第34話 汚水

 楽しげだがうるさくはなかったフロアに、男の怒声が幾度も響く。

 声の出所に目を向けると、壁際でセセリが男に絡まれていた。カジノは営業を開始し、まばらに客の姿が見える。いつの間にこれだけ人が来たのだろう、とエルデは少し不審に思ったが、それより目の前の揉め事が大事だ。

 だが他の客は驚きもせず、声を荒げる男などいないかのように気にしていない。ただそんな無関心な客の相手をしているディーラー達は横目で様子を窺ってきている。


 抑え目の赤色のジャケットと黒いタイトスカートという、他の従業員と同じ無個性な服装にも関わらず、セセリは唯一無二で目立っていた。それは恐らく彼女に絡む男にもそう見えているのだろう、ただの怒りにしてはやけに別種の興奮が乗っている。

「特定のお客様を勝たせるサービスはございません」

「でも、あんなに熱っぽい目で俺を見て」

「この目は生まれつきなものでして。あとこの唇も、その下も」

 セセリはあえて少し爪を伸ばした白く細い指で自分の輪郭をなぞり、首を撫でて鎖骨のあたりまで服の上から触っていった。誰が見ても様々な意味で煽っている。男はわなわなと震えていた。

「馬鹿にしやがってこの女!」


「あ、助けてくださいお兄さん」

 逆上した男を無視してセセリがこちらへ小走りで近づいてきて、クレイドの背中に隠れた。男は一行を見るが青い制服にたじろぎ、不服そうに逃げていった。

「助かりました、お客様には強く言えず」

「助けてないだろ」

「怖かったんですぅ」

 セセリはクレイド以外を無視して彼の腕をとった。すぐさま緩く振り払われるが、気にせず肘を掴んで手を絡ませた。

「もしかして俺って彼女に見えてないのかな」

「悲報、隊長、死んでる」

「いつものは瀕死じゃなくて死んでたのか……ってそれ俺レムレスじゃねーかやめろ」

「縁起でもないこと言わないでください」

 眞紅とビョンギを叱るエルデを見て、セセリは目を細めた。エルデもそれに気づき冷ややかな目を返すと、彼女はつまらない物を見たようにクレイドに目線を戻した。


「助けてもらったお礼です、ゲームしていきませんか?」

 クレイドは終始無言のまま手を振りほどく。再び触れようとした彼女から遠ざかろうとするが、セセリは「少し待ったほうがいいんじゃないですか?」と声をかけた。

 目的の通路前には黒服が多く見られた。用心棒に近しい働きをする従業員なのだろう、と眞紅が考えているうちに彼らの半数が移動し、壁際で項垂れる客の一人を囲んだ。彼は抵抗しないで連れていかれてしまう。先ほどのセセリに絡んだ男と言い、あまり一流のカジノの光景とは思えない。


「あのお客様もさっき僕のテーブルにいた方なんですけど、どうも賭けすぎていたようで。僕全然気づかなかったんです。まだまだですね」

 セセリはくすくすと笑う。つまり二人とも彼女が相手をした客だ。それが一日、それも朝と言って差し支えない短時間に二人もおかしくなっているというのに、彼女は笑っている。

 男はぶつぶつと臓器を売る、だの家族のクレジットが、だのと呟きながら外に消えていった。

「今時本物の臓器に価値ありますぅ?」

「無い。人工臓器のほうが安心安全だし、おまけに安価だ」

「生命保険コースか。ギャンブルで失敗するような馬鹿を生かしておくほどこの世界にスペースは無い」

「脳圧縮されるタイプの人って、レムレスにならないのでしょうか?」

「圧縮直後に焼却炉に投入されるから蘇る暇はない感じらしいぜ。それにそういう人って誰にも祈ってもらえない人が多いしよ」

 残った黒服達はQUQで連絡を取り合い別のフロアへと行った。やっと目的の通路前に人がいなくなった。ネーレイスの許可があるため好きにいけばいいが、それでも不確定要素は取り除かれていたほうがいい。


「よし、じゃあ」と眞紅が一歩前に進もうとすると、彼をいないもののように扱っていたセセリが軽やかに前に出た。

「レムレスって生き返った人なんですよね。どうして倒さなきゃいけないんです?」

 突然のセセリからの問いに、横を通り抜けるつもりの眞紅も足を止めてしまった。罠か網にかかったような感覚が彼を襲った。

「あいつらは他人のご遺体を利用しているから、中身は本人じゃないんすよ」

 市民からの質問に答えることも国家公務員である退魔士の仕事の一つである。ビョンギがにこやかに簡潔に答えるが、セセリは不服そうだった。


 彼女はしっかり六人の行く手を阻むように立っている。答えないと先には進ませない、とでも言うようだった。眞紅は仕方ないというようにセセリを見た。


「身体という器から魂が抜けて空になると人は死ぬ。魂の21グラム分の器の隙間に祈りというガソリンを注がれて、再起動した存在をレムレスと呼んでいるんです。

 ちなみに一等市民の子供向けの教材では、魂の部分を気体、祈りを液体と仮定して風船と水風船で別物だと説明しています。そして世界は舟のようなもの。水風船が増えすぎると世界は沈んでしまうのです。だから水風船は排除しなければなりません」

「うわ分かりやすい」とアミティエは感心した。

「人間という風船はどこまでも飛んでいけるけど、レムレスという水風船は地面に転がるのが関の山ってことですね」とエルデは笑った。

 談笑する空気の中でセセリは面白くなさそうにしている。自分から質問しておいて、帰ってきた答えが気に食わなかったらしい。


「本当に器は空になってしまうのでしょうか。底に心や魂が残っているのでは?

 つまり、レムレスは燃料と魂が多少混ざり合った本人なのでは?」

「少しでも他人が混ざったら本人とは言えないのでは?風船に少量の水が入ったら飛べませんよ。ヘリウムより水の方が圧倒的に重いですからね」

 エルデは棘のある言い方をしてしまったことを少し悔やんだが、まるでそのセリフを待っていたかのようにセセリは目を一瞬ギラリと輝かせた。


「誰だって誰かに影響されてしまう。生きていれば当然です。世論に流されるのも流行りに乗るのも場の空気に押し負けるのも誰だってあり得ます。精神的に衰弱したら自分の意志が自分からきているのかどうかもわからなくなる。

 それでも自分は自分のままですよね、それと何が違うんです?

 他人を諦める理由には薄くないですか?」


 畳みかけるように言われて、エルデは思わず口ごもりアミティエを見た。アミティエが突然気の利いた言葉を言えるはずもなく、結局は二人して何も言えない。

 なんだか不愉快さを増していくクレイドを手だけで「まぁまぁ」と抑えた眞紅は、改めてセセリに言葉をかける。

「違います。人間は人間ですが、レムレスはどっちかというと、機械に近いんです。ボディーにガソリンを動くので。ガソリンが尽きたり揮発したりすれば死にますし、プログラムされたことしか考えられないし」

「え?初耳なんですけど。レムレスも感情や思考があるから厄介なのでは」

 尋ねたのはセセリだが、若者四人も似たようなことを聞きたそうであった。


「卒業試験の時そんなこと言ってましたね。なんか中断されて全部聞けませんでしたけど」

「感情はあるんだよ。ただしその感情や思考は生前の人間を参照し、適宜最良と思われるアクションを実行しただけに過ぎない。本人より遥かに予想がつく。人間は一時的な、衝動的なものに突然振り回されてガバチャー繰り広げますからね。

 レムレスなんて偶然その器に注がれた汚水にしか過ぎない。水の入ったコップとともに机に置いて食事をしても構わない奇特な人はたまにいますが、衛生上の問題が無くなったわけじゃない。除けるしかないんです、食卓から汚水は」


 ほんの刹那、セセリの口元が微かに歪んだ。だが誰にも気づかれていない、と彼女は思っているが、クレイドと眞紅はしっかりとそれを見ていた。そして眞紅は何か確信を抱いたようにわざとらしく、にっこりと笑った。


「ガソリンって例えを使った理由もあります。他の存在と混ざりませんし、気化して膨張し底に溜まって小さな火種でも爆発する。枯渇したり欲望を抑えられなくなったりして大暴れするレムレスと気質が似ていますから」

「おやおや、そうなんですかぁ」


 にこにこ笑い合う重苦しい空気の中、セセリのQUQから彼女を呼ぶ声が聞こえた。

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