十二月、クリスマスローズな彼女に

 彼女とこんな何気ない日々を過ごせることは、これ以上ない幸せだ。


 でも彼女と何気ない日々しか過ごせないことは、これ以上ない不幸せだ。


 『せめて~だったら』。この言葉が何度脳裏に浮かび上がり、何度朽ち果てたことか。それでも夢想せずにはいられない。


 けど彼女は可能性の中の私ではなく、ここに在る私が好きなのだ。


 だから私は隠し通す。その激情を。


 *


「ねぇねぇ、知ってる? オランダにはクリスマスが一年に二回あって、その一回が今日、十二月六日なんだよ」


 静謐を保つ学校図書館で、そんな言葉が隣の席から私の耳に届く。コマーシャルで豆知識を教えてくれる謎の生物か。少し苛立ちながら一言。


「そんなこと教える暇があるなら手を動かしたら?」

「だってぇ、現実逃避しないとやってられないじゃん、テスト勉強なんてぇ」


 そうゆるーく語る彼女、筒井雛乃の手は完全に止まってしまっている。そして肩まで伸ばした栗色ボブの毛先を指でくるくるといじっている。集中力が切れてるね。

 こうなることは予想できていたが、私にも言いたいことはある。


「誰のおかげで今、勉強会してると思ってるのよ……」


 怨嗟混じりの声が漏れる。今日は雛乃との勉強会in学校図書館である。とは言っても企画したのは私ではない。雛乃の方である。ぶっちゃけ私は一人で勉強したい。

 その思いと裏腹にこうして勉強会をしているのは、二学期期末考査を目の前にして、雛乃に「勉強を教えてください」と泣きつかれたからだ。これも友達甲斐だと思ってやっているのに……。はー、そうですか。なら私も皮肉の一つや二つくらい言おうではないか。


「このままじゃ来年も入学式出席かもね」

「うっ……」


 クリーンヒット。雛乃は気分が悪くなったらしく、口許を押さえている。その理由は単純。この子はあまり成績がよろしくないのだ。下手したら留年レベル。


「私なら一歳年上の一年生は取っ付きにくいかなあ」

「うえ、おえっ……」


 とうとう、えづき始めた。ここくらいで止めておこう。私は彼女を虐めたいのではなく、尻を叩いてあげたいのだ。

 その気持ちが通じたか、通じなかったかは分からないが、彼女は呻き声を上げながら、しかし確かな一言を口にする。


「分かりましたぁ。やる。やりますよぉ」

「いや、そもそも勉強会開いたのそっちだからね」

「うっ、そうでしたね……。とにかく! ここ教えて~」


 仕切り直すように雛乃は数学、具体的にいうと三角比の問題を見せてくる。が、この問題には見覚えがある。言わずにはいられなかった。


「そこさっき教えたんだけど」

「えっ、嘘! ま、まあ、継続は力なりって言うし、もっかい! もう一回教えて!」

「継続が力になると思ってるなら、普段からもっと勉強すればいいのに」


 そうは言いながらも私はもう一度、イチから彼女にこの問題の解き方を教えようと身を乗り出す。どうせここが数学の一番のヤマだし、疑問に思ったところから片付けた方が確実だ。

 私がその問題を教えるのは二回目だが、雛乃には先ほどと違う変化が見られる。簡単に言うとやる気がある。集中力も悪くない。私が教えることに対して、ちゃんと一つ一つに反応している。

 なんだ、やればできるじゃん。ふっ、と軽く笑いが漏れ、小声で彼女にだけ伝わるように思ったことを口にする。


「しっかりしてよ。一緒に卒業したいんだから」


 きょとんとして、こちらの目を見つめる雛乃。な、何かおかしいことでも言ったかな。

 勉強なんかできなくたって、この子は可愛い。そんな彼女と無条件に共に過ごしたいと思ったのは私なのだ。だからこんな感情が湧いたのは、私にとって自然なことだった。

 しかし当の本人はすぐに、にまあという含み笑いの表情に変わり、うんうんと何度も頷いている。


「そうか、そうか。涼はあたしと一緒に卒業したいんですねぇ~」


 ぴくりと自分の目許が上がる感覚があった。腹が立つ、とまではいかないが、少し癪に障る。だからやり返してやるのだ。


「したいよ。だからがっかりさせないように頑張って」

「あ……う、うん。が、頑張るよ」


 言葉からは戸惑いが感じられる。でもその瞬間に彼女の身体から熱のようなものが発されたのが分かった。や◯気スイッチはちゃんと入ったかな?


 *


 一時間ほど経っただろうか。ちらりと腕時計を見る。違った。一時間半も経っていた。結構集中できていたようだ、私も雛乃も。その証拠に今まで勉強の質問はたまにあったが、それ以外の無駄話は一切していない。

 少しご褒美があってもいいか。私は席を立ち、ふらっと図書室を出ていく。雛乃はそれに気づいたかどうかは分からないが、声は掛けてこなかった。


「アレって購買前にあったっけ」


 目的地までの道中、そんな独り言を口にする。

 アレというのは自動販売機にペットボトルで売っているトロピカルパインジュースである。雛乃の好物だ。いつでも普通に買えるのだが、雛乃は「太りたくない」という理由で糖分を制限をしているため、なるべく飲まないようにしているらしい。けど今日くらいはいいだろう。頭を使うと、糖分が足りなくなるというと言うし。

 目的の自動販売機に辿り着く。まず雛乃へのトロピカルパインジュースを一本。百七十円。ジュースにしてはちょっと高い。ついでにブラックの缶コーヒー。これは私用。百十円。節約しました。クリスマスも近いし。まあ、だからなんだという話だが。彼氏がいない私には縁のない話だ。


 そうだ、クリスマスに雛乃と遊ぶのはどうだろうか。きっと楽しいだろう。けどふと思うことがある。雛乃には彼氏はいるのだろうか。……いそうだなあ。うんうん、いるいる、絶対。

 まあ、いたらいただ。その場合は私のクリスマスがフリーになるだけで、大きな影響はない。誘うだけタダだ。戻ったら誘ってみようかな。

 それでフリーなら宇治川先生は……ぶんぶんと首を振る。流石に無理だ。そんなことを思いながら、曲がり角を曲がる。ちょうどその時、目の前に人影が通る。


「わっ、と。ごめんなさ……」


 バランスを崩す。知っている人ではないだろうと思いながらも、誰だよという気持ちでぶつかりかけた人に目をやる。


「あ、宇治川先生」

「あら、すみません。岸辺さんでしたね」


 知っている人だった。彼女はこの学校図書館で司書として勤める宇治川先生である。そして私が……なんだろう。気になる人……かな? である。

 とにかくここで会ったが吉日。何気ない会話を繰り広げようとする。はっきり言おう。これは好感度稼ぎだ。


「図書室に行くんですか?」

「ええ、そうです。岸辺さんは?」

「私もです」

「あれ? 今日は図書当番ではなかったはずですが」

「図書室で勉強会してます」

「ああ、なるほど。そういえばテスト前週間でしたか」


 先生は合点がいったようで、顎に手をやっている。私はその挙動を見ながら、横並びで一緒に図書館へと向かう。手にあるトロピカルパインジュースは雛乃へのご褒美だが、偶然の出会いとこの幸福な時間は私へのご褒美だ。じっくり堪能することとしよう。


「先生にはテスト前週間って関係あるんですか?」

「基本的には関係ないですよ。テストを作る訳でもないですし。少し図書室の利用者が増えるくらいです」

「もしかして私みたいな勉強会の人ですか?」

「多分そうですよ」


 やはりそうなのか。一応この学校には自習室はあるが、あまり広くなくある程度の人で満杯になる。ならば広大な図書室でやろう、と思うのは自然だ。図書室という空間が落ち着くという人もいるだろう。

 ちなみに私は宇治川先生に高確率で会えるからだ。勉強会を提案したのは雛乃だが、その場所を提案したのは実は私。理由は上記の通り。煩悩まみれである。菩提樹の下でも悟りは開けないだろうな。

 こうして色々と喋っているうちに図書室に着き、雛乃の元へ戻る。


「雛乃~。休憩しよぉ」


 私はとん、と雛乃の目の前にトロピカルパインジュースを置く。わあ、と声を上げている。


「気づいたらいなくなってたからびっくりしたよ。帰ったのかと」

「まさかぁ。勝手に帰るか。ジュース買いに行ってたのよ」

「あ~、あたしの好きなやつ! ありがと~。大好き~」

「う、うん」


 なんだろう。この違和感。彼女の言葉が大袈裟に聞こえる。声音もいつもより柔らかいし、声量もちょっとばかし大きい、ここは図書室なのに。まあ、気にするものでもないか。

 というより雛乃の方が何か気になったことがあるようで、首を傾げながら訊いてくる。


「それで後ろの人は?」

「う、後ろ?」


 後ろに誰かいるの? まさかメリーさん? 恐る恐る後ろを見るが、呆気なかった。というのも私が忘れていただけ。宇治川先生と一緒にここまで来たんだった。


「ああ、この人は宇治川先生」

「先生? なんか授業担当してたっけ?」

「宇治川先生は図書館司書の先生だから」

「へぇ」


 雛乃は相槌を打ちながらじとっ、と先生を眺めている。ただ見ているというよりは品定めをしているかのようだった。

 けどその眼差しもすぐに止め、本来のふわっとした柔らかい雰囲気に戻る。


「あっ、あたしは筒井雛乃って言います~。涼とは……何かな? 涼、なんだと思う?」

「えっ、普通に親友でよくない?」

「あ、じゃあ一番の親友ということで。よろしくお願いしまあす」


 最後にニコリと雛乃は笑う。ううむ、完璧だなあ。「一番の」という枕詞が勝手に入っても嫌味に聞こえない。まあ、間違ってはいない事実だと私が分かるからだろう。

 こんなに可愛い雰囲気を振り撒くのは私には無理だ。何故か緑の原っぱにいるかのように穏やかにさせられるもん。


「よろしくお願いしますね」

「せんせぇ、いきなりですけど勉強教えてもらっていいですか?」

「えぇ?」


 先生はいきなりそんなことを言われ、困惑したような声を出す。そりゃそうだ。距離の詰め方がゼロ距離射撃すぎる。思わず苦言を呈する形になる。


「雛乃、さすがに……」

「ですね。私は先生とは言われてますが、あくまで司書なので」

「えー、でもぉ。先生なのに教えられないんですか?」


 うわー、凄い煽り。怖いのはこれを狙ってるか狙っていないのか、よく分からない所。その言葉がかまととから来るのか、天然から来るのか迷ってしまう。

 先生も判断しあぐねているようで、慎重に口を開く。


「……教えられますよ。学校司書は一応、教員免許を持ってないといけないので」

「えっ、本当ですか?」


 驚きの声が漏れる。それは知らなかった。図書館の先生が授業しないイメージからだろうか。普通の図書館勤務の司書のように司書の資格さえあればいいと思っていた。

 その思いは雛乃も同じなようで「へぇ」と嘆息しながら、常人よりも大きい瞳を更に見開いている。目玉が飛び出そうでこちらがはらはらする。私よりも驚いているじゃないか。


「そもそも学校司書教諭の資格と普通の司書の資格は別物です。それに大学は教育学部でしたし」


 最後に先生はついでに、という風に付け足した。司書の資格を取るのは難しいと聞くし、教員免許だって簡単に取れるものではない。もっと誇っていいし、なんならこの説明を文面通り受けとれば、自慢に聞こえなくもない。

 なのに一切自慢に聞こえないのは、先生の性格のおかげ……ではなく。先生の声音に全く浮わついた所がなかったからだろう。その語り口は不気味な程、淡々としていた。表情もどこか暗いというより、もはや目が死んでいる。さしづめその雰囲気はロボットのようだった。

 それに圧倒されたのか、雛乃は先ほどの無遠慮っぷりは鳴りを潜ひそめ、おずおずと話し始める。


「じゃあ……」

「けど。こういうのは一番の親友から教えてもらった方がいいのでは? 心から分かり合える人からだと、やっぱり分かりやすいですよ」


 ふふっ、と宇治川先生は笑う。ああ、やっぱり先生の笑う姿も素敵だなあ。なんというか気品がある。これは人生経験豊富じゃないと出せない雰囲気だ。私が先生と同じ年になっても無理な気がする。今日は無理だと思うことが多いなあ……。

 その雰囲気も相まって、今の言葉はどこか金言めいた響きがある。雛乃も何か感じ入るものがあったようで、


「……ですね。りょおー、次はここ教えて~」


 と納得して、私に教えを乞こう。次見せて来たのは英語で仮定形。ここは法則性さえ分かれば、一気に解けるようになる分野だ。サクッと教えてしまおう。飲み物は後だ。


「ああ、うん。そこはね……」


 *


「どうですか? 捗りましたか?」


 私が雛乃に再び教え始めてから、すっかりフェードアウトしていた先生が戻ってくる。


「捗っていますがどうしました?」

「いえ、ちょっと差し入れを、と思いまして」


 そうして図書室の長机にデパートでよく売っているチョコレートの箱を置く。高いやつだ。雛乃共々「わあー」という声が漏れる。そして思わず訊く。


「えっ、いいんですか?」

「いいですよ。頑張ってましたし、ちょっと早いクリスマスプレゼントです」

「いや、そういうことではなく。一部の生徒に肩入れするのは……」

「ふふ、変なこと気にしますね。私は司書だしいいんですよ。それに……」


 先生は周りを見ている。それにつられて私も周りを見る。そこで気づいた。雛乃は先に気づいたらしく、声を上げている。


「あれー、もう誰もいないねー」

「ひょっとして閉館時間ですか?」


 ここの閉館時間は公式には七時ということになっているが、図書館は広く利用者が捌ける時間が必要なため、実質的には六時半になっている。またその頃には館内アナウンスも出すようにしている。もしやそれを越えてしまったのか。


「いえ、七時までには余裕はあります。アナウンスは出しましたが……」

「雛乃、アナウンス聞こえてた?」

「いんや、まったく」

「集中しすぎたね……」


 おかげで密度が高い勉強が出来たのも事実だが。今日のような頑張りを続ければ、赤点だけは回避できるだろう。


「結果オーライと捉えるべきですよ、こういう時は。アレルギーなどはありませんよね?」

「ないです」

「スギ花粉だけです」


 へぇ、雛乃ってスギ花粉持ちなんだ。まあ、ここではあまり関係ない情報だけど。説明しにくいけどこういう所が良くも悪くも彼女らしい。


「なら大丈夫ですね。食べましょう」


 先生が先に十二個入りの箱からダークチョコレートを取る。私もそれに続いて、マカダミアナッツが入ったチョコを。最後に雛乃が


「ありがとうございます」


 と言いながらミルクを取った。その様子はいつもよりほんのちょっとおとしなそうに感じた。

 それより早速一口。一介の高校生が普通に生きているだけじゃ、そうそう味わうことのできない代物だ。それになんと言っても、先生からのクリスマスプレゼント。よく味わって食べなければ。


「……! おいしっ!」


 図書室には私たちの他にもう誰もいない。思いっきり味の感想を表現することができる。


「チョコのほんのりとした苦みによって高級品らしい味わい深さがありますね。それにマカダミアナッツという味と食感のアクセントが混ざり合うことで、食べていてとても楽しい気分にさせられるなあ。これは最高」

「なーんかバラエティ番組の食レポみたいだね」

「ふふ、おんなじこと思いました。でも喜んで頂けたなら幸いです」


 雛乃と先生は顔を合わせながら笑っている。

 かあ、と顔の温度が上がるのが分かる。おそらく今は急激に顔が真っ赤になっていく過程だろう。あまりの暑さにチョコというファクターがなくても鼻血が出そうだ。饒舌すぎた。

 パタパタと手で仰ぎ、顔に微かな風を当てながら言葉を捻り出す。


「笑わないでぇ」

「だってチョコ一つで凄い喋るんだもん」

「いや。ほら、頭使った後は糖分が必要っていうし、きっと勉強後で脳が糖分を求めていたんだよ」

「まーた色々喋ってる」


 くくく、と雛乃は再び笑い声を上げる。そんな彼女の肩をぽかぽかと殴る。もちろん最大限の手加減して。それでも笑ったまま雛乃はひょい、とよける。青春、ではないかもしれないが、日常のやり取りだ。


「雛乃は感想ないの?」

「んや、あるよ。甘くて美味しい」

「うわあ、シンプル」

「こんなもんだって、普通」


 先生は楽しそうに会話をする私たちをどこか眩まぶしそうに眺め、語り掛ける。


「それでテストはどうにかなりそうですか?」

「私はいつも通りやれば」


 そもそも今まで成績は悪くない。特別いいかと訊かれると微妙だが、赤点ラインにいる訳ではない。そこそこというやつだ。

 先生はこくこくと頷いている。そこには一安心とか悪くないとか、色んなメッセージが込められているのだろう。間違ってもネガティブな意味ではあるまい。


「あたしは不安ですね~。今日みたいなやる気がいつまで続く分からないですしぃ」


 いつも通りの弛い口調。けど口にするということは、自分なりに深刻に受け止めているのだろう。

 それにしても「やる気」かあ。学生にとっては永遠のテーマだね。将来のためとか自分のためとかそれっぽい理由を付けて、上手くの制御せいぎょするのも一つだが、そこまで出来た高校生は珍しいだろう。大抵は遊びたいとかいう楽したい気持ちを無理やり押さえつけているに違いない。


「先生はどうすればいいと思いますか?」


 雛乃は先生に水を向ける。先ほどの無茶振りとは違い、今回は至って真面目な相談のようだ。


「うーん。大人でも難しい質問ですねぇ。先生的にはそれでもやる気を出せ、頑張れとしか言い様がないです」

「そう、ですか……」


 失望。私の目には今の雛乃の表情はそう映った。まあ、宇治川先生のお言葉の割にはちょっと期待外れだったかな。


「それでも私個人としては『そもそもやる気ってなんなの?』とは思いますけどね」


 構わず言葉を続ける。雛乃は再び宇治川先生を見つめている。先生の世界に入り込んだか。私はそれよりはまだ離れた位置にいる。思っていることはさしづめ、まーた先生のディベート癖、哲学的な部分が発揮されたか、という感じ。

 それでも質問の答えを自分なりに考えてみる。


「うーん、気合とか?」

「物事に対する意欲かなあ」


 雛乃の後に私が言う。そういえばやる気って言葉はあちこちで見かけたりするけど、漠然としか分かんないよなあ。訊かれると尚更だ。

 しかし先生には明確な答えがあるようで、私たちの答えに相槌を打ちながらも言い切る。


「私は理由とそれに対する想いの強さだと思っています」


 そう語ると次はアーモンドチョコを口に放る。大人の余裕だなあ。しかも『思っています』か。こういうことを思いながら生きている、という端緒に少し触れた気がする。それは十年の生きた年数の違いか、彼女の凄さの現れなのだろうか。

 思わず聞き入る。今、そこに言葉を差し込むことすら失礼に思えた。


「もしかしたら雛乃さんは理由か想いが足りてないのかもしれませんね。初対面なので間違っていたら、たいへん申し訳ないですが」

「いや。当たってる……かもしれません。なんというか、全部、どうでもいいやって思っちゃうんですよね」


 訥々と話している。そこから上手く言えないが、なんとか言葉に表そうとする気持ちが窺い知れた。だから黙っている、私も先生も。彼女の言葉を待っているから。


「好きなことだけしていたいんですよ、あたしは。なのに好きにはいつまでも近づけなくて、嫌なことばかりがあたしを侵食してく。勉強もその一つです。届かないなら投げやりでよくないですか?」


 分かるなあ。本当によく分かってしまう。それはもう痛い程に。だから余計な言葉はかけたくない。

 でも彼女に『やる気』を出させるような言葉をかけてあげたい。やる気とは、理由とそれに対する想いの強さ。先生の言葉を頭の中で復唱していると、ある言葉が浮かび上がる。それは少し前に思いついて、忘れていたこと。


「あのさ。クリスマスに遊びにいかない? というかイブも一緒にいたい」

「え?」


 雛乃は急な話題転換に困惑していたが、そのまま押し切る。


「その、クリスマスまで何か理由があったら、テストも頑張れるでしょ? だからその……」

「……いいね。悪くない」


 にやり、と彼女は笑う。なんというか少し雰囲気が戻った気がする。可愛いのにちょっと毒がある感じ。まるでクリスマスローズのように。


「あ、押しきっちゃったけど、その日空いてる?」

「ちゃんと空いてるよ」

「か、彼氏とかいないの?」

「彼氏?」


 きょとんとしている。かと思うとあっはっは、と爆笑し出す。閉館間近で利用者がいなかったのは幸か不幸か。まあ、私にとっては不幸でしかないのだが。


「そんなに笑うなよぉ」

「いやあ、ごめんごめん。そういう風に見えるんだあ、と思って」

「見えるよ。答え聞くまで絶対いると思ってた」

「ははは、まさか。いないよ。今までもこれからも」


 それ以上の言葉が私には出てこなかった。というより雛乃の乾いた笑いがこれ以上訊くことを許さなかった気がしたのだ。

 今までいないというのもそれなりに不思議というか、世の中の男性たちよ、彼女を放っておくのは惜しいぞ、と思う。しかしこれからもないというのは不思議どころではない。意味不明だ。

 未来の話は誰にも分からないよ。そんな言葉も私の声帯からは出なかったが。


「理由は別に何でもいいですからね。クリスマスに遊ぶっていう明確な理由があるといいかもしれません。……さて閉館の時間ですよ」

「はあい」

「はい」


 一段落した所で返事をして席を立つ。最後に先生が残りのチョコを勧すすめてきたので、もう一つ貰う。何の味か把握せずに取ったが、とても甘かった。

 なるほど甘いのも美味しいな。先ほどの雛乃の言葉も頷ける。まあ、分かるだけだが。そこからどうこうは出来ない。けどなるべく近くで寄り添えればいいな、と思う。今日は親友としてそれが出来たかな?

 何はともあれ、今はそれより心の大部分を占める感情がある。これは雛乃とも同じ気持ちだといいと思う。つまりは。


 ……ああ、クリスマスが楽しみになってきたなあ!

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