15 人は裏で何を思っているかわからない
「郁ちゃんはお前のことまだ好きなんだな」
西沢は圭輔にそう囁く。
「らしい」
「俺たちのこと言うべきかな」
「他に好きな奴がいるって言った」
「いつ」
「三年前」
「それだけ?」
「それだけ」
「状態は固定された」
「変わりようがない」
「名乗り出たら変わるかな」
「あいつはそんな嫌な奴じゃない」
「変わったら嫌な奴なの?」
「偏見があれば変わるって話じゃないの? キモがって」
「そういう変わり方はないわけか」
「ない。保証できる。俺はあいつとずっと小さい頃から一緒にいるからわかる」
「なんか妬けてきた」
「そういうんじゃないって」
「だが俺は嫌われる」
「それはさすがにそうなるかも」
「名乗り出ても何のメリットもないな」
「ない。全くない」
というような会話は定期的に続いていた。内容に変化はない。状態は固定された。
そして会話の場も変化はない。圭輔か西沢か、どちらかの家の個室だ。
この固定された状態が変わってくるのはもう少し先の話である。
ともかく、その固定された状況だった頃のとある一日が、郁が目撃してしまった日だ。
すぐにそこを立ち去り、数日間、男子組はおろか、女子組すら変化はなかった。郁が自分だけで抱え込んだからだ。二週間のあいだ抱え込んだ。
それはつまり、二週間でついに抱え切れなくなったということだ。
「キスしてた」
「誰が」
「けいちゃんが」
「誰と」
「西沢くんと」
「意味がわからない」
郁たちの世代より未来の子供達と違って、この頃の性教育はまだLGBTに関しては不十分だった。それでも、さらに過去の世代より知識はマシなほうだったから、二人で話し合うことで状況は把握し合えた。意味がわからないものが、ただ話を突き詰めるだけで意味がわかるようになった。
「だったら田村は諦めるしかなさそうね」
美里は中学からの知り合いの男子は、昔は皆そうであったように呼び捨てにする。だから距離感は全く変わらなかった。郁は周りに合わせてつけるようになり、それがかえって距離感を作っていた。と郁が自分に後付けで言い聞かせたことはあるが、圭輔と西沢に限って言えば、単に男子同士の距離が縮まっただけかもしれなかった。
「諦める……」
郁にとって意外な表現だった。好きな奴がいる、と言われてからずっと諦めてきたつもりだった。美里には、郁が諦めていないように見えたのだろうか。
そりゃあ、別に他に好きな男の子ができたわけではない。だが浮いた話を聞かないのは美里も同じ話である。別の誰かを好きにならないから、前の男の子が好きだというなら、美里はどう理解すれば良いかわからない。
「でなければ田村が両方いける可能性に賭けるか」
「だとしても今付き合ってるわけで……」
「奪う」
郁はぽかんとしている。美里はけたけたと笑う。
「冗談よ。でも、そういうのちょっとロマンチック。そう思うことがある」
美里は、純愛も略奪愛も、自分がやるのではなく他人にやらせることに喜びを見いだすタイプなのかもしれない。生まれながらの仲人系人格。仲人は普通夫婦だから、単独行動の美里には不適当なたとえかもしれない。なら、キューピッド系。キューピッドというのも無理矢理な存在である。勝手な判断で矢を射かけて、独立した自我などねじ伏せてしまう。あれは洗脳の矢だ。
確かに、世の中に略奪愛に関する創作は溢れて、略奪した人が幸せになるにせよ不幸せになるにせよ、ロマンチックに事欠かない。現実にも、郁の知らないどこかにはあるのだろう。
だが少なくとも郁には全く及びもつかない世界の話だ。
「まあしかし、身近に意外といるもんね。そういうの」
そういうの、という粗雑な言い方が郁には引っかかった。粗雑なことだけは伝わり、しかしなぜそれが粗雑なのかは説明しづらい部類の言い方だ。
「中学時代もしていたのかしらね」
何を、と聞き返すと、ひどく下品に思われそうだと郁は思った。具体的には、郁が目撃したことなのか、それ以前のことなのかさらに先のことなのか。何をと聞いた瞬間、そんな下衆なことを聞き返したら、そこに興味があるのが郁のほう、という形になってしまう。
圭輔が誰を好きだろうと、それを祝福するのが正しい態度ではないだろうか。
――珍獣。今この会話に応じると、圭輔をそんな目で観察しなくてはいけない気がし、郁はとにかく黙り続けた。
話の口火を切り、秘密を漏らしたのは郁なのに、ずっと黙っているのだった。
翌日も少しも黙ってはいなかったのは、圭輔と西沢のゲームトークだった。本当に中学から時が止まったように、似たような会話を繰り返している。
その会話はカムフラージュで、本当は二人きりの時は愛の言葉を交わしているのだ。
人は裏で何を思っているかわからない。このクラスにいる全員が、本心は別のことを思っているかもしれないのだ。あるいは何も言わずに、ただ誰も知り得ない思いを抱いているかもしれないのだ。
また、ふっと誰かの視線を郁は感じた。
こういうことはしょっちゅうある。郁の自意識過剰といえばそうかもしれなかった。
そう自分に言い聞かせつつも、思わず振り向いてしまうと、その視線の先には圭輔と西沢がいた。別に目が合ったりはしない。
自意識過剰にもほどがあった。郁は自分の願望を、誰かに見られている気配だと錯覚してしまったのだ。そう解釈するのが、一番説得力があると郁は思った。
ただ、少し前には圭輔たちは窓際にいたはずではなかったか。それがなぜ、廊下側に移動しているのだろう。
そう思って、別に人はひとところに居なければいけないというものでもないし、気まぐれに移動したって何もおかしいことはないと思い直した。
そういう風に、思い直し続けていることが、やがて郁や、圭輔や、ひいては生まれる新しいいくつかの命の、運命を変えていくことになる。
今の郁には、それは全くもって知るよしもなかった。
郁はまだ、単に手が届かない男の子に思いを寄せる女の子でしかなかったのだ。
それは、まだ人がとても純粋な時期だった。
甘酸っぱい、青春という言葉が似合う、綺麗な時期だった。
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