第41話 冒涜・1

「ムルナがやってくれたみたいだ」

 眞紅は確かめるように口に出し、半分崩れた天井から見える空を見た。さっきはよく天井に当たってくれたものだな、と安心した。

 壁や天井や様々な成れの果ての淵には零烙れいらくがこびりついていて、それらが固まり棘やイバラのように禍々しく怪しく光っている。アリーナから見える景色だけでだいぶ違う。これはここから出たらさぞや悲惨な光景になっているだろうな、と眞紅は思った。


 いや、ここだけでもう悲惨だ。ゴレムは全てクレイドが倒してくれたが、二人の周囲にはゴレム以外の死体が転がっていた。恐らくショーの勝者だろう。

 全ての身体と首がちぎれたように分かたれており、首輪が爆発したのだと予想出来る。敗者も勝者も時間の差はあれど爆弾を起動させられる。眞紅が悶々と、一体何のためにこんな悪趣味なゲームをしているのか、と考えるとどうにも気分が優れない。

 先ほどまでは一切感じなかった、むせ返るほどの血と臭気のせいでもある。ここまでの悪臭に本当に気がついていなかった。それだけ自分がQUQや感覚の操作に慣れ切って依存している証左でもある。眞紅は大きなため息をついた。


「よくも踏ませてくれたな。ご遺体を……」


 とりあえずの雰囲気で文句を言った。それが多少の甘えからくることはクレイドにも伝わったらしい。彼は多少の申し訳なさを感じている顔をしながらも、本気で謝る気は無い。

 だがクレイドは突然、高台にある関係者席に向けて剣を構えた。

 彼のただならぬ雰囲気に、眞紅も再びグレーダーを構えて同じ方向に向けた。


「頑張って頑張ってここまで誤魔化してきたのに、あんまりです」


 聞き覚えのある、二人が予想した通りの声が聞こえてくる。

 セセリだ。まぎれもなくセセリだった。


 長い黒い髪をなびかせながら、光が差す階段を悠々と降りてくるセセリは、どことなく楽しそうだった。ずっと楽しそうな彼女ではあったが、解き放たれたような身軽さとある種の神々しさを感じさせた。


「はい、セセリちゃんです。僕、レムレス・ヴォイドってやつみたいです。

 ……ですよね?」


 自分のことでありながら確証はないといった様子だった。第四主都は市民等級の高い者のための避暑地ではあるが、そこに住む者や働く者は必ずしも一等市民や二等市民ではない。与えられる情報は管理されていて疑問にも思わず一生を閉じていく中で、何らかの要因で等級以上の知識領域に踏み込んでしまう事態は当然ある。

 人工知能は人間の心のみならず、機会や運勢や人生そのものも管理し尽くせないと理解している。レムレスなどその最たる例だ。セセリも自分がレムレスになるまで起き上がる死体のことなど考える必要もなかっただろう。

「ヴォイドのことは知らない感じ?」

「えぇ……三等市民なもので」

「そりゃあよかった。付け込み放題だ」


 眞紅は言い終わらないうちにセセリの頭部に発砲した。彼のグレーダーはサブマシンガンに寄せた連射性と速射性と携帯性に特化したものではあったが、通常のレムレス相手には十分に通じる威力を持った兵器である。

 三連射した弾丸は一寸の狂いもなく、全てセセリの脳天に命中した。

 だがセセリは多少のノックバックはあれど、ケロッとしていた。

 彼女自身、グレーダーの攻撃に多少身構えていたし、着弾の瞬間は反射的に目を閉じていた。恐らくはこうして戦うのも執行官を相手にするのも初めてなのだろう。

 人間の感性のままだな、と眞紅は冷静に観察していた。


 セセリが自分の頭を触って確認しようとしたその隙を突くように、渦を巻いた炎が飛んでいく。炎は彼女に命中すると、更に大きなとぐろを巻いて空まで登る火柱となって彼女を焼き続けた。

 空気が熱くなり鼻や口の中が焼けていくようだった。

 眞紅は肺までダメージが行かないように、慌ててQUQの設定を弄った。通常なら自動的に更新されるものだが、今は違う。

 巻きあがった火の粉は闘技場内にある全ての遺体を焼き始めた。彼らは蘇ることはない。

 それでも燃やすのは何故か?

 それはクレイドの優しさなのではないか、と眞紅は考えた。

 犯罪者だろうが、命を弄んだ者であろうが、死んだ後も辱めを受け続ける謂れはないのだ。

 供養もされず放置され、それを認知されることもなく無のまま無の中で無に還るのは、やり過ぎだと思った。

 そしてなんとなく、クレイドもそう感じてくれているのではないかと思えたのだった。


「ちょっと、困るんですけど。お兄さんってば酷い人ですね」

 セセリは燃え盛る炎の中にいながらも、髪の毛一本も燃えていない。それでも火への根源的恐怖はあるらしく、口元を抑えて多少身を屈めている。しかし壁やモニュメント、半分残った天井、それらにこびりつく零烙れいらくまでもが燃えて溶けて消えていく中で何ともない自分、に気づいてきてしまったようだった。

 彼女の口角がいびつに上がった。


「レムレス・ヴォイドって凄いんですね。重機で壁を崩して家の中の人を虐めたり、奥さんとか旦那さんの死体をリビングに置いといたりはしたんですけど、流石に放火はしてないんです。だから火にも強いなんて知らなかったな」

「酷いことするんだな」

「なんか、面白くて。最近本当に……楽しいのが抑えられなくなっちゃったんです。でもそれで雑になってきちゃったんですかね。なんかふとした時に気づく人もいるっぽくて、あなた達みたいなのが来ちゃうなんて最悪です。

 僕ってばもっと上手く立ち回れるはずなのに、どうしたんだろう」


 絶えず燃え続ける炎に空気が薄くなっていき、地面にヒビが入っていく。クレイドが何かを待っているように見えてセセリに話を続けさせてみた眞紅だが、これから彼がどういった行動をするのかの予測がつかないままではあった。

 この作戦前、列車の中でもざっとクレイドの戦績には目を通した。だが単独行動が多いために、QUQの事実の羅列をしているだけの記述では参考にならなかった。

 レムレス退治はチームプレーである。彼が未熟な生徒であるならばいくらでもアプローチ出来るのだが、自分より強い一級執行官だとすると途端に分からなくなる。

 かといってここで下手に意思疎通の不能を敵に見せるのも憚られる。眞紅は自分の勘と空気を読む力を信じるしかない。

 それと、未だ何も言ってくれないクレイドを。


 大丈夫だ、彼の優しさくらいは知っている。眞紅はしっかりと前を見た。

 斜め前に立つクレイドではなく、セセリを、敵を見た。


 熱と炎で視界が揺れ始め、パキリ、と岩が割れるような音が聞こえた。壁が崩れようとしているのだろうか、と眞紅は考え、これはいよいよ動きがあるかもしれない、とグレーダーと心の準備を改めてしたところで。


 アリーナ全体の床が割れて、地面が砕けた。

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