第54話 レムレス・ヴォイドは夢を見るのか
彼女は椅子に座って動画を見せられ続けていた。
セセリ・オーディという若くして亡くなった悲劇の美少女の生前の映像だった。彼女は視聴者で、観測者で、傍観者で、第三者だった。彼女はその映像の中に一秒だって映っていない。
なのに誰かが、シェイスが、お母さんがそれをセセリと呼んで抱きしめたものだから、わたしは、僕は、自分こそが動画の主役だと思い違いをしてしまった。
今日からは僕がセセリだ。セセリである僕は愛されているのだ。セセリは母を愛しているが傷つけたいのだ。だから僕も傷つける。だって僕はセセリだから。
彼女は支離滅裂な、台本とも呼べないメモ用紙を握りしめ、出演者の顔でそこにいた。
今でも彼女は椅子に座ったままなのに。
声にならない叫びが彼女の口から、
目の端から黒い涙が流れてきた。それは器の中に納まりきらない醜悪さが漏れ出しているだけなのか、心なき機械が垂らしたオイルなのか、誰にも答えは出せない。
「……不思議なんだな。そうだよな。お前はセセリの記憶を見て、設定として議員からの愛を認識している。お前自体にも向けられている愛なんて、わけわからんよな」
粘ついた海から水面を割くように立ち上がった眞紅は、同情するように呟いた。
「どうして……!?僕、貴方を不幸にする化け物だよ!?どうして……!」
怪物はもはや、聞き分けのない子供のように喚くしか出来ない。
「化け物だなんて思えないの。こんなに怖くてありえないことが沢山起こっているのに。あなたはやっぱり私の娘だから……。例えあなたがセセリじゃなくたって、もう一人の娘ではあるでしょう」
「どうして……」
真っ暗闇に溶けてどこにも届かないような声だった。眞紅はなんとなく、彼女の世界が実際の街や空想の世界ではなく、どこまでも続いているからどこにも行きつくことはない孤独な星の海である理由が分かった気がした。
「それにね、私……不幸な女ではないのよ」
空に金属音が走った。何事かと眞紅は目線を上に向けた。
星空にヒビが入っていた。亀裂の向こうからは空の水色がのぞいている。
彼女の世界が砕けようとしていた。
「困るよ、なんで?」
「あなたがいてくれて幸せだったから」
「なんでなんでなんでなんでなんでなんで!?」
恐怖と自壊への自己防衛機能が働いて、単語を繰り返すだけの姿は、駄々をこねる幼児そのものだった。
「一人では幸せになれない弱い私を、いつだってあなたが幸福にしてくれていたの。
……あなたたちが、私を不幸になんてしなかった」
レムレス・ヴォイドの動きが止まった。そして、彼女の頭上から明るい日差しが差してきた。
まるでスポットライトだった。暗闇に一人、所在なさげに佇む一人の子供が明るみに出された。
光の数がだんだんと増えていき、そうして完全に超空洞が砕けてしまった。
ガラガラと大きな音を立ててキラキラ輝く黒い破片が剥がれ崩れていく。そして地面に落ちる前に砂になって、空に溶けるように消えていった。
超空洞とともに炎も消えて煙も薄くなり、空も晴れて透けるような青空が広がっている。
呆然とするレムレス・ヴォイドの頭が撃ち抜かれる。
眞紅が片手で反動も逃がせないまま、気合と根性で次々と弾丸を叩き込んでいた。未だヴォイドの耐久力と生命力は健在で、何発撃っても頭全体を吹き飛ばせない。
その頭からは黒い血が出ているが、それはすぐ砂になって消えてしまう。
「そんな、嘘」
レムレス・ヴォイドは傷ついた自分の頭と流れる血、飛び散る肉片を信じられない様子で眺めている。
「よく見ろヴォイド!あれがお前の母親だ!」
顔を上げて、しっかりと娘の目を見ているシェイスがヴォイドには見えた。その眼にはきらめきと輝きがある。決して自分を責めている女の目ではなかった。
化け物は、動画の中のシェイスの顔を見せられている気分になった。いや、そうだ、セセリの目にも見えていた。あれはセセリの記憶だからだ。いつだってセセリは、母が立ち上がる様をちゃんと見ていた!わたしは知らないはずのものを知っているはずだった。それは思い違いだった。
わたしは記録を見せられていただけで、何も自分のものには出来ていなかった。自分の感想すら抱けていなかった。椅子に置かれて、偶然画面の方を向いているだけの機械だった。やっとその事実を飲み込んだヴォイドの目からまた何かが漏れ出た。
心と連動しているのだろうか?それとも思考がここで涙のようなものを流すべきだと命令を送っているのか?
眞紅はそう推測は出来るが、推測に過ぎない。彼女が何を考えているかは分からない。本当は機械ではなくとも、人の考えていることなんて分からないのだ。眞紅はそれを知っていたが、あえていつも口にはしなかった。
「セセリとお前を愛した母親が不幸になることなんてないんだよ!お前ごときがどれだけ暴れてもな!」
「黙れぇぇぇぇぇ!!!!!」
残った翅で眞紅を背後の壁に叩き付ける。まだ二枚ある、羽ばたけば、望むのなら宇宙にだって飛んでいけるその翅は地面でもがき足掻くことに使われている。
何かが軋む音がした。音の出所を見上げるより先に、ドームの天井の一部がレムレス・ヴォイドに降り注いだ。かろうじて崩れずにいた部分の支点をラテントが撃ち抜いた。それが彼女に落ちてきたのだ。
翅が一枚ちぎれ、苦悶の咆哮を上げる。
そんな彼女を、眞紅は倒れることなく見つめた。
「死んだ奴が生きてる人間を変えられるわけないだろ。今更折れないんだよ」
黒い眼の中の輝きに、ヴォイドは星空を見た。それは自分が垂れ流していたものと似ているようで全く違った、他人だけが見える宇宙だった。
「クレイドもな」
ヴォイドの真後ろに、爆炎をまとったグレーダーを構えるクレイドがいた。とうにヴォイドを葬るために必要なエネルギーは集め終わっていて、空気すら灼けて空間すら歪んで見えるほどの炎と熱がすぐ今にも襲い掛かってこようとしている。
振り返るより早く、その大剣と炎は化け物の身体に届いた。身体が断ち切られたその瞬間、クレイドの光すら飲み込むような青い瞳が彼女を捉えている。宇宙に近づいた空の色だった。
「
骨が砕け身が裂かれ全ての感覚が痛みに塗りつぶされた後、炎と熱が痛みすら奪って何もかもを焼き焦がした。
気づかなかった、どうしてと演算する中、別人のギフトを感じた。あぁ、とヴォイドはペーレイラから送られた執行官達の情報を思い出した。ゴーファーとかいう女のギフト『
こんな核弾頭みたいな力をもヴォイドから見えなくしていたというのか!
思考の端にまで火がついて、頭の中すら燃えていく。レムレス・ヴォイドは最後にセセリに似てもいないうめき声すら出せない己にばかり気が向いて、白けたように笑ってしまった。
天空まで燃え上がった炎に、あれだけ暴虐の限りを尽くしていた怪物は簡単に焼かれてしまった。
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