第61話 長井新左衛門尉と日運の遣り取りー壱(長井新左衛門尉視点)

○ 長井新左衛門尉



「我らの方が、土岐次郎方に勝っておりますな」


 目の前にいる僧が、我らの陣営の方が、敵方の土岐次郎の陣営よりも勝ってい様を語っていく。

 目の前にいる僧は、日運と言う。日運の父は美濃守護代の斎藤利藤である。

 斎藤利藤は、斎藤妙純に敗れたことで、守護代としての実権を失っていた。しかし、実権だけで無く、守護代の座も失うこととなったのだ。

 事の顛末は、美濃守護であった土岐成頼が、嫡男の土岐政房より末子の土岐元頼を溺愛してしまったこと始まる。そして、斎藤妙純の重臣である石丸利光は、土岐元頼と斎藤利藤の嫡孫である斎藤利春を擁立し、妙純に対し反乱を起こしたのだ。

 しかし、斎藤利春は、滞陣中に病によって早世してしまう。そのため、斎藤利藤の末子であった毘沙童が代わりに擁立されることとなる。この毘沙童こそ、日運であった。

 この争いは、翌明応5年(1496年)、石丸氏方が破れて滅亡し、土岐元頼は自刃したことで終わりを迎える。

 そして、美濃守護の土岐成頼と守護代の斎藤利藤は、守護と守護代の座を失い、各々は舎衛寺と明台寺で隠居させられることとなった。

 美濃守護代の座は、日運の父の斎藤利藤から、分家ある持是院家に奪われたのである。


「守護代の地位を持是院家に奪われた恨みは晴らせたか?」


 美濃守護代である持是院家当主の斎藤利茂は、居城である稲葉山城を奪われ、わしが預かっている。


「まさか、拙僧に恨みなど」


 日運は、持是院家への恨みを否定した。しかし、わしと日運との付き合いは長い。そのため、日運のことは大抵のことは分かる。

 日運は仏門に入っても尚、持是院家への憎しみを失ってはいなかった。日運は、わしとの仲だけで無く、持是院家に復讐したいと言う想いもあって、わしを長井長弘様に推挙してくれたのかもしれぬ。


 わしと日運の出逢いは、京の都の妙覚寺であった。

 当時、戦に破れた毘沙童は、13歳であったため、助命されて僧とされる。毘沙童は、南陽坊と名を変え、京の都の妙覚寺に入り日善上人に師事することとなった。

 そこで、わしが兄弟子として出逢い、意気投合して仲良くなる。わしと違い、南陽坊は血筋も良く、教養があり賢かったため、位が上がるのは早かった。

 永正13年(1516年)、美濃国の長井氏に招かれて帰国し、日運と名乗る。そして、妙覚寺の末寺であった常在寺の住職となった。

 わしは、親しかった日運の帰国を機に還俗して、松波庄五郎と名乗る。そして、美濃国で油売りの行商などを行なっていた。

 しかし、武士になりたいと思い立ち、日運の縁故を頼って、美濃守護土岐氏の小守護代である長井長弘様の家臣となったのだ。

 わしは、長井長弘様の信を得て、長井氏家臣の西村氏の家名を継ぎ、西村勘九郎正利を名乗る。

 大永5年(1525年)の長井長弘様の挙兵以降、長井氏家臣として、才覚を発揮する場を得たことで、土岐頼芸様の信をも得ることが叶った。


「本年中には、戦も落ち着くこととなろうな。そろそろ落とし所を見つけねばなるまい」


「左様にございますな。土岐次郎では無く、我等が主こそ、真の美濃守護であると公儀に認めてもらわねば」


 わしが発した言葉に、日運が応える。日運の申す通り、土岐頼芸様が真の美濃守護であると公儀に認めてもらわねばならぬのだ。


「細川六郎方が都をおさえ、新たな公方を擁しようとしておる様だが」


「都落ちしたとは言え、今の公方様の地位は変わりますまい。細川六郎方が新たな公方を立てられていないのが物語っておりましょう」


 わしが、細川六郎が新たな公方を擁するのではと危惧すると、日運は否定する。日運の申す通り、細川六郎は新たな公方を立てられていない。畿内周辺の守護や国人たちは、今の公方こそ、真の公方であると認めておるのだ。


「公儀との伝手は何とかなるのであろうか?」


「お任せを。我が斎藤家の宗家は、摂家近衞家の大夫にございます。近衞准后は細川右京大夫と親しくしております故、准后に頼めば、公儀に認めてもらうことも叶うかと」


 今のところ、我等の陣営には公儀との強い伝手を持つ者がいない。そのため、日運に伝手があるか尋ねたところ、守護代斎藤家の宗家にあたる家が、近衞家の諸大夫を務めているそうだ。

 近衞准后は、細川高国と親しくしているため、准后を介して、右京大夫を動かすつもりらしい。


「近衞家を動かすことなど出来るのか?」


「えぇ、私に考えがございます。東美濃の地にある遠山庄は元々は近衞家の荘園。今では遠山家の一族が蔓延っておりますが、信濃国の遠山氏が押領したもの。それを奪い返し、守護請で幾分かの年貢を収めると約すれば良いのです」


 東美濃の遠山庄は、元々は近衞家の荘園であったか。彼の地にいる遠山氏が近衞家より押領したものだったとは。しかし、遠山庄を我らが奪い、守護請にするなど、東美濃の遠山一族は黙ってはいまい。


「遠山庄を奪い返すなど、遠山一族は黙ってはおるまい。その様な約など結べるのか?」


「新左衛門尉殿、東美濃の遠山氏は一枚岩では無いのですぞ。遠山氏の宗家である岩村遠山などは美濃守護に属しているものの、遠山で最も力を持つ苗木遠山など、遠山庄の多くは信濃守護小笠原氏の分家である松尾小笠原に奪われ、従っておるのです。何れは、美濃守護が松尾小笠原から奪い返さねばならぬのですから、近衞家に約しても問題ありますまい」


 東美濃の遠山一族でも、力ある家を含めて遠山庄は松尾小笠原の支配下であったか。美濃国の中心である西美濃や中美濃のことは存じておるが、東美濃には関心が薄かったわ。 

 確かに、何れは美濃守護によって、奪い返さねばなるまいな。日運の申す通りである。


「分かった。日運に任せても良いのだな?」


「えぇ、私にお任せください」


 わしは、近衞家や公儀との交渉を日運に任せることとなった。公儀に我らが主こそ、真の美濃守護であると認めさせねばならぬ。日運の働きに期待することとしよう。

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