第2話 運命・2

 男は一見小汚い格好の人間に見える。だがよく見ると大量に付着した血が乾いて染みになった服は随分と年代を感じさせるものであり、それでいて髪とヒゲは短く清潔に切り揃えられている。全身小さな擦り傷と切り傷だらけだが、新しい切り傷がぱっくりと開いているにも関わらず血が出ていない。


 間違いなくレムレスだった。乾いて消えかけの死体ではない、まだ動き喋る死体だった。


 レムレスは血の出ない額の弾痕を気にする様子もなく、三人がいる部屋とは逆に呼びかける。そして壁に飾ってある犬の写真を見て、何かを探すそぶりを加速させる。

 机をひっくり返し、床板を剥がし、壁に開いた小さな穴を素手でほじくった。この家の状態が誰のせいなのか合点がいった、とエルデは息を潜めながら考えていた。

「ポーキー!」

 彼が手に取ったのは、布で出来た小さな人形だった。薄汚れて頭のとれた、どこにでもある普通の物に見える。

「探したんだぞ、駄目じゃないか僕から離れちゃ。……ポーキー……」


 嬉しそうに人形をがたがたと揺すぶった後、レムレスはそれを、握りつぶした。


「ポーキーはいない。ポーキーがいない。ポーキーがいなくなっちゃった」


 自分のやることをやっと思い出した、というような安心した顔だった。ポーキーと呼んだ人形を見つけた時よりもずっと幸せそうな顔だった。

「……ポーキーを探さなきゃ……」

「やれるか?」

 眞紅は突然声に出して二人に尋ねた。二人が返事するよりも早く、レムレスがこちらを振り向いた。

「ポーキーが三人もいた!良かった!」


 レムレスがどたどたと歩き出す。しかし、眞紅が膝から下を撃った。

 男の顔をした化け物はその場に倒れた。自分が剥がした床板の部分に足がはまり、三人に頭を下げているような姿勢になっている。

 だが彼は慌てる様子もなく、今度は床に散らばっていた絵本の挿絵を見て「ぽーきー!」と叫ぶ。だらしなく開いた口からよだれを垂らしながら、這いつくばって必死に絵本のページをかき集めている。


「……やれます」


 アミティエは斧を振りかぶる。狭い室内では巨大な刃と長い柄を持つこの武器は扱いにくい。だが彼女は天性の勘と恩師からの教えにより、訓練生の誰よりも自由に戦うことが出来た。

 鋭い刃でレムレスの首を正確に切りつける。初めから切り目があったかのように、そこから静かに綺麗に首が切断され、絵本の残骸の上に落ちた。

 三人は武器を構えたまま、横たわる土気色のレムレスを見つめた。頭部を切断された死体は徐々に崩れて、すぐさまただの砂の山になっていった。取り残された頭部もまた、同じように消えていく。


「隣の部屋を見ていなかったと」

「はい……さーせん」とアミティエは乾いた笑いとともに反省していた。

「危ないじゃない!……って私も見ずにここに来たけど……」

「どうしよエルデー!あたし卒業できないかもー!さっきからミスばっか!」

 嘆く少女に、眞紅は小さくため息をつく。

「別にこれ一回で決まるものじゃないし、そもそも卒業試験なんて卒業出来る見込みのあるやつだけが受けれるんだからさ。死ななけりゃ合格だって言ってるだろ?

 現場だって新人にレムレスの相手なんかさせないし、後ろの方でじっくり色々出来るようになればいいんだよ」

「それはそれで面白くないんです!」とエルデも噛みついた。

「真面目か。そして真面目なら、分析官からの通信もちゃんと拾ったほうがいいぞ」

 眞紅の言葉に、二人は慌ててQUQを確認する。そこにはチームメイトで分析官志望のリャンからの通信が入っていた。


「ごめん、何?」

 空中に浮かぶ半透明なディスプレイに、二人と同じ年頃の少女が写った。彼女は不安そうに眉を顰めている。

『何じゃないよ~!さっきから隣の部屋にもう一体いるって教えたかったのに!』

 別画面に映る地図には、リャンが示してくれたピンが刺さっていて、先ほどのレムレスの出現と接近をきちんとキャッチして教えてくれていたと遅れて二人は理解した。そして自分達の教官が一撃で頭を撃ち抜いた理由も理解した。分析官から敵の正確な位置を教えられていたからである、と。

「常に周囲に気を配り、オペレーターの声を聴く。地図や情報は常に更新されるものだから確認を怠らない。リャンももっと声を張り上げて執行官にキレていいよ」

『レムレスに聞こえちゃいません?』

「聞こえるよ。それでも必要だからね。すぐに戻るから反省会はそれからな」

『はい……ぶっちゃけ怖いので早く帰ってきてください……』

「アフマドがいるだろ」

 画面の端にこっそりと映っていた少年は、自分の名前に反応して手を振った。

『訓練生二人ですもん!しかも志望が分析官と救医官ですよ!?グレーダーでバンバン敵を倒す執行官じゃないんです!』

『ちゃんと結界張ったから大丈夫だって』

 のんびりとしたアフマドを見て、画面の中のリャンは涙目になって訴える。

『不安なもんは不安なんです!あんたらも早く教官こっちによこして!早く!それにさっきから他のグループと連絡取れないんです!』

「そっちの装備でもか?」と眞紅は尋ねながらも自分のQUQを操作する。


 この村の付近では5つのグループが試験を受けていた。試しに連絡を送ってみたものの、確かに誰にも届かない。メッセージを送信出来ず、受信出来ない。

 こうして短距離での通信は可能で、オフラインでの機能は十全に行えている。中距離からの通信が出来ないのであれば、考えられるのはレムレスの出現により発生したゼヌシージ粒子での通信障害、の線が濃厚だった。

 事前に退魔士の中の実行部隊である執行官数名が見回って、会話の可能な強いレムレスがいないことは確認してあった。だが不測の事態はいつだって起こりうる。


『アンテナは壊れてませんし正常に動作しています。だからゼヌシージ粒子の濃度が原因だとは思うんですけど、つまりそれってまだ近くにレムレスがいるってことですよね?』

 優秀な教え子は、教官が合流まで言わないでおこうとしたことを言い当ててしまっている。そして自分で自分の発言に震えている。

『そうだなぁ。ヤバいかもなぁ』

『あんたはもぉー!』

「その調子だ。その勢いでキレような。じゃ」

 不穏な空気を感じ取った眞紅は、それを教え子らに悟られないようにいつも通りに努め、一方的に通信を終了させた。

「そして現場はこうやってごちゃごちゃ言われるのを拒否出来る。何か起こったのかもしれないな、急いで戻るぞ」

 さっさと歩きだした彼の後ろを行くアミティエは、

「ポーキーって結局この犬なのかな」とエルデに聞いた。地図を確認しながら歩くエルデは、あまり興味のないように「違うと思う」とだけ答えた。


 レムレスは、本来の身体の持ち主の願いに突き動かされ進む化け物である。

 もし生前の身体の持ち主に好きな人物がいたら、その人物を手に入れるために立ちはだかる全ての殺害と破壊を厭わない。対象の生死も厭わないし、対象が違ったとしても気にしない。恋心のみに突き動かされ、次々に目に入った人物を手に入れようと暴れ続ける存在となる。

 お腹いっぱい食べたいという些細な望みすら、人や土や木をひたすらに食べ続ける化け物に至ってしまう。

 そして彼らの願いは決して叶うことはない。

 いや、彼らは決して願いは叶ったと認めることはない。

「あのレムレスはポーキーを探すことが願いだったみたい。そしてポーキーが見つかったら、それは願いが叶ったということ。それでも彼らの飢えは止まない。自分はこの身体や願いの本当の持ち主ではないままだから。

 レムレスはその事実を認めてしまうと存在矛盾を起こして自滅する。彼らの謎は全て解明出来ているわけじゃないけれど、

 あいつらは、その身体の持ち主は自分であると自分に証明し自分を騙し自分を納得させ続けなければ死ぬ。……まぁ、乾いて死ぬことも多いけど」

「ポーキーを探し続けることだけが存在する理由になっている、だから見つけたポーキーを壊したり捨てたりして、また新しい別のポーキーを探すってことね。

 うん。ほんと、可哀想」


「ところが退魔士ならそんなレムレスにも終わりを与えてあげれるんだな、これが」

 眞紅は二人に優しく呼びかけた。

「人命を救い文明を保ち死者の尊厳を守る、それが退魔士と教えてきたよな」

「はい。片時も忘れたことはありません」

「おまけにその借り物の身体と願いに突き動かされる、可哀想な化け物も殺してやれる。お得だろ」

 にんまりと笑いながらの教官の言葉に、二人は顔を見合わせて笑った。


「確かに!」


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