのライフハックだ。ただ関係が進むほど好きが分かっていき、内容がマンネリ化するので、徐々に有用ではなくなっていく方法論でもあるが。
同時に彼女は「好き」という言葉を軽々しく口に出せる人なんだな。それを判別する術でもある。
なんか感じ悪いが、嫌味ではない。私には無理だけど、あなたは? って話。
「好き」を真っすぐに伝えられる人はお得だと思う。「好き」と言われて気持ち悪いと思う人間なんていないとちゃんと信じれているし、その豊かな感受性で周りの人間に明るさを振り撒く。
単純なはずなんだ。そうやって世界はここまでやって来たのだし。
ただ私には難しい。「好き」って言われると落ち着かないし、「好き」って言うのもヒリヒリする。恥ずかしくて、むずがゆいとも違う。なんなんだろう、この感覚。
自分はそこまで純情ではないはず。でも「好き」を大切なものとして、いつまでも自分の宝石箱に入れておきたい気持ちと言えばいいのだろうか。そんなおとぎチックな感情が湧くのだ。なんならそのまま一生陽の目を浴びなくてもいいとすら思う。
一旦、話が途切れた。雛乃は気まぐれに扉の方を眺めている。
「にしても先生遅いなあ」
「そうだねぇ」
私が相槌を打った瞬間、チャイムが鳴った。中学校のやつよりゆっくりめなリズムな気がする。ありゃりゃ、授業始まっちゃったよ。
「迷子かな?」
その音と同時にポツリと雛乃が呟いた。ぷっ、と吹き出す。聞き逃しそうになったが、彼女は意外と愉快なことを言うのだな。
「先生だしそんなわけ……、いや案外ありえるかも」
「めっちゃ広いもんねー、ここ」
雛乃はぐるりと図書室を見回している。そうやったとしても、全てを視認することは到底不可能に違いないけど。奥行きがまず半端ではない。目の良い民族の人ならいけそうだなと思うくらい。
しかも校内の地図を確認するに、書庫もあるらしい。見えているだけでも十分すぎるほどの蔵書数だが、更に保管されている本があるとは。そのスケールには驚愕した。
「きっと私立だから図書館にもお金かけられるんだよ」
「なるほどなー。うちの中学校、公立で色々窮屈だったから、関係あるかもね」
お金がかかってるなあと思わず驚嘆した施設は他にもある。多くの生徒がいても尚、空席がある食堂とか、どこの教室にも取り付けてある大型のエアコンとか。
うちの中学はそんなことなかったな。雛乃への共感を込めて、何の気なしに反応する。
「それは言えそう。そういや雛乃は中学校、公立だったんだ」
「その言い方的に涼は私立?」
「いや……普通に公立だけど……」
キラーンと名探偵の見せ場の如く、自信満々に指を差されて困ってしまう。言い方という根拠一点張りで突っ込む胆力には目を見張るものがあるが、流石に無理があるよね。
「なあんだ、つまらないの」
「出身校が公立か私立かに面白味とかある?」
「ないね」
真顔での即答。あまりのスピード感に、二人して笑いが抑えきれなかった。ははは、という明快な笑い声が周囲の雑音の中へ一緒に溶け込んでいった。
その時ガラリと音を立てて扉が開く。思わず振り向く。誰が来たかは想像に難かたくない。きっと司書の先生だーー。
ーー息を、呑んだ。
さらさらな黒い髪を僅かに振り乱し、何度も礼をしながら入って来る。少しでも授業遅れを取り戻そうと走ってきたのか。息は少し上がっていたが、姿勢は崩れていない。優等生が如く体に芯のある立ち姿。息を整えるため、一度だけ息を吐く仕草が妙に色っぽい。
やっとして顔を見る。……整ってるなあ。可愛いといういうより、美人って感じの顔パーツの配置と大きさ。何かのドラマにでてくる女優さんと言われても信じちゃいそうだ。そのくらい彼女のすることがいちいち絵になる。ドラマをテレビで見ているような感覚に近いかもしれない。
その雰囲気にどこか気圧されていた。普通に学校の先生だ。なのに近づきがたいような。近づいたら最後、イカロスの翼みたいに何かが消えてしまいそうなそんな感覚。
いいな。急に生まれた異端なこの感情を上手く言葉にできないのがもどかしいけれど、なんかそう思った。いい、非常にいい。
「すみません、遅れました」
だいたいチャイムが鳴って四、五分経っただろうか。授業開始になっても先生が来ないと、ここらへんから先生は授業を忘れているのではないか、と生徒らがそわそわしだすのだ。同時に先生を呼びに行こうとする真面目派とそれを止めるサボり派に分かれるのだ。
ってこんなことはどうでもいいな。授業なのだから、司書さんの言葉を聞かねば。
「……です。さて学校図書館及び書庫の利用方法について教えようと思います。まず……」
綺麗な声音。それは青山を悠々と流れる川のような清らかな響き。いや、蝉せみが合唱する夏空に染み入る風鈴の優雅な音。はたまたメトロノームのような機械的な律動か。さっきから何言ってるんだ、私。支離滅裂だぞ。
ただこの思考のカオスさを鑑みるに、私はどうやら名前も知らない彼女の声に魅了されているらしかった。
「……ねえ。涼?」
「ひゃっ、な、何!?」
「ちょっとお、変な声出さないでよ~」
「ご、ごめん」
柄にもなく、可愛らしげな声を出してしまった。お聞き苦しかっただろう、申し訳ない。
しかもそこそこの声量だったようで、何事かと周りにいた男子数人がこちらを一瞬だけ見た。まあ、それだけだが。各々の世界にまた戻っていってる。
「いや、涼はなに借りるのかなって」
「何が?」
えっ、みたいな顔をされる。驚いたのか、呆れたのか。それとも驚き呆れたのか。まあ、どっちしろ訊かれている内容が分からないから、こちらもえっ? って感じだ。
「今、司書の先生が試しに一冊借りてみろって」
「ふ、ふーん」
「聞いてなかったんだね……」
「いや、聴いてたよ」
主に司書の方の声を。逆に言えば内容はまったく聞いてない。
嘘くさという目でこちらを見ている。流石にふざけすぎたか。まだ仲良くなって数日の関係なのだから、冗談はほどほどしておうこう。変に受け取られても嫌だし、何より不真面目とかめんどくさい人とか思われそうだ。
「それで何の本、借りるの?」
「多分小説だろうけど後は知らない。雛乃は?」
「あたし? 漫画。好きだし」
「学校の図書館に漫画ってあるのかな……」
「あるでしょ。こんだけ広いんだし」
確かに説得力はある。少なくとも今見えている分にはなさそうだが、奥に行けば普通にコーナーとなって、たくさんの漫画が置いてありそうだ。
「それにむしろ学校なら歴史学習系の漫画が絶対置いてあるよ」
「ああいうのもいけるんだ」
驚いた声が出る。歴史の漫画ってあれでしょ。子供でも理解できるように、歴史について簡単な説明と共にヘタウマ風の絵が載ってあるやつ。一般的に言われるような漫画とは一線を画す気もするが。漫画に関して見境のない所が趣味にかける雛乃の熱意を表している気がする。
「漫画なら何でもいけるよ。雑食貫いてるから。てことでまたね~」
さらりとそう言い残して、ぴゅうと早足で奥の方へ消えていってしまった。あ、もう少しさっきの説明について知りたかったんだけど。これも聞き逃した私への罰か。
とりあえず適当に興味のある本を探そう。借りる時の手続きもそんなに難解ではなかろう。
図書館を気の赴くままふらついていると、先生の後ろ姿を見つける。説明は一切聞いていなかったのに、その背中だけで司書の先生だと分かってしまう
「先生……」
「はい、何でしょうか?」
ぎゃっ、意識せずに先生と呼んでしまっていた。特に用なんかないのに。
今の状況を考えてみる。……とりあえずここで「名前を呼んでみちゃいました」って言うのは幼稚というか、明らかにおかしい人だよね。無理やり話し始める。
「えっーと、あの名前は?」
「名前? 憂那ですが。憂鬱の憂に那覇の那で」
「憂那……。珍しい名字ですね」
「あ、名字の方ですか。名字は宇治川です。宇治は宇治抹茶の宇治です」
「ご、ご丁寧にどうも」
聞き忘れておいてこれだけ丁寧に説明されると、罪悪感が更に強まる。
しかし、宇治川憂那ね。覚えた。もう忘れない。第一感は品のある名前だと思った。古都・京都の優雅で古風なイメージを想起させる宇治に、流麗な川。憂はネガティブな感じもするが、憂いを帯びた人物には人間的な深みを感じられる。それに那。那って何か意味があるのかなあ……。
とにかく宇治川先生にはぴったりな名前のような気がした。もっとも全て第一印象の話だが。名を体を表すという言葉が、私の中で妙に説得力を帯びてきていた。
先生は怪訝そうな表情で私を見ている。何か不都合なことでもあったのだろうか。
「どうしたんですか?」
「いえ、今名字を訊かれたので、説明の時に自己紹介をし忘れていたのか不安になりまして」
「……多分言ってましたよ」
知らんけど。説明を全く聞いてませんでしたなんて言えるはずもなく、見栄を張ってしまう。
「あなたは、えっーと」
「あっ、き」
「待ってください」
それ以上言葉を発することを手で制される。名前を言おうとしたのだが、つっかえてしまう。なんなら「岸辺」の「き」までは既に言いかけていた。
先生は思案顔を見せながら、とんとんとこめかみを叩いている。その指が止まる。
「岸辺、そうだ。岸辺涼さんでしたね」
「なんで私の名前……」
嬉しいという気持ちが私の心の大部分を占める。残りの部分で芽生えたのは驚きとどうして覚えているのかという疑問。
「全生徒の顔と名前を覚えましたから」
「……スゴいですね。生徒数、千人以上いるのに」
「暇ですからね。これくらいはと思いまして」
本当に暇なのだろうか。教師という職業は激務だと聞くが。学校図書館の司書という立場だと少し違ったりするのかな。
それにしてもか。この学校の生徒数は千人を越える。しかも学校だから当たり前なのだが、入れ替わりもある。そんな中で新入生をしかも、四月の時点で覚えているのは並大抵なみたいていのことではない。
「それにここで本を借りるのはこれで最後、もう一生関わりがない生徒もいます。それはなんだか、もったいないじゃないですか」
遠くを見つめている。このだだっ広い図書館の行く先を。きっと目に映っているのは他のクラスメイトたち。図書館が現在ほぼ貸し切りみたいな状態とだけあって、雑談をしながら本を物色している。本を引っ張り出している生徒はほとんどいない。騒々しさだけがこちらに伝わってくる。
先生が来る前もこういう感じだったなあ。ただ今回の私はその一員にはなっていない。
けれど先生の視線の先に本来私がいてもおかしくないと思った。図書室なんて何か用事がある以外で行ったことがなかったし、図書館司書の先生としっかり会話すること自体初めてだ。更に言えばこうして間違って話しかけなければ、この高校でも関わりはなかっただろう。今の状態は人生という機械に起きたエラーなんだ。
あれは私。写し鏡の過去でもあり、自然と流れ着いたはずの未来でもある。だから先生のぽつりと放たれた一言は身につまされるものがあった。
先生は他の生徒に向いていた視線を私の方へと戻す。
「感傷に浸りすぎましたね。それで何の用ですか?」
「いや、何の本を選べばいいのかなって」
「何でもいいですよ……?」
キョトンとした顔で返答される。ですよね……。他の生徒らのように選べばいいですよね……。そんな気の抜けた声が漏れそうになるが、実際にはそれは言うもんかと口を固く結んだ。
「読む本に良いも悪いもありませんから」
「それはそうですが……」
「何かあるのですか」
何もないです。言いかけてやめた。一瞬体がフリーズする。何かあったからだ。書きかけのメール画面を思い出す。
「私は全然読書の習慣がなくて……、紹介された本くらいしか読まないんです。で、いつものように友達から本を紹介されて読んだんですけど」
「ふむ、それで」
「それがあまり気に入らなくて、もやもやしてるんです。面白い小説って何なんだろうって。自分で本を選んだこともないから、あまり分からなくて」
「それは逆では。自分で選ばないから分かりづらいんだと思いますよ。
自分自身で直感的に面白そうっていう本を選んで、それが面白かったら面白い小説でいいんです。名作とか人気とか駄作とかジャンルとかも関係ありません」
ぐうの音も出ない正論だ。やっぱり常日頃から本に触れ、それを生業にしている人の言葉は重い。だからこそ先人の言葉に倣うのは失敗がなさそうだ。ちゃんと今の言葉を胸に刻んでおこう。自分で選ぶ際のヒントにきっとなる。
「ちなみに何という小説ですか?」
「……っていうタイトルで」
「ああ、読んだことあります」
さらりと言う。さっきの雛乃もそうだが、さらりと言えてしまうのはカッコいいな。好きなことに対して、知識が深いのが一発で伝わってくるから。
そして好きなことに対する興味心も半端ではないのだろう。更に深く切り込んで、質問してくる。
「どこが気に入らなかったんですか?」
「最後の……」
「ああ、主人公がヒロインに告白する」
「そうです、そこです。なんか、こう、陳腐だなと思いまして」
「はあ、陳腐」
先生が間の抜けた声で相槌を打つ。この感覚を分かってもらえなかったのだろうか。それとも私の話なんかに興味などないのだろうか。急に不安になってくる。
「好きって、色々あるじゃないですか。親愛とか尊敬とか……恋愛感情とかもそうですし。それに対象だって違ういますよね。趣味へだったり、物へだったりして。
なのに告白の言葉が『好き』だけってシンプルすぎるというか、ありがちだなあと思っちゃって。ヒロインに主人公の気持ちが正しく伝わったかも疑問ですし」
ばっーと言葉を捲し立てる。これで正しく伝わっただろうか。不安に思い、ちらりと先生の方を見る。
うんうんと頷きながら、真剣に聞いてくれている。その目は……、あれ? 何だかおかしいぞ。熱意が出てきたというか、エンジンが急にかかったというか。
「なるほど。それで陳腐という感想に辿り着いたと」
「そうです」
「それには三つ、私から言えることがあります」
「えっ。えっ?」
「まず陳腐という感想は否定しません」
三本指を突き付けながら、急に弁論が始まってしまったのだが。戸惑いながらも上手く反応しようと、言葉を返す。
「先生も分かりますか?」
「そういうことではなく、あなたの感想はあなただけのものです。それを否定する権利は誰にもありません」
うぐっ、と呻き声が漏れる。先生と一緒の意見だと思って舞い上がりかけていたのに、なんだか突き落とされた気分だ。
でも考察を否定されなかったのは、別にそう思ってもいいんだという自信にはなる。
「二つ目。それに答えが分からないと言うのなら、疑似体験をしましょう」
「疑似体験? この小説みたいな恋愛をしろと?」
「私は恋愛についてあまりなので、そこまでは言えません。まあ、実際に経験するのも悪くないですが……」
宇治川先生は大きく手を広げる。遊園地でお客さんを迎え入れるようなポーズだ。図書館の広大さも相まって、世界が一気に広がったような気持ちになる。
「答えならここ、図書館に確実にあります。本の中で追体験をすれば自ずと答えを見つけられるでしょう」
新鮮な春風が流れ込んでくる。どこか窓でも開いているのだろうか。肌に暖かな空気が当たり、気持ちがいい。
肌を刺す寒さが吹き荒れた入試当日とはえらい違いだ。けれど今、私はそれを乗り越えた先にいるのだ。雛乃や宇治川先生との出会いもそうだし、この図書館にいることもそうだ。
これからどのような生活が始まるのか皆目見当もつかない。でも図書館にはちゃんと通おうかな、と少し思う。読書は別に嫌いじゃないし、中学より難しくなるであろう勉強でも利用するに違いない。さっきの先生の言葉の通り、最初で最後にするには、もったいないかもしれない。
……それに、宇治川先生に会いに行くのも悪くない。
「……なるほど。それで三つ目は」
「それは教えられません。これは他よりも個人的な意見なので。けれどあなたが本の中で見つけた答えが正解なはずです。それには私の意見は関係ありません」
「はあ、なるほど?」
間の抜けた返事を返す。三つ目の答えになって、急にはっきりしないというか、先生に誑かされているようだ。
けれど二つ目の答えまでは自分でも結構しっくり来たし、今なら自分なりに本を選べそうな気がする。それだけでも十分だ。
「あの、宇治川先生。ありがとうございました」
「どういたしまして。これで大丈夫そうですか?」
「はい、どうにかします」
最後に一礼をして、そのまま去っていく。とりあえず小説を選ぼうとは思っていたので、それらが並んでいる棚を適当に眺める。
……こう見ると本っていっぱいあるんだなあ。分かっていたことだけど、本屋とか図書室にあまり行ったことがないから、こうして本棚を直視するのは初めてかもしれない。
その中でそれなりに吟味して、一冊を選ぶ。アドバイス通り自分が直感的に面白そうだと思ったものを手に取る。選んだ理由は大したものではないけど、うらすじが面白そうに感じたから。
それを図書室のカウンターまで持っていく。宇治川先生が生徒の一人一人丁寧に、かつスピーディーに捌いている。美人で、いきなりの悩みにも答えてくれる程人柄も良くて、仕事もできるとか完璧超人かいな。
やがて自分の順番が回ってきて、本を差し出す。これまたてきぱきと貸し出し作業を行っている。しかし最後、本を渡される時に笑いかけられたのを私は見逃さなかった。
強調しておこう。他の生徒にはそんなことをしてなかったのにだ。それにぺこりと会釈で返す。
その日はずっとふわふわしていた。きっと先生の笑顔のせいだ。あんなの反則だよ。
そうだ、先生のせいだよ。スタートダッシュが肝心なはずの授業も全く頭に入って来ず、ホームルームでの委員会決めも、なぜだか自分に馴染みのない図書委員で手を挙げていたのは。特に競合もなく、すんなりクラスの図書委員に選任されてしまった。
そう頭で考えたくもなるけど……、私は新しい生活にこれ以上ないくらいワクワクしている。
少なくとも入学前の不安はもうない。友達に送るはずのメールも今だったら、上手く書けそうな気がする。
麗らかな日が教室に差し込んでくる。ああ、もう春だ。長い冬は終わり。これから、これから始まるんだ。私の新しき日々が。
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