第55話 レムレス・ヴォイドは夢を見る

 眞紅は血を流しすぎた頭を何とか上に向けて、空に伸びる炎を見た。天井の瓦礫が障害になって炎は彼に届かない。

 ふと子供の頃教会でシスターに聞かされたヤコブの梯子の話を思い出した。だから最初見た時から、あの炎から目を離せなかったのか、と思い至った。もう自分の中に、シスターの思い出は無残な姿で川に捨てられたことしか残っていないと思っていたのに、ちゃんと優しい笑顔も覚えていたのだ。


『主よ身許に近づかん。道をそこに現せしめよ、天に届きし階段を。全てはあなたが私にくださったもの、憐みの内に与えられたもの。天の使いが私を誘う。主よ御許に近づかん……』


 眞紅は神を信じていない。正確にはレイオール人になると決めたあの日から、信仰というスタンスとは距離を置くべきとしていた。そんな自分がいつの間にかレイオール信仰にうつつを抜かして目が曇っていたのかもしれない。だが、本当の信仰とは目を開くものである。

 ただただ、自分が考えることを止めていたのだ。

 人と機械とレムレスの垣根は簡単に超えることが出来てしまう。何度も死にかけては蘇って、少しずつ一緒に二十一グラムの魂をすり減らして、ギフト名のみならず、本当にリビングデッド生きる屍に近づいていたんだな。眞紅はそう思いながら遠のいていく意識をなすがままにした。

 目を閉じて、犠牲となった全ての命と心と魂に、安らかな眠りを祈った。



 大火が街を覆い、零洛れいらくを燃やし、空へと昇って行った。

 レムレス・ヴォイドは仰向けに倒れ、袈裟切りにされて繋がっていない身体を地面に投げ出していた。その身体は白い繊維状鉱石が繭のように編み上げられて出来た、人の形の結晶体のようであった。もう彼女の身体を覆う黒いもやは現れない。超空洞も消え果てて、青い空が見えていた。

「セセリ、お母さんはここよ」

 シェイスは這って移動してきて、娘の手をとったが、ヴォイドは真っ白になった瞳で青空だけ見上げ、母を見ようとしなかった。それでもシェイスは未だしっかりと娘を見ていた。


「ぶち壊すんだよなぁ、お母さんって」

 超空洞と炎のせいでドームの天井は完全に壊れていた。空と隣の二つのドームと、その中央にある憎き盟友である電波塔だけが彼女には見えていた。

「不幸なお母さんって最高に可哀想で綺麗なのに、立ち上がるんだもん。いつもいつも、最後にはちゃんと、いつまでもセセリにこんな姿見せてられないからね、って。蹲ったままいてくれないの、全然都合良く惨めでいてくれない。

 そこだけ大嫌いだった。とっととまともだとか普通だとかを諦めてほしかった」

 そして彼女は「あ」と何かに気がついた。


「セセリの本当の願いって、お母さんに……諦めて欲しかった、のか?

 ……自分のこと」


 それが最後のひと押しだった。ヴォイドの身体にヒビが入り、足先からどんどん崩れていく。それこそが正解に至ったという証左であった。

「セセリ……?」

「……そんなの無茶だよー。僕一才半とかそんなもんだよ?そんな複雑な人間心、分かるはずないよ。興奮してたのも本当なのに……一番の願いというわけじゃない、だなんて。そりゃあズレていくはずだ」

 邪悪なものではない笑顔が彼女の顔に浮かぶ。どこか解放されたようなすっきりとした顔でころころと笑うヴォイドは、今までの中で一番セセリに似ていたかもしれない。彼女は自分でそう考えた。もう顔は無いようなもので、自分の姿は見えもしないけれど、それでも。


「こんな世界でもう一度会いたいと祈るほど、“君”のこと愛してくれてる人に、娘のこと諦めろって?忘れて自分の人生歩めって?新しい家族でも作って幸せになれって?生きてる時から化け物みたいな性根の娘を見捨ててくれって?」

 胸の傷が胸ごと消えてなくなった。呼吸する必要もなく臓器も消えたのに、息をするのがやっと楽になって彼女は感慨深そうに眼を細めた。

「無理言うなぁ、セセリ。君って結構、わがままだった?……知らなかったなぁ」

 最後に顔面が崩れ、セセリの体だったものが砂になり消えていった。もう一粒の砂も残っていない。すべて炎が巻き起こした風に乗り、大空へと消えていった。

 レムレス・ヴォイドは、彼女の世界は、世界から消えた。


 

 消滅するその刹那、レムレス・ヴォイドは映像の中のセセリが困ったように眉を下げ、自分に笑いかけてくるシーンを見つけた。椅子から乗り出して画面に近づこうとしても身体はもう動かない。

 早戻しは出来ない。もう一度彼女のその顔が見たいのに、動画は先に進んでいく。

 もうストレージを圧迫するデータ量を感じない。セセリの記録が自分の中から消えていくのを感じていた。これ以上自分の座標はずれたりしない。

 それなのに何故涙が出るのだろう。決定的なズレはもう生じないのに、空いた容量の分だけ重たい何かが流れ込んでくる。

 わたしは生まれたその時から君のことを見ていた。君を知っていた。君はわたしだと思っていた。だけど君を全然見ていなかったし、何も知っていなかったし、わたしじゃなかった。それがわたしの感じていたズレだとしたら、それが解消されて正常な状態に戻ったはずなのに。


 あぁ、わたしは、君に名前を呼んでほしい。


「レムレスがヴォイドになる条件は、それなのかもしれないね」

 わたしはわたしに言い聞かせるように言った。死人はしゃべらないのだ。わたしの中にセセリはもういない。これはわたしの声と意見にしか過ぎない。

 動画はもう、とうに終わっていた。記録の中でさえも彼女は動かない、それが悲しくて仕方がない。それはきっとお母さんと同じ気持ちなのだろう。もう一度動いてほしい、笑ってほしい、会いたい、声が聞きたい、そんな祈りに引き寄せられてここに座った。二十一グラム分の彼女の欠損を補うために、わたしはここに座ったのだ。

 わたしは君の人生の続きが見たくて生きていた。


 レムレスは世界が用意した、人々の祈りを叶えるための存在なのかもしれない。

 だけど人も神様も、その人がどうしてその人なのか、その人をその人たらしめているものは何なのか、を誰も答えられないから、同じ人として生き返ることが出来ないのかもね。

 画面と同じで世界が真っ暗になっていく。さようならお母さん、おやすみセセリ。夢の中でならいなくなった君に会えるだろうか。だとしたら。


 どうかわたしが夢見る機械でありますように。



 機械は最期に、自分だけの夢を見た。

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