9 わたしはいない

 新居といっても、両親とも死去してしまった圭輔の実家なのだが、そちらの準備もまだ整っておらず、まだそれぞれの住所は別で、明日挙式というときに新婦が新郎のアパートにいる、というのは何を意味するか。

 もっと昔であればふしだらということになったのかもしれないが、現代に生きる二人にとっては、明日の予定をしっかり確認するという、計画性溢れる行動だった。


 というのが、少なくとも圭輔の考えだ。というのが郁の考えだった。


 では郁にしてみればどうなのかというと、もちろん圭輔と同じ理由もあるが、いつまでも心に忍び寄る不安を打ち消すためでもあった。


 昔、圭輔が好きだった人のこと、その人と付き合っていた頃のこと、全てが終わったことだ、ということをこれからも信じ続けなければならない。

 郁が疑いを持つ理由はなかった。それでも心に不安が忍び寄ってくるのは、子供の頃からの郁の自信のなさが招いている。そう郁自身も自覚していた。だが、悪く言えば根拠のない自信、良く言えば自己肯定感というやつは、そう簡単に身につくものではない。悪い体験があればなおさらだ。


 郁にとっては、圭輔のそばにいることこそが、肯定だった。それはつまり、圭輔と離れたらたちまち自信を喪失してしまうことでもある。

「大丈夫」圭輔は郁を抱き寄せた。「誰も来ない」


 ここで言う誰も来ないというのは、もちろん変な人は来ないという意味で、招んでOKしてくれた人はもちろん来てくれて二人を祝福してくれる。

 郁は圭輔の肩にもたれかかった。

「わかってる。大丈夫」


 もし大丈夫ではなかったら、という思いが不安の正体だから、大丈夫などと言葉にするのは結局のところ自分への言い聞かせだ。

 結局は内面のことは自分で自分を支えるしかなく、土台が脆弱なら言い聞かせるにも限界がある。

 郁はもっと安心できる証が欲しかった。たとえば――何かが、宿る、とか。



 その夜、郁は夢を見た。それは未来で、そう遠くない未来で、圭輔がいて、宿ったものが実体をもち大きくなり、そしてその隣に、郁が、いなかった。

 なぜか自分がいないことに納得していた。そこには郁がいないのに、あたたかく幸せそうに見えた。人が幸せであるために郁は必要なかった。あるいは郁は人ではなかった。

 郁はその家庭を見ていた。見る、という行動は見られる、という行動よりもたやすかった。

 見られる、ということは必ずしも愉快ではないと知っていた。

 知っていたのに、見る、ということしかできなかった。

 否。見る、という言葉は、見守る、という言葉に変わっていた。

 そして、実体をもつその子は、まるで郁のように――


 恋を、していた。


 目が覚めて、郁は自分の寝汗に気づいた。悪い夢なのか良い夢なのか、判定がむずかしかった。だがすぐ近くにある圭輔の顔は、幸せ以外の何物でもなく、それで何やら安心して、郁はもう一度目を閉じた。暗闇の中で、二つの呼吸音が、静かな音楽を奏でるように交互に生じていた。


 二人は、明日を待たずとも夫婦と呼ぶにふさわしい存在だった。そういうことが観察できるような光景だった。



 式は幸せに満ちていた。


 変な人はおらず居るべき人がいた。そういう風に郁にも、しっかりと実感できた。

 西沢もいた。

「おめでとさん」知り合った期間の長短ではなく、圭輔のより深いところまで知る西沢に対して、郁はどんな視線を向けて良いかわからなかった。

 西沢は圭輔と抱き合い、ぽんぽんと背中を叩いて、変わらぬ友情を確かめ合った。


 親友同士というよりは、まるで子を嫁に送り出す父親のような目つきだった。郁とも圭輔とも同い年だというのに、西沢は年輪を感じるような雰囲気を纏っていた。そして郁のほうをちらりと見て、言葉は出さず、圭輔を頼むよ、と目で語った。



 引っ越しはさらに次の週末になった。

 大学に入ったのを契機に、自立したい、という思いで親元を離れて独り暮らしを始めたが、かえって不安を増幅させてしまった。郁が纏う、不安の感情は濃くなり、それが圭輔の庇護欲をかきたてた。

 圭輔のほうは、やはり大学入学が契機であるものの、割と好き放題に生きたいというプラスの感情で独り暮らしを始めたのだった。この好き放題、の好き、という感情は、自分の行動に対するものだけではなくて、人に対する好き、を含んでいた。含んでいたというより、とてもそれは大きかったのだ。


 そして、好き、という感情が、郁のほうを向くようになったとき、誰かを守りたいという気持ちは、失った誰かの隙間を埋めるために、それ自身が持つ大きさよりも不当なまでにその体積を増やしていった。

 子供の頃、あるいは思春期に、大事な幼馴染ではあっても、恋という方向では歯牙にもかけなかった郁という存在は、その小柄な体格とは違って、大変に大きく膨らんでいた。


 郁は郁で、そういう圭輔の感情がバブリーにしか見えず、いつか弾けて失くなってしまうのではないかと不安に思い、それがますます郁に不安を纏わせた。


 お互いに感情を増幅させるという意味では、好循環という名前を与えても良かったかもしれない。しかしこれは、〝好〟という字を与えるにはあまりにも危うい関係だった。


 お互いにお互いが麻薬のように依存していった。悪く解釈すればそういうことだ。それだけのことだ。


 恋愛麻薬、という言葉を発明した人はどこの誰なのだろうか。それが、圭輔と郁が経験した大恋愛だった。馬の前に吊るされた人参のような〝幸せ〟を何とか掴もうとして走り続ける。

 〝幸せ〟は逃げ続けた。周囲から見れば、羨むような美男美女のカップルだった。


 幸せを掴もうと必死だったふたりは証を求めて、そしてついに証は宿った。

 しかしこの愛の巣に住む住人に宿ったもうひとつのものがあって、それもまた巣であったが、やまいだれがついていた。


 証のほうには、〝幸〟の字が配された。


 その子は重い運命を背負わされたかのように、また幸せを追いかけなければならなかった。

 幸せを掴めるかどうかは、まだ全くわからない。

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