10 護衛隊は尋常ではないことから守れない

 デートだとか、それと同じくらい親密な状況は恋愛をすれば普通にあり、そんな記憶を取り戻した後の幸視は特に、父親と顔を合わせるのがつらかった。

 そうやって具体的な夢を見るようになり、夢の中で、当時の父親の顔もはっきり認識できるようになると、頭の片隅にあった、母親の生まれ変わりというのは何かの勘違いではないかというのは頭の中からすっかり消え去った。


 朝食の席で父親と向かい合って座ると、ただ正面を見るだけで、たとえば唇などがあるのだ。夢の内容には、中学一年生には刺激が強すぎるものが含まれることもあった。中一としては奥手な部類の幸視はまだ知らなかったことを知ることもあった。


「それはまた」広田はそういう話題は喜んだ。

 好奇心で近づいてくる絵梨に反感を持った広田が、好奇心としか言い様がない反応を示しているわけだが、そこは広田なりの考えがあってのことだ。


 深刻でどうにもならない話は、誰も悪くはないので、笑い話にしてしまえばいい。付き合いの深い広田は、それを笑いに変える立場も資質もある。

 しかし、あの時の絵梨はそうではなかった。あの場に笑いが生じる余地がなかった。ましてや幸視は絵梨に気があるのだ。そんな気持ちを全く知らないとはいえ、絵梨が幸視につけ込む形になる。


 だが、その見立ては少し違っていた。幸視にとって、深刻なのは父親との関係であり、絵梨との関係ではなかった。むしろ、絵梨が前世に興味を持ったのはまたとないチャンス、ぐらいに気楽に受け止めていた。

 その気楽さは、広田にとって気丈さにしか映らなかった。


 その結果どうなるかというと、広田は幸視の護衛隊になる。ひとりで〝隊〟というのも変だが護衛をしているのは事実だ。


 だから現在のこの状況は、護衛が何度か繰り返された結果だ。もしかしたら護衛隊がいなければ起きなかったかもしれない。今、幸視は絵梨の部屋にいるのだ。


「ゆっくりして。今飲み物を持ってくるわ」


 この状況は尋常ではない状況だった。色気づき始めた年齢の男の子が女の子の部屋に上がり込んでいる。そして、まだ絵梨の口からは語られていないが、状況から見て絵梨の両親は不在である。共働きかもしれない。兄弟姉妹がいるようにも見受けられない。

 漫画だったら、これは何かが起きてしまう。何も起きないはずはない。

 それでも、少年漫画だったらせいぜい起こってキス程度のものであろう。だがまずいことに、奥手だった幸視には、夢のせいで余計な知識がついてしまっている。余計な、というのはもちろん、PTA的な観点での話で、人類としてはむしろ繁栄のために不可欠ではあるのだが。


 しかしここは女の子の部屋だ――幸視は大変にドキドキしていた。

 男の子が女の子の部屋に入るための重要なステップが不足している。つまり、仲良くなってから部屋に入れてもらうのが筋だというのに、部屋に入れて貰ってから仲良くなろうとしている。いや、なろうとしているのは幸視だけかもしれないが、ともかく順序が逆である。


「お待たせ」 

 麦茶を持ってきて盆を床に置き、絵梨は幸視と向かい合って座った。夢以外には恋愛の知識が漫画しかない幸視は、恋人同士は隣り合って、もしくは直角に座り、ただの友達なら向かい合う……などという話ははいったいどこで読んだんだっけ……と思い出そうとしていた。いやそれより。

「ご両親は留守なの?」

「それ前世に関係ある?」

 そりゃあ関係はない。幸視の前世である。絵梨の両親の在不在が、幸視の前世に影響を与える余地はない。

 しかし問題はそんなことではなく、絵梨に危機意識は全くなく、つまりは幸視は恋愛対象未満ということである。幸視は心の中でため息をついた。もちろん、幸視は絵梨に妙なことをするつもりは全くない。だが妙なことを想定されるのとされないのでは大きな違いがある。

「共働き」

「そう」

「広田に邪魔されると聞けなかったし、じっくり聞きたいわ」


 じっくり、といっても、要点は既に路上で話してあるし、絵梨がどこを詳しく聞きたがっているのか――幸視はもう一度最初から話し始めた。詳しく話していないところというと、謎解きのあたりだろうか? 髪留めの話とか。そう考えた幸視は髪留めの特徴の話をした。

「そこはいいから先に」

「どこを詳しく聞きたいのか言ってくれないと……」

「物語よ。全体の」

「全体って……」

「髪留めのデザインは物語とはいえないわ」

「そうかもしれないけど、じゃあ何が物語なのかっていうと……」

「いい? 生まれ変わってくるというのは、きっと何か心残りのことがある。魂をそこまで現世に執着させるものは何か。そういうのに関係した部分のことよ」


 あまりぴんと来ないまま、幸視は話すポイントを変えていった。父親は誰か別の人を好きだったみたいだ、と言ったところで絵梨の目が輝いた。

「そこ! それ大事だわ。別の人が好きだったのに、それが何がどうなってその人から離れて、お母さんはお父さんを手に入れたのか……そこには凄いドラマがあるはずよ。その別の人はどんな女の子なの? お父さんはその人とは付き合ってたの? 片想いか付き合っていたかによって、かなりドラマの筋書きは違ってくるわ」

「まだ出てきてないんだよね」

「どうして」

「どうしてって言われても……順番は、滅茶苦茶だから。時系列に沿ってない」

「あの男の人なら知っているんじゃない?」

「西沢さん」

「そうその人」

「訊いてみろって?」

「そう」

「気が進まない」

「どうして」

「先に答合わせをするみたいな……」

「計算ドリルじゃないんだから別にいいでしょう」


 確かにこれはもっともで、前世の記憶というのは〝努力して身につける〟ものではない。自分を成長させるために得るものでもない。だったら先回りして訊いても何も問題はないことになる。だがやはり気が進まない幸視は、訊かなくていい理由を頑張って考えた。

「何か……それだと、ホントのことだと信じられなくなるっていうか……」

「あの人、平気で嘘をつくような人なの?」

「西沢さんはそんな人じゃないよ!」


 小さいころから幸視を可愛がってくれて、頼り甲斐のある人物というイメージだった。だったら信頼して先回りしてもいい話になる。

 結局、訊きに行かない理由を組み立てられない。


「一緒に訊きに行きたいな」


 幸視は行くとは言っていないのにもう結論づけている。だがそれはさすがに駄目だ。広田でなくても、好奇心を満たそうとしているようにしか見えない人間を西沢に引き合わせることになる、とわかる。

「絶対に駄目」


 絵梨の頼みであっても、幸視は断固として断った。

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