シーソーゲーム

酒匂右近

第1話

 私はヒスメナ、IDEAの一番槍である。

 濃紺の髪を揺らし荒事の先陣を駆る。

 IDAスクールのIDEAは治安維持組織。正式名称IDA防衛執行委員会であり、完全実力主義の少数精鋭部隊だ。一般生徒と異なる白制服に袖を通すのは誇らしい。

 そして私はエルジオン御三卿の一角ルナブライト家の嫡子でもある。だがIDEAは出自を知った上で態度が変わらない。ルナブライト家の者ではなく一介の学生として扱われる、気の置けない関係が心地いい。七光りではなく私個人、私だけのものだと確信できるから。

 何より、この組織の一番は私ではなく彼女があたりまえだからだ。われらがIDEA会長をちらりと見る。

「偽Git含めIDAクレジット不正使用に関してはほとんどいたちごっこのようなものだからね。対策メンバーのスカウトもしがいがあるというものさ」

 会長が立体映像と音声で各部署の進捗を確認している。

 今日もIDAスクールには問題が山積みである。ヤミリンゴから始まる夢意識事件も電子世界に閉じ込められたLOM事件が解決しても仕事の底が見えることはない。

 その中で一際光を放つのは会長ーーイスカそのひとである。

 金糸を紡いだような髪がさらりと揺れる。蝶の髪飾りがひらりひらり舞い、自由奔放なイメージを抱かせる。その気になればこの学府の牢獄からためらいなく飛び立っていくだろう。

 けれどIDAの自由を愛するがゆえに会長職を辞する気配はなく、問題の解決に尽力している。

「蛇の道は、って? またこちらに引き込むの?」

 愉しそうに眼を光らせるIEDA幹部。類は友を呼ぶ。

「それは交渉次第だろうね」

 みんなして肩をすくめる。

 最初の出会いはどうあれ、ここにいる人員はイスカに惚れ込みIDEA所属を決めた者ばかりだ。清濁併せ飲む彼女のためならば……と労力を割くことをためらわない。

 内心嘆息する。このひとたらしめ。

「ヒスメナ? わたしの顔に何か付いているのかい?」

 付いてるわよ。端正なつくりの白皙の美貌が。

 晴れた日の空のような透き通った瞳が向けられた。 

 当然のように私の視線に気付いて、たおやかに微笑んでいる。

「いいえ何も?」

 務めていつもどおりに社交会で磨かれた笑顔を浮かべれば、

「ヒスメナがとても不機嫌な顔をしているものだから。どうしたものかと思ってね」

 名探偵は私の虚飾なんて簡単に見抜いてしまう。

 ……間が悪いというべきか。適性の問題か。

 視察に来た教授の接待をイスカが担当したことに異論はない。ルナブライト家の影響力を考慮して私が不適当だったことにも納得している。

 けれど正装したイスカの護衛としてアルドが選ばれたことには決して納得できない。

 オペレーターの映像データには、髪をまとめて濃紺のドレスに身を包んだイスカが映っていた。その隣には当然のように護衛のアルドが並んでいた。

 背中が大胆に開いたドレスを着て恥ずかしそうにしていたイスカを一番に褒めたのもアルドだという。

 私がそばにいれば……何十回目にもなる思考を打ち消す。

 アルドは時空を超える異邦人。

 猫のようにするりとひとの心の隙間に入り込む凶悪なひとたらし。彼の周りはいつも誰かしらいて途切れることはない。

 イスカも時間さえ合えば彼と旅をしている……心中穏やかでいられるはずもない。

 私がイスカの隣にいたかったのに。

 直接この目でイスカのドレス姿を見たかった。

 理事長夫人ではなく私がドレスを選びたかった。

 蝶だけではなく薔薇の衣装をふんだんに盛り込んだ濃紺のドレスを選んでいたのに。

 きっとイスカに映えていたことだろうに。

 関われなかった自分が心底恨めしい。

 その思いを押し隠して紅茶を口に含んだ。不満と一緒に飲み下す。これでも一応ポーカーフェイスはできる。イスカほど得意ではないけれど。

 映像の記憶を思い返す。

 護衛がいてもドレスを着ていても、帯刀することをやめなかったイスカ。そこに少しだけ光明を見出したような気がする。今もイスカのそばにある愛用の刀には柄頭に白薔薇の意匠が施されている。離れていても薔薇が私とイスカをつないでいてくれたように思えるから。まだ冷静でいられる。

「……なんでもないのよ」

「われらの一番槍どのは不機嫌な顔も魅力的だと、ネタに尽きた学内記者が騒ぎ立てかねないからね、早々にご機嫌を直してもらえないだろうか」

 あなたにはどうってことないでしょう。 

「あらそうかしら?」

 意識して肩の力を抜いてみせるパフォーマンス。

 そこかしこで安堵のため息が漏れて聞こえてくる。周りの人員まではイスカみたいに泰然としていられそうもないようだった。

 一番槍。

 それは渦中にまっさきに飛び込む人員。

 私はそれを誇りに思っている。

 危険な役目を任されているという自負と、槍を振るうことで後方のイスカを守ることができるという喜びが共にある。私たちの会長は必要とあらば前に出ることをためらわないから。

 違法改造ボットを破壊した後も、私を人目から隠すように立ち回ることも多かった。白制服が破れた時には、イスカの上着をかけられたことも少なくない。

 私があなたの騎士になりたいのに。

 あなたは私をお姫様扱いするのね。

「良家のご令嬢ががみだりに肌をさらすのはいただけないと思うのだけどね」

「イスカって本当に学生? 人生何週目? 年齢偽ってないわよね?」

 その言い回しは年配の男性のもので、特に社交会以外では聞いたことがない。

「わたしは偽るほど人生経験が豊かなわけではないよ」

 その時のIDEAメンバーの神妙な顔は忘れられない。

 会議は滞りなく終わり解散して白制服がはけていく。

「ねぇ卒業後の進路に探偵事務所なんてどう? 今なら護衛兼美人秘書もつくわよ?」

「麗しい御仁だけれど、美しい薔薇には棘があると言うじゃないか。わたしの手腕程度で御しきれるとは思えないのだけど」

 口ではそう言うくせに。 

 それもいいかもね、なんて顔をして楽しそうに笑うのだから始末に負えない。

 未だ父も健在で私はまだまだ未熟で。

 あなたのそばを離れたくなくて。 

 何物にも属することなく、自分たちだけの力で立つ未来も考えてくれないだろうか。

 ふと遠い過去を思い出すように、『先を見る目』を曇らせる彼女の人生をかけた目標を、彼女の好敵手たる唯一の存在を忘れたうえで。

「身内が迷惑をかけるからね……見つけてちゃんと叱ってあげなないといけないんだ」


 愛しいものに向けるあの表情を私は忘れない。

 忘れてたまるものか。イスカは決して渡さない。


「アルドから聞いたわ。映画、ちゃんと通しで見たことないんですって? 自宅でも配信で見れるでしょうけど……映画館で見るのはスクリーンも音響も格別なのよ。メテオシネマは特に力入れてるみたいね。週末見に行かない?」

「本当かい? それはいいね」

「この案件が終わったらお茶会にも付き合ってくださる? おすすめのお店もあるの。いい茶葉が入荷したようだから分けてもらいに行きましょう」


「私といて」

「私の唯一になって」

 その言葉を飲み込んで。

 白制服の背中を守るために。私は槍をふるう。

 一番槍としてあなたの視界を広く確保しよう。

 いまはただ。それだけでいい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

シーソーゲーム 酒匂右近 @sakou763

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ