29 誰も悪くない

 予定通りの親子の感動の対面になった。

「私……田村がお腹にできた時、凄く嬉しかったの……」と花崎に言ったのと同じ事を言った。「よく……生まれてくれて……ここまで育って……というのは、同級生だからわかってるんだけど、でも、やっぱり嬉しい」

 とはいえ、付き合ってもいない同い年の男女である。抱きしめるのはお互い避けた。

「母さん……」そう幸視が返したのは、そう返さないと絵梨にとっては不審だと思ったからだ。この後に控えるデカい発表があれば、そんな返事を返す余裕はないのだが、絵梨にはそんなことはわからない。まずは完全に息子の役割を演じておくべきだった。

 そういう作戦で臨んだものの、絵梨は〝不審〟を感じ取ってしまった。

「〝母さん〟? でも、田村にとっては、その前に自分自身が〝母さん〟なんでしょう? たぶん私はコピーだと……」

「そのことなんだけど……僕は、母さんじゃないみたいだ……」

「どういうこと? 田村がコピーとか?」

「そうじゃなくって……僕は……」


 少し息が荒くなる。そして、幸視は言葉を出そうとするが、出ない。

 それを見て青くなったのは絵梨のほうだった。

「調子悪いの? だったら横になって! すぐ!」それは、この前目の前で倒れられたトラウマでもあるし、もうひとつは母性だった。

「大丈夫」幸視は返した。ここで心配などかけては、他人に迷惑をかけ続けた前世と何も変わらない。幸視は息を吸い込んだ。


「僕は――僕の前世は――」そして目を一層見開いて、覚悟を決めた。「柳川宏則だ。母さんにストーカーを続けてた……」

 しばらく絵梨の表情は全く動かなかった。そして、今度は絵梨が体調不良とでも言うように、今にも倒れそうなくらいうつむいてしまった。

「……そんな……そんなことって……」

 しばらく顔を伏せたままの絵梨を広田と花崎が無言で見つめる。幸視は語るエネルギーを使い果たし、絵梨を正視する気力もなくてまたうつむいてしまった。

「ごめんなさい……誰も、誰も悪くない……のに、こんな……」


 誰も悪くない。何か幸視をののしるようなことを言ったら、広田は言い返そうと思っていたし、花崎は説得しようと思っていた。そういう脳内シミュレーションは準備していたが、それは杞憂というものだった。

 絵梨は物の道理がわかっていて、ただ心がついていかないだけだ。広田は安心した。そしてくっつける同盟は続けることができると思った。


 そして広田は状況を見て冷静な判断を下した。

「言うべきことは言ったんで、幸視には今日のところは帰ってもらう。この事実については、じっくり考えて自分の答を出して欲しい」

 そして幸視の返事を待たず、幸視を立たせ手を引いた。幸視は素直に付き従った。


「ごめん、ちょっとホントに寝ていい?」

 二人を見送るとすぐに絵梨はそう言い出した。

「うん」

 絵梨はソファに横になった。今度は母性を漂わせるのは花崎になった。ショックだろうな、と思いながら絵梨を見つめた。


 寝ていい、というのは眠っていい、ということなのかと花崎が疑った頃、また絵梨は目を開いた。

「びっくりしたなぁ……」起き上がらずにそう言った。

「そうだね」

「勇気要ったろうなぁ……」

「そうだね」


 結局、後は会話らしい会話はなかった。本当に絵梨は眠ってしまった。絵梨の寝顔は、母親ではなく少女だと花崎は思った。こんな可憐な少女を、かつて幸視の父親が愛し、幸視の前世が愛し、そして幸視自身も好きになっている。

 みんなから愛される少女。この寝顔ならそうかもしれない、などと思った。

 完全に寝息になった呼吸をしばらく聴き続けた後、花崎はそっと家を辞去した。



 数日のあいだ、前世の話題には四人の誰も触れなかった。

 そんな中、幸視は広田に相談した。

「次の段階だけど」

「次の?」

「僕は父さんに幸せになって欲しくて、そのためには全ての選択肢が選べる状態にしたい」

「……どういうことだ?」

「父さんと宮前を改めて会わせたい」

「それは、お前――」

「必要だと思う」

「もし――その選択肢が選ばれたら、大人と子供だぞ。そして同級生が母親になるんだぞ。いいこととは思えない」

「それでも――好きな人は、自分の意思で選ばなきゃいけない」

「お前は、ライバルを増やすことになるぞ」

「それでも」

「うーん」

「人はみんな……自分が最高だと思う人を、想うべきだ。僕の前世は歪んでいるけれど、そこだけは昔と同じだ」

「なんか……大人な発言だな。大人だったことがあるだけに」

「子供みたいな大人だったんだけどね……」


 さらに花崎も相談員になった。相変わらず広田と仲が良すぎる、と幸視は思ったが、それをよそに、幸視の語り口がロマンチック過ぎて花崎はあっという間に推進派となった。

 大人と子供やら、同級生が母親、といった特殊なシチュエーションは、腐女子としての脳に、男女とはいえ親和性の高い話題だったので、むしろ花崎は歓迎してしまった。


 花崎が入ると、すぐに絵梨の家に行きましょう、という話が出来てしまう。物事の是非というより、呼ぶか呼ばないかで意思が決定されるのは奇妙な話ではあった。


 絵梨の返事はシンプルだった。

「会ってみたい」

「あの、こんなことを訊いていいのか、わかんないんだけど」広田は同盟の戦略として、参考情報を訊くことにした。「幸視の親父さんのこと、どう思ってるんだ」

「デリカシーのかけらもない」花崎は嘆いた。広田にはあまり面白くない言葉だったが、きつい言い方ではないようだった。

「懐かしいと思う」絵梨は怒らなかった。「好きとかそういうんじゃなくて、ただ、懐かしいと思って」


 広田は絵梨を信用していなかった時の癖で、その言動は信用できなかった。出会ってみて、やっぱり火がつくことがないようにと切に願った。そうなっても大人と子供だから、大人側の理性を信じてはいたが。


 そして、引き合わせるのは次の週末と決めた。

「父さん。会って貰いたい人がいるんだ」

 幸視の声は、少し震えていなかったか、どうか。

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