第42話 冒涜・2

 アリーナは崩壊した。

 眞紅は「~~~~っあぁぁぁ!?!?!?」と声にならない叫びをあげて廃棄口に落ちていく。だがクレイドは落下しながら大きな床片の上を蹴って器用に移動し、眞紅を掴んで廃棄口壁面にまで到達した。

「掴まっていろ」

 その声で眞紅は、とっさにクレイドにしがみついた。クレイドはグレーダーの刃を壁に刺し、落下速度を軽減する。バターのようにぱっくりと切れていく廃棄口の壁に、もっと根性見せろ!と文句を言おうとしたが舌を噛んで死んだら迷惑だと思って黙ることにした。


 ふと視界の端で崩れた客席が廃棄口に流れ込んできている。崩壊はアリーナにとどまらず、闘技場全体が破壊されてしまったようだ。その中に関係者席の残骸と共に落下するセセリが見えた。

 ヴォイドといえどもそれが願いでない限りは空を飛べない。足元が崩れれば落ちるしかない。

 二人にも大小様々な瓦礫が飛んでくる。丁度いい感じの大きさの石材が、クレイドと壁に挟まれた、わりと安全な位置にいる眞紅の頭にピンポイントにぶつかる。

「な、なんで」とクレイドが小声で狼狽えた。爆炎と崩落の渦中にあって、それでも眞紅の耳にははっきりと届いた。そして確かに、と同意を返したくなった。


 廃棄口は非常に頑丈な造りで、壁が崩れることはなかった。廃棄口最下層の地下フロアにはゴーファー達がいるはずだが、彼女達は被害が及ぶ前に距離をとることが出来るだろう、と眞紅は安心した。

 崩落や燃焼を避け、自分のタイミングで着地するためにクレイドは壁を蹴った。落下物に多少は当たりながらも、致命的な攻撃は食らわない。

 数秒の跳躍の後、二人分の体重がかかっていることが嘘のように華麗に着地した。

 先ほどのアンラッキーがなければ大規模な崩落に巻き込まれた際の回避行動としては、パーフェクトと言える動きだった。


 周囲の安全を即座に確認した後に、眞紅はやたらとゆっくりと下された。壊れ物のように扱われた不満を顔に出すと、向こうも気恥ずかしさがあったのか何か言われる前から不服そうだった。

「もっと雑でいいって」

「頭を」

「打ったけどまだ戦闘中だし。どうせすぐ治る、そういうギフトだから」

 会話を中断するように、突如どこからか鼻歌が聞こえてきた。

 二人は即座にひときわ燃え上っている瓦礫の山に向けてグレーダーを構える。

 再びクレイドは庇うように眞紅の前に立った。大剣と銃であれば隊列はそうなるだろうが、あまりにも迷いがない。


「……願いがある限り、決して止まらない化け物、か」


 目が慣れて炎の中の瓦礫とともに、人間のシルエットが見えてくる。

 セセリは、炎の中で踊っていた。一切ぶれていない旋律で鼻歌を歌いながら、嬉しそうに十字架に足を絡めている。闘技場内部のオーナメントの中に十字架があったな、と眞紅は思った。

 レイオールには国教はなく、信仰の自由もあるとは言えない。

 宗教という概念すらふんわりとしている者が大半だ。眞紅には宗教に良い思い出も悪い思い出もある。だが今は対岸のグレーダーだと思っている。

 此岸では武器と呼ぶものをあちらでは信仰と呼ぶだけのことで、似たようなものだと考えている。

 セセリはそれに足を絡めてなまめかしく踊る。

 冒涜されている、と感じたのはきっと、そういうことだろう。

 眞紅はトリガーにかけている指から力を抜いて冷静になるよう努めた。


「力押しじゃあダメだ。あの女の願いを、心をぶち折らないと、一旦引くぞ」

 クレイドは振り向かなかったが賛成だというように半歩下がった。あの大扉には隙間があり、その隙間からは電磁ネットが見えているが人の気配はない。設置していた退魔士達は避難している、ならばあそこから逃げるか、と眞紅は考えた。

 タイミングを見計らう二人をあざ笑いながら、セセリは十字架に体重をかけて上体を反らして片足を高く上げる。

「もうちょっと遊んでいきませんか?」


 彼女が妖艶に微笑むと、三人の周囲があっという間にカジノの中になった。

 否、そう見えていた。


 眞紅は、この光景が幻覚と分かっていても、客とぶつかりそうになると思わず避けた。そして見えない足元にある瓦礫に足をとられて盛大に転ぶ。手をついたり受け身をとったりするにも地面を確認しないと出来ないことである。一見華やかなカジノで顔から転ぶドジな男だった。

「これは幻覚……質量が無い、床はさっきの瓦礫のままだ。まだ具現化は不安定で超空洞も使えない。つまり幻覚は幻覚に過ぎず、攻撃できるわけでは」

 ブツブツと考えを口にして突破口を探る眞紅に、一人の客が銃を向け、発砲した。

 それは眞紅の右肩に着弾し、真っ赤な鮮血をあげて貫通した。


「質量ありますねぇ!!!」

「バカ野郎油断するな!」

 クレイドは銃を持った客を斬るが、それは雲散霧消する。眞紅は驚かずに納得する。

「……ここの退魔士はグレーダーじゃなくて銃を持たされていた。街中に溢れている銃だけは本物なのかもしれない。つまり幻覚を見せながらも、いざというときは無関係な実銃を繰り出してくる、と」

「クソだな」

 簡潔な感想を言われて思わず眞紅の口元が緩む。


「どうします?逃げたいならその人置いて逃げたらいいと思いますよ。そういうの、お得意でしょう?」

 セセリのその煽る言葉で、背を向けていて顔の見えないクレイドの雰囲気が変わったことは、眞紅にも分かった。

 目の前の男のことはまだ何も知らない。だが目の前に立ってくれる男だとは知っている。

 この男と共に戦うなら何が必要か、を眞紅はなんとなく掴みかけていた。

 空が陰り、三人が咄嗟に空を、自分達が落ちてきた廃棄口の上を見上げた。


 そこにはドームからの光源を遮るようにして、巨大な瓦礫、いや、直径十メートル近いホテルの外壁が飛んできていた。

「クレイド」

 眞紅は身構えていたクレイドの裾を掴んだ。下手に言葉にせず、じ、っと目を見つめた。クレイドは迎撃しようとしていた手を止めた。

 そして、瓦礫はまっすぐセセリへ落ちていった。


「へ?」


 セセリの戸惑う声はたった一音であっても最後まで聞こえなかった。


 カジノと大きな道路を挟んだ隣にある、ホテルの屋上にアミティエ達はいた。QUQの望遠モードで闘技場を見ていた四人は、“ホテルアリアドネ”と書かれた巨大な瓦礫が廃棄口の中にまっすぐ入って落ちていくのを見て、歓声をあげる。

「ホールインワン!」

「ドンピシャだよアミっち!」

 炎が廃棄口を伝って地下にまで来たため、全員避難し地上へと走った。現地の退魔士達は一旦支部局に撤退し上司の指示を仰ぐと共に、道中生き残りの救出を行うこととなった。安全な場所で作業を続けるべきと判断したパウルと、それを護衛するためゴーファーは一足先に彼らと同行し支部局へと向かったのだ。


 アミティエ達は、眞紅が一旦退こうとする会話を聞いたために、援護をしよう、と四人でここに残った。

 話し合った結果がホテルから外壁をひっぺがし、それを投げつける作戦であった。怪力はギフトでどうとでもなるがコントロールはアミティエの自力である。

 彼女はもっと褒めて!という態度を隠したりせずに三人からの賛辞を全力で受け止めている。

「えへへー。隊長は?」

「足音はこっちに近づいて……あそこだ!」


 ビョンギの案内で地下に続く入口の一つに向かった。スロープの向こうから、眞紅を片手で担いだクレイドが見える。

 四人は手を振って彼を呼んだ。


「安静に出来る場所は?」

「ローレルさんに連絡がついたので準備してもらっています!案内します!」

「すぐに移動しましょう」

 五人はすぐさま走り出し、セセリのいるカジノから、廃棄口から距離をとった。

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