第49話 武野新五郎との出逢い

 或る日、服部半蔵から機関衆の細工方の報告を受ける。商家に紛れ込ませている機関者から、堺の皮革商人の息子が京の都に移り住んだとの情報を得たのだ。

 実は以前から皮革商と関わりを持ちたかったのだが、なかなか取っ掛かりがなかった。そもそも皮革は賤民が作る物であり、公家衆との関わりも薄い。渡辺四郎左衛門や傘下の商人たちも、積極的に関わってはいない様だ。

 では、何故この堺の皮革商人の息子に目を付けたかと言えば、連歌師を称して移り住んだからである。室町通の四条に住んで連歌師として活動を始めているとのこと。渡辺四郎左衛門にも尋ねて確認していた。

 上京で皮革商人の息子が連歌師として活動するなど、父親から商売のための人脈構築を命じられたのか、金持ちのドラ息子の道楽なのか。実際に会ってみないと分かるまいな。


 私は、上京の商人である渡辺四郎左衛門を同行させ、自称連歌師の元を訪ねることにした。

 事前に、渡辺四郎左衛門に面会の約束をさせており、貴人の子息が同行することを伝えさせている。

 私たちは、件の皮革商人の息子の家に着くと、渡辺四郎左衛門が訪う。私たちは、家人に家の一室に案内される。暫くすると、一人の若者がやってきた。

 若者は、着座すると、挨拶を述べる。


「堺の皮屋の子で、武野新五郎にございまする。お見知り置きください。上京でも御高名な渡辺四郎左衛門殿に御来訪いただけるなど、有り難いことにございます」


 自称連歌師なだけあり、所作や振る舞いはなかなかのものであった。

 私の目の前にいる武野新五郎と言う男は、後に茶人として高名な武野紹鷗である。茶人として有名な千利休の師匠となる男だ。それ以外にも、戦国時代の有名人の茶の湯の師匠になっている。今はまだ、その片鱗を見せてすらいないが。

 武野紹鷗は文亀2年(1502年)、大和国吉野郡で生まれている。武野家は、若狭武田氏の出身を称しており、武野紹鷗は武田仲清の孫であった。武野紹鷗の父の武野信久は、祖父の武野仲清の戦死後、各地を放浪している。そして、「武田が下野した」という意味合いで武野に改姓した。

 武野信久は、諸国を放浪した後、三好氏の庇護を受け和泉国の堺の南庄舳松村に定住する。この時の堺の町は、中央を東西に走る大小路という通りの北側が、摂津国に属する「北庄」、南側が和泉国に属する「南庄」に分かれていた。

 そして、武野信久が住む南庄舳松村は、豪商が多く住まう地域である。後の千利休や今井宗久たちも南庄の住人だ。

 武野信久は、その地で皮屋(皮革・武具に関する商い)を営んでいた。「皮屋」とは、皮革業であり、戦国時代の皮革業の取り扱いは、馬具や武具であり軍需物資である。

 つまり、火薬や鉄砲の業者と同じ「死の商人」なのだ。まだ火薬や鉄砲は伝来していないが。

 畿内で、恒常的に行われる戦によって、武野新五郎の実家は大いに儲けている。



 武野新五郎の挨拶の後、渡辺四郎左衛門も挨拶をし、自己紹介をするとともに、私のことを紹介する。


「何と!近衞様の若様にございますか!?」


 私のことを紹介された武野新五郎は、驚きを隠せていなかった。流石に堺からやって来たばかりの自称連歌師が、いきなり近衞家の子息を紹介されれば、驚くのも仕方ないだろう。


「近衞様の若様が、どの様な御用かお伺いしてもよろしいでございましょうか?」


 武野新五郎は、かなり気後れしている様子だ。思っていた以上に高位の貴人の子息の登場で、怯んでしまっている。


「武野新五郎とやら、其方の家業は皮革を取り扱っていると聞いておる。京の都の近くで、屠殺や皮革を生業にしておる河原者に取り次いでもらいたい」


「「「はっ!?」」」


 私は、武野新五郎に屠殺や皮革を扱っている河原者(賤民)を紹介して欲しいと言うと、武野新五郎を含めて、周囲の者たちから戸惑いの言葉が出た。


「わ、若者、何をおっしゃいますか!河原者とお会いになるつもりでございますか?ましてや、屠殺や皮革を生業にするものなどの…」


 いち早く立ち直った渡辺四郎左衛門が、私に抗議の言葉を述べる。確かに、渡辺四郎左衛門が困惑しながらも抗議をするのは、この時代を生きてきたから分かる。

 しかし、将来のことを考えると、屠殺業者や皮革業者の河原者たちと知り合っておきたかったのだ。


「渡辺四郎左衛門よ。そう目くじらを立てるな。其方の言いたいことも分かる。されど、私にも考えがあるのだ」


 私は、旧松殿家の屋敷に人が増え、食料の出費に困っていると述べる。そして、少しでも食費を浮かせるため、機関衆など手の空いている者に猪や鹿を狩らせ、屠殺業者に解体させるとともに、皮を皮革業者に売れば良いと、尤もらしい理由を語った。

 それを聞いた周囲の者たちは、眉を潜めながらも、表立っては文句を言えずにいる。代わりに食費を出してくれる訳では無い。旧松殿家の管理を任されているのは、私であり、家僕や家臣たちの生活を考えねばならないのだ。と言うような尤もな感じの取って付けたような理由である。


「若様に、河原者たちを取り次ぐのは構いませぬが、私共に咎は及びませぬでしょうか?」


 武野新五郎は困惑しつつも、私に河原者たちを引き合わせて、罰せられないかと問う。


「罰せられぬ様に致す故、案ずるな」


 武野新五郎は、私の言葉にホッとした様子を見せる。


「若様、当方は堺の皮屋でございます故、京の河原者たちとの取り次ぎには、些か時をいただくことになるかと」


「うむ、構わぬ。其方が役目を果たしてくれたなら、見返りは考えておる」


「見返りにございますか?」


 武野新五郎は堺の者であるため、京の河原者たちと引き合わせるのに、時間がかかる様だ。その辺りは想定通りである。

 私は、武野新五郎が依頼を果たしてくれたなら、報酬を用意していることを伝えると、武野新五郎は報酬について気になった様だ。


「私は、三條西逍遥院殿を師としておる。其方も連歌師ならば、三條西逍遥院殿を存じておろう?引き合わせてやっても良いぞ」


「ま、ま、誠にございますか!?」


 私が、報酬として三條西実隆に引き合わせてやると伝えると、武野新五郎は大いに動揺してしまう。この時代の公家社会の最高権威である三條西実隆は、連歌師ならば憧れの存在のはずだ。

 本来ならば、武野新五郎が三條西実隆と出逢うのは、数年後であり、連歌師の印政が引き合わせている。

 まぁ、私が三條西実隆に引き合わせても問題なかろう。渡辺四郎左衛門の様に、武野新五郎を味方にしておいて損は無い。

 こうして、武野新五郎は私の依頼を引き受け、京の河原者たちとの引き合わせての手筈を調えていくのであった。

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