28 望みなんて最初から持っていない
帰宅すると、玄関に入るまでもなく圭輔の姿を認めた。じきに西沢も合流した。二人とも幸視を探していたからだ。
「ごめんなさい」
三人で家に入り居間に腰掛けた。
「……無事幸視くんも帰ってきたし、俺は帰ることにしよう」
「いてください」
西沢は特に抗弁せず、ソファにかけ直した。
「ごめんなさい、落ち着きました……」
「……その、柳川だっていうの、事実だとしても――」圭輔は、幸視が他の言葉を出す前に口を開いた。「幸視は幸視だ。俺と、お前の母さんの、息子だ。前世と関係のない、一個の人間で、大事な息子だ。そこは――絶対だよ」
「うん、それは……」
西沢が幸視の背中を撫で、幸視はまた少し泣きそうになる。
「他の盗撮器や盗聴器もあとで全部回収しておく。場所は全部わかってるから」
「幾つもあるのか……」
柳川はずっと視て聴き続けていたのだ。それこそ夫婦のことも。幸視の齢で見聞きするのはよろしくないことも含めて、ということを改めて認識して、圭輔はうつむき、額に手をあてた。
「ごめんなさい。幸せになっちゃいけないとか言って……僕はちゃんと幸せになります」
「ああ。親として精一杯応援する」
西沢は俺もだ、と言いかけて、復縁するのしないのという話を蒸し返したくなくて静かに圭輔の言葉に頷いた。
「でも、父さんにも、西沢さんにも、僕は幸せになってほしいというのも、それも事実で。母さんだってそう願うはずで、あと……」
幸視は、思い出してはいたが言語化できていなかったことを今、初めて口に出すことにした。
「……信じられないかもしれないけど、柳川は母さんの幸せを願っていたんだ。自分で母さんを不幸にしたくせに願っていたんだ。おかしくなっているから、それが矛盾だとわからないだけで。だから、僕は母さんが大切にした人の幸せを願います。僕も含めて」
そこにいる三人が、全員の幸せを願った。祈りのような時間が流れた。
「――あいつ、死んでたんだな。知らなかった」西沢が沈黙を破った。
「ブログが郁のことを書かなくなった後も続いていたが――その後の更新もなくなったから、消息は全くわかっていなかった」圭輔が反応する。
「――自殺だったんだ」
圭輔も西沢もぎくりとする。そして、ずっと圭輔と郁の声を聴き続けた事実と照らし合わせた圭輔が言う。
「絶望してか」
「望みなんて最初から持っていなかった」顔を歪めた圭輔と西沢を見て幸視は補足する。「あの人は持っていなかった。僕はあの人とは違う……僕はちゃんと望みを持っている。そうありたいと、思う」
「ああ、当然だ……」圭輔が願うように念を押す。
「あの時の気持ちは記憶はあっても理解はできない。死んだときの気持ちはぐちゃぐちゃごちゃごちゃしたものとしか言いようがなくて、説明とか、そんなことができるものじゃない。ただ……死ぬことが唯一の、望み、だったのかも」
西沢は帰宅し、圭輔は夕飯の支度を始め、幸視は疲労もあって夕飯までソファの上で眠ることにした。自分の部屋で寝ても良かったが、自殺などという話をした後に圭輔を心配させたくなかったので、すぐに一人になるのはやめておいた。
圭輔は台所で、包丁を動かしながら、思った。
狂ってゆく様子や、死んだ時の痛みや悲しみや苦しみの記憶を抱えて生きるとは、どんなに重いものなのだろうと。子供に背負わせていいものではない。
だが背負ってしまった。下ろせるものなら下ろしてほしいが、下ろすことはできない。
できないものは背負い続けるしかないのだ。圭輔にできるのは息子の幸せを祈ることだけだった。
幸視のほうは次にすべきことを考えていた。圭輔らに打ち明けたのなら、もうひとりの当事者にも打ち明けなければおかしい。
「宮前に言うのか」
「言わないといけない」
「ま、筋だわな」
「病院にも付き添ってくれたし」
「居合わせた知り合いなら普通はそうするだろう」
「まあそうだけど」
「もうひとり援軍を呼ぼう」
広田の家での会議に、花崎が加わった。
「何か妙に二人が仲良くなってるような」
「同盟を組んだからな」
「同盟?」
「まずは感動の親子対面になるわよ。それでいいの?」
「いいって? そりゃまず順番からそうなるけれど……」
幸視は幸視が絵梨を好きなことを花崎が知っていることを知らない、というややこしい構図が会話を噛み合わなくしていた。
「まあ、しょうがないな。筋だから」
筋というふわっとした言葉は男だけで共有されていて、今度は花崎だけが何も知らなくて話が噛み合わない。
「絵梨ちゃんね、ピュアだからね。息子を見たらお母さんになっちゃう、多分」
「処女懐胎みたいなもんか」
「何Hなこと言ってんのよ!」
花崎が広田の頭を漫才みたいにはたく。
「本当に仲良くなってない?」
「仲良くなるのはあなたたちよ」
「真の前世がどう受け入れられるか……」
まだ噛み合っていない。
ピュア、という言葉については、花崎は純粋、という意味で発していたし、広田は単純、という意味で受け取っていたし、幸視は何だかよくわかってもいなかった。
「キリスト教の話ってHか?」広田はまだ頑張る。
「あなたクリスチャンなの?」
「いいや」
「じゃあそういうことで」
「何がそういうことなんだか……しかし日本人は仏教徒なのに初詣とクリスマスを平然とやる節操のない民族であって」
節操のない宗教の国でも生まれかわりは存在している。
とにもかくにも、そういう世にもくだらない話をしているうちに、全員いつの間にか歩き始めていた。
はっきりと物事を決めないでも、意思は総体として何だか決まっていたのである。
そして三人は絵梨の家の前に立った。
「着いたわ」
全てが始まる前にも前まで行って確認をした表札。幸視は自分のあの時の行動も柳川じみていたと苦笑した。表札の彫りを舐めるように見つめたことを思い出し、いかにもだ、と思った。
幸視はそういう過去と、決着をつけねばならない。
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