第60話 公家衆との交流と山科言継との縁

 私は、細川高国の邸宅の庭で、参議・持明院基規の仲介を受けて、権中納言・鷲尾隆康、権中納言・正親町実胤、参議・飛鳥井雅綱、勧修寺尹豊、中御門宣綱、山科言継など様々な公家衆たちと顔を合わせた。


 『二水記』の著者である鷲尾隆康、中御門宣綱を除いた面々は、後に飛鳥井雅綱を中心とした鷹狩仲間を構成する。その鷹狩仲間には、中御門宣綱の弟である中御門宣治(宣忠)が入ることになるが。


 交友関係の中心となる飛鳥井雅綱は、羽林家の飛鳥井家の当主である。飛鳥井家は、足利公方の昵懇公家であり、室町時代を通して比較的豊かな家と言えるだろう。

 蹴鞠の宗家として、下向先で弟子を取り、結構な収入を得ている様だ。大永5年(1525年)には、北条氏康に蹴鞠を教えたらしい。

 下向先では蹴鞠だけで無く、和歌も教えていた様で、さぞチヤホヤされたことだろう。

 因みに、私は蹴鞠は得意な方であり、近衞家の屋敷で父や祖父に褒められるくらいだ。この身体は運動神経が良いので、身体を動かすことは得意であった。

 最近は、叔父と共に蹴鞠をやることが多いが、たまに父や祖父を交えてやっている。


 中御門宣綱は、駿河守護となった今川氏輝の従兄弟であり、寿桂尼の甥にあたる。駿河今川氏とは親密な関係にある様だ。

 今川芳菊丸の話をすると、京の都に来ていることは知っていた様である。今川芳菊丸は今川氏親の庶子であるため、余り詳しくない様だ。

 寿桂尼の実子は、駿河今川氏の当主である今川氏輝と末子の彦五郎だけらしい。彦五郎は本来は駿河今川氏を継ぐ者が名乗るそうだが、今川氏輝は身体が弱く、同母弟を跡継ぎとして彦五郎と名乗らせているそうだ。



 これまで紹介されてきた、公家衆たちは典型的な公家と言う感じであったが、最後の人物は趣が異なっていた。

 人好きのする笑みを浮かべ、穏やかな顔付きをしている。誰からも好かれる雰囲気を醸し出しており、実際に多くの人々に好かれていることだろう。

 この目の前にいる人懐っこそうな公家こそ、山科言継である。スッと人の懐に入っていけそうな雰囲気に、ある種の恐ろしさを感じてしまう。


「松殿殿、お目にかかれて幸いです。以前からお会いしたいと思っておりました」


「山科卿、私に会いたかったとは?」


 山科言継の話だと、彼は私に会いたかったらしい。何だか怖いな。


「私が勝手に松殿殿に親しみを抱いているだけにございますよ。私も本来なら家を継げぬ生まれなので、庶子の方にはついつい親しみを抱いてしまうのです」


 山科言継は、私が庶子であることに、一方的に親しみを感じているそうだ。そんな理由で?と思ってしまうが、そう言ったところからコミュニケーションへ繋げていくのが、山科言継の強みなのかもしれない。

 山科言継は、前当主の山科言綱の子であるが、正室である中御門宣胤の娘との子では無いのだ。山科言継の生母は女嬬(宮中に仕える身分の低い女性)の出であり、言継が唯一の男子であったため、山科家の後継ぎとなっている。

 山科言継は、阿末(下級女房)の世界を知って育ってきた様で、身分の隔てなく接することが出来るそうだ。そのため、幅広い人脈を形成し、朝廷への献金を集めていくこととなる。また、朝廷の庶務への関心も強く、実務を執り行う地下人たちとも良好な関係を築いていた様だ。

 こう言った山科言継の人物形成には、生母の出身や環境などが礎となった可能性があるだろう。

 その後、山科言継と様々な話をすることとなったが、愛想が良く、耳心地良いため、ついつい話し込んでしまう。

 その様な中、山科言継は少し驚かさせられる質問を投げてきた。


「ところで、松殿殿は仏門に入られるのですか?」


 山科言継は、私に仏門に入るのか?と問うてきたのだ。普通に考えれば、わざわざ尋ねるはずも無いことである。

 しかし、目の前にいる山科言継の笑みは崩れていないものの、目は笑っておらず、真剣なものであった。

 その目は、よく見たことのある目に似ている。剣術の師と言って良い塚原卜伝などを始めとして、今まで付き合ってきた大林菅助や服部半蔵などが時折見せる目だ。まるで、獲物を狙う時の鷹の様な目である。


「如何にも、近衞家の子が家督を継げぬとあらば、仏門に入るしか無いでしょう。ましてや、庶子でございます故な」


 当たり障りの無い答えを返す。山科言継はどの様な態度を示すであろうか。


「やはり、そうでございましたか。いえいえ、身体付きが立派でございます故、仏門より武士の方が似合われるのではないかと思った次第。お気を悪くされたならば、申し訳ごさいませぬ」


 山科言継の目は、再び笑みを帯びる。そして、私の身体が鍛えられていて仏門に入るより、武士になった方が良いと思ったと述べた。

 何となく、見透かされている様な気になり、居心地の悪さを感じる。


「いえいえ、お気になさいますな」


 私は、山科言継に気にしなくて良いと、答えた後は、共に他の公家衆たちと交流を深めていく。

 公家衆たちは、細川高国方が敗れ、柳本賢治や三好勢が都を占領したことは、まるで他人事の様であった。


 公家衆たちとの交流を終え、公家衆たちとの別れの挨拶をする。公家衆とは当たり障りの無い挨拶をし、山科言継と挨拶を行う。

 その時の山科言継から言われた言葉は忘れられない。


「松殿殿、困った時は何時でも手助け致します故、お忘れ無く」


 今後の人生において、山科言継が関わり続けるであろうと予感させられる一言であった。

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