第30話 毒のような女


 動揺する室内で、真っ先に動いたのはローレルだった。彼女は椅子から飛び出し、即座に自分の荷物からポリ袋を取り出した。

「どうしたんですか?」

「おいオペレーター、この水とコップを成分分析にかけろ。空気感染は?」

「それは絶対しない」

 うろたえるパウルに指示したラテントは、ローレルからの返答に安心したようだった。

 ローレルは簡易キットで箱を作って袋をかぶせて、眞紅の前に置く。

「吐け!!!!」


 眞紅は箱の中に、うおぇぇぇぇと盛大に吐瀉したが、それは水や胃液ではなく血液だった。


「き、教官!?!?」

「大丈夫ですか!?」

 慌てるアミティエとエルデの腕を、ムルナが無言のまま掴んで首を振った。

「毒かもだし、吐いた血も危ないよ。ちょっと距離置こう。

 ローレルさんに任せよ、な」

 すかさずビョンギがフォローをした。


「……ポーションに小さな穴が開いてやがる」

 サーバーを調べていたゴーファーが呟く。サーバーとポーションの映像を撮る彼女の記録を見ながら、ラテントはふむ、と考えた。

「極細の針だが……手動だな。印字に被り、サーバーにセットすれば見えなくなる箇所だ。手慣れているかそういった指示があったか、ってところか。めんどくせぇな」

「俺もそう思う。サーバーの不備とかじゃねぇ、だろ?」

「えぇ、詳しい検査もするけど、簡易的なチェックを鑑みるに……。サーバーもポーション自体も、勿論カップもなんともない……と思う」

 断言する二人と違い、パウルは混乱もあって頼りないようにも見える。


「これ一つにだけ仕込んだみたいだ。ここに来るまでに時間があった、調べるべきだった。責任者自ら飲んでくれて良かったな」

「その言い方は」

 ラテントの言葉に声を上げようとしたエルデを、息も絶え絶えな眞紅が片手を上げて制した。

「いや、その通り、だ。はは……。……一旦頼みます」

 ラテントは眞紅の様子を見て呆れたように大きな溜息をついて、少なからず自分に反感を抱いている新人四人を見る。


「お前ら、他に何か無いか調べろ。お前らが見つけられなくてもQUQが見つけてくれる。とはいえ今の状況的にQUQの全てを信じられないかもしれないが」

 パウルが小さく「う」と呻いた。

「とっとと動いてちょうだい。隊長を休ませないといけないんだよ?安全を確保しないとね。それとも心配だけして暇を潰しておくのかな」

 ほんの少しだけ柔らかい言い方でローレルが続けると、四人はようやくかつて教えられた通りに室内のチェックに取りかかった。皆を懐柔しながらも、いいから動けと言う彼女の助け舟に、ラテントは助かったとでも言うように息をついた。

「あれ?クレイドさんは?」

 ふと投げかけられたアミティエの問いに、答えられた者はいなかった。



 クレイドは、闘技場が見える地下の通路に戻っていた。

 そこにはさっきからずっと待っていたかのように、壁に背を預けているセセリがいた。

「おかえりなさい」

 まるで彼が来るのも分かっていたと言わんばかりに、彼女はにこにこと笑いかけた。


 クレイドはそれを無視して、再びカーテンを開けた。闘技場に人の気配はなく、わざわざスピーカーを作動させずとも誰もいなくなったと分かる。

 闘技場には死体が二つ転がっているのが見えた。片方は頭が無い、恐らく爆弾が爆発したものだ。そしてもう一つの死体からは首輪が外れていた。外れてはいたのだが、全身血まみれで、手足があらぬ方向に折れ曲がっている。

「僕、もうすぐ行かなきゃいけないんです。始業時間ですからね。クレイドさんは一人で大丈夫ですか?」

 セセリが声をかけたのとほぼ同時に床が開いて、死体が下に落ちていった。クレイドは彼女の声に反応しながらも振り向きはせず、死体の落下を見届けていた。

 返事どころか見もしないクレイドに腹を立てる様子もなく、セセリはクレイドの隣に来た。そしてガラス越しに闘技場を見ながら、反射を利用して目を合わせようとする。


「他の皆さんはどうしたんです?何かあったりして」

 闘技場は青い淡い照明で照らされている。薄暗い通路から見ると、海底に沈んだかつての文明の跡のようにも見えていた。一見ロマンチックなロケーションで、黙ったままの男と煽るように微笑む女が隣りあって腹を探りあっていた。

「逆に楽しむことってできないんですか?ピンチはチャンスですよ」

「無理だ」

「やっと返事してくれた」

 ふふ、とセセリは笑った。そこだけは他意なく、本当に嬉しそうであった。


「辛いことが……例えば、誰かに不幸があったとかですか?貴方のせいで」

 少しだけクレイドの目が冷たくなったのを、セセリは見逃さなかった。

「それを悔いているのでしょう?実は僕って人の心が読めるんですよ。それをお仕事に生かしているんですけど」

「読めはしないだろう」

 クレイドははっきりと言い切った。セセリはまた嬉しそうに、ただ少し見透かされたことを恥じらうように笑った。


「読めますよ。自分を怒ってほしいし罰してほしい。嫌われ待ち、じゃないですか?クレイドさんって。臆病者。僕と正反対。

 だから仲良くしたいな。

 楽になる方法、いくらでも教えてあげますよ」


 セセリの黒い瞳がまっすぐにクレイドを見た。

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