17 ぼくは君を愛しているのにどうして君はぼくを愛してくれない
腐れ縁が大学まで及んでしまった。
腐れ縁というのは、圭輔と西沢と郁である。美里はここで抜けた。といっても、まだ郁と美里は電話やメールで連絡を取り合っている。
腐れ縁と言っても偶然ではない。圭輔と西沢が同じ大学に行くのだと固く誓ってそれを果たした。いまだ圭輔に未練がある郁が、圭輔の志望校を小耳に挟み、それに合わせた。
「柳川もこの大学らしいぜ」
そう学食で三人が会話していた。
「誰だっけ」郁はきょとんとする。
「うわ、忘れてる。中学高校と一緒だったクラスメイトの名前を」圭輔はおどける。こうやってからかったような言い方ができるのも、まだ西沢との仲を郁が知っていることを知らないからだ。
「陰の薄いやつだったし……」西沢が補足する。
「ま、向こうからも仲良くする気はなかったわけで、しゃあないっちゃあ、しゃあない」
大学というところは、やれサークルだの合コンだの、恋愛への鼻息が荒くなるところだ。
恋愛の実現が高校より増えるとは言わないが、意欲は大変に増す。
そんな中でも郁は相変わらず進歩がなかった。ポジティブな言い方をすれば一途ともいえるが、無気力という表現もできる。勉学に対しては人並に意欲はあるが、恋愛に関してはそんな感じだ。
高校と違って並んで帰ることも減る。
……と、郁は以前感じたこともある気配を強く感じた。足を速めると、気配のほうも速まる感じがする。振り向いても誰もいない。思い過ごしでなければ、すっと物陰に隠れてしまったのか。何か電子的な音がしたような気がした。
そうやって二ヶ月ほど経った。
郁は落とし物を拾った。
落とし物というか、郁を待ち構えていたように落ちていた。紙片だった。そこに書かれていたのは、ネットのURLだった。
URLというか、初めのほうはIPアドレスが直に書かれていて、少々不思議な感じがした。
巷には、この頃流行りだした、恋の歌が流れていた。
紙片というのは、どこかに届けるほどのものでもない。無視すれば良かったのだが、つい好奇心で拾ってしまった。そしてインターネットというものを覚え立てでもあるし、ついアクセスしてしまった。
そこにはブログがあり、記事として愛の歌があった。
街で流行っているものと違って、芸術的とは言いがたかった。不器用な作文といってよかった。ただ妙に迫力はあった。街に流行るのが一級の恋愛映画なら、こちらはB級のホラー映画だった。
ただこの幼稚な作文の一行がとても気になってしまった。
〝ぼくは君を愛しているのにどうして君はぼくを愛してくれないの ぼくはずっと君を見ていた〟
まるで郁自身のことのようだった。ずっと圭輔の背中を見続けていた郁。
いくら愛したからといって相手が愛してくれるとは限らない。こればっかりは。当たり前のことだ。当たり前のことを受け入れられず、ずっと引きずり続ける下手くそな詩。
だがその後を読み進めると、妙なことになっていた。
〝君〟の描写がだんだんと具体的になっていく。髪型や背格好や服の様子まで。
それが郁自身のことだと気づいたとき、郁は悲鳴を上げそうになった。真夜中に実際に声を出すわけにもいかず、ただ冷や汗が流れた。
翌日、郁は圭輔に相談した。圭輔と相談するということは、西沢にも相談するということだった。それまで、何度も気配を感じていたということも。
「なるべく、友達と一緒に帰れ。ひとりにはならないこと。家に帰る時はなるべく人通りの多い明るい道を。俺と同じ時間割の時は俺がついてく」
圭輔は頼もしかった。彼氏でもないのに頼もしかった。だから一層好きになってしまった。あの紙片の主のように、それはみじめな面を持っていた。
その日は講義の関係ですぐに郁は二人と別れた。
郁が立ち去ると西沢は言った。
「郁ちゃん何だかんだ美人だからな。彼氏のひとりでもいればだいぶ違うんだろうけど……」
だが結局、圭輔がその彼氏になることはできないのだ。という意味を口に出さずに二人で共有した。
郁は、心のどこかで、このブログ主を同類だと思ってしまった。ひとりの相手をどうしても諦めきれない、同類。見なければいいのに、その日も見てしまった。
記事は増えていた。過去の記事もよく見ると、毎日のように書かれて、郁の外見や、郁の行動を細かに書いていた。
ただ、その細かさが絶妙なところで止まっていて、ぎりぎり郁個人のことだと言い切れないあたりになっていた。
「馬鹿。見るな」
「だって。止まっているか気になるじゃない」
「お前の精神には毒にしかならない」
まだ、ストーキングという概念はあまり広まっていなかった。警察に届けるという知恵もなく、またぎりぎり郁のことだとわからないラインもその発想を阻害していた。
さらにこの三人のうち、ひとりでも工学系なら、何とかその個人を特定しようという発想もできたが、残念ながら三人とも文系であった。
このブログは、郁にとって、郁自身の病巣だった。
目の毒だとわかっていても、これを見ると、まるで自分自身と向き合っているかのような錯覚にとらわれた。
その日また、シャッター音が郁の背後で響いた。
振り向くと、シャッター音の男の背後から、殴りつけた者があった。
圭輔だった。
振り向いた郁の視界には、赤いものが広がった。
男は倒れた。
「お前……柳川!?」
顔だけを確かめると、それ以上の検分をする前に人がわらわらと寄ってきた。
結局、その後大学が調査しても柳川の携帯電話から写真は出てこなかった。ごたごたしているうちに咄嗟に消去したのだろうと圭輔は疑った。
ブログもまた気がつくと消えていた。
だが結果として、処分を受けたのは圭輔のほうだった。
圭輔は一ヶ月の停学になった。
さらに結果として、ますます郁にとって圭輔は王子様となり、しかし圭輔を癒したのは西沢であった。
「高校でもあいつ、郁のほうを変な目で見ることあったじゃん。わざわざあいつの視界をふさぐ位置に立ったりしたけど、あの時にもっと気づくべきだった」
西沢は、そんな優しい圭輔の頭を優しく撫でた。
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