受けは狙わないスタイルなんです

 この「うちの子」を書き始めた頃、良くしたい=読まれたい、と思われた事を、今でもほろ苦く思い出す。


 良くしたいだけなんだよ。

 読まれたいとは違うんだよ。


 元々『或る少女のサバイバル』の前身は、私が受けたり見たりしてきた「無自覚の虐待、未熟な大人が真人間を名乗り蹂躙する社会」を世間に突きつけたくて書きなぐったもの。だけどその頃の私は、まだ【親は深層心理で子を想うもの】という迷信から抜けられず、ずっと中途半端な『最後は家庭円満』というエンディングから抜けられなかった。


 だけど自分が親と縁を切り逃げる身になって、このエンディングはありえないと思った。自分の伝えたいことを突き詰めるなら、とことん残酷さを引き出すべきだと考えた。しかし最初はリアリティとリアルを区別できず、キャラが空洞化してしまった。

 リアリティってなんなんだ。リアルってなんなんだ。そうやって悩んで、悩んだ記録を残そうとこの連載を始めた。


 詳しくコメントを書いて下さった人もいたけど、それは私の悩みと結構ずれていた。いや違う、PV欲しい、イイネ欲しいは思っていた。だけどこの作品に限っては、どっちも取れないっていう確信があった。

 それにこの作品に私が求めるのは、賛辞でもなんでもない。【親や大人を特別だと思うな!助けを待つより動け!】っていう叫びが、誰かに届くことだ。


 最近、また「PVとか狙ってUPする時間帯を考えては」と言われた。その人は私の作品を愛してくれているから、気持ちは嬉しい。だけど私は、『朝8時にUP』以外のルールは決める気かがない。

 ……少しだけウケを狙って決めた更新時間だけど、寝る前に推敲できるからっていう、結局は執筆のために残してるルールなんだよね。


 宣伝や作戦ってのは、いい作品をより良く見せるためにする飾りだって思ってる。

 私はまだ作品を創っている途中。だから宣伝まで気が回らないし、そんな余裕があったら少しでも書きたい。で、書いたものは、待っている人の為にすぐ出したい。


 単に不器用ってだけなんだけど、それでも誰かの目にとまっている。

 これが私のやり方の結果。ありがたいと思いつつ、「これでいいじゃんよ」って今は満足している。作品には、未だひとっ欠片も満足してないけど。



 あー。それにしても、3年後、5年後の双葉を書きてええええええ!!

 そうそう、双葉の初彼はXXでね、1回目の結婚はなんと○○なんだよおおおおお!!

(実は40年後まで想像している作者であった)

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