第39話 塚原卜伝との出逢い
冬のある日、近衞家の屋敷の庭で叔父とともに鍛錬していると、近衞家の侍たちが噂話をしているのが耳に入る。
近衞家の侍たちの話によると、京の都に強い剣客が現れたそうだ。約20年前にも、都や周辺で修行していた人物らしい。
噂話だと、当時を知る者は、以前よりも遥かに強くなっていると語っていたそうだ。
私は、旧松殿家の屋敷に赴き、大林菅助や服部半蔵に話してみると、両者ともその噂話を知っていた。大林菅助と服部半蔵は、その剣客に会ったことは無い様だが、他にも噂話を耳していた様で、色々と話してくれる。
その者は、常陸国の鹿島の者であるそうだ。鹿島の剣術の家の出の様で、武者修行で約20年前に京を訪れ、約10年ほど、都を中心に畿内で修行をしていたらしい。
その後、鹿嶋に帰った様だが、剣の悟りを開いて、京の都に戻ってきた様である。
「若様、興味を抱かれたならば、御屋敷に召し出しては如何でしょうか?」
「腕の立つ剣客が、召し出しに応じてくれるだろうか?」
松永久秀が、気になっているなら、その剣客を召し出してはどうかと進言した。
しかし、それほどの剣客が呼び出しに応じてくれるものだろうか。
「では、某が連れて参りましょう」
大林菅助も興味があったのか、自分が連れて来ると言い出した。その場では、大林菅助に任せることで一致したのだが、本当に大丈夫であろうか?
数日後、大林菅助が件の剣客を連れて来たとの報せを受ける。大林菅助は、問題を起こさずに連れて来られたのか心配だ。
私は、旧松殿家の屋敷に赴くと、大林菅助たちの待つ部屋へと入る。部屋に入ると、大林菅助と一人の男が、頭を下げて待っていた。
大林菅助たちの面を上げさせると、件の男は少壮で厳しい顔付きをしているが、眼光の鋭さは、他者を射竦めさせることだろう。
「若様、こちらが鹿島の塚原卜伝殿にございます」
私は、大林菅助の紹介に思わず驚き、目が開く。塚原卜伝と言えば、上泉信綱と並ぶ剣聖であり、戦国時代を代表する剣豪の一人だ。
しかし、まだその名が知られていないから、京の都の一部で噂になっているだけなのだろう。
「若様、某は塚原卜伝と申します。御目にかかれて光栄至極。お見知り置きくださいませ」
塚原卜伝は、大林菅助の紹介の後に、自己紹介と挨拶の言葉を述べる。
「わざわざ、屋敷まで赴いてもらって済まぬな。大林菅助が礼を失しておらなんだか?」
「いえいえ、木剣で一戦を交えただけにございます。大林菅助殿も見事な腕前にて」
私は、塚原卜伝に屋敷まで赴いてもらったことに対して礼を述べ、大林菅助が失礼をしなかったか尋ねたところ、卜伝と菅助は木剣で試合をしてしまった様だ。
塚原卜伝の言葉に、大林菅助は苦笑している。私は思わず、大林菅助にジト目を向けてしまう。
塚原卜伝と大林菅助の話を聞くと、卜伝を見つけ出した菅助は、卜伝に試合を申し込み、木剣で戦ったそうだ。結果は、塚原卜伝の勝利で、大林菅助は噂通りの強さだった卜伝に感心し、私が頼んだ通り、屋敷まで連れて来たとのことであった。
大林菅助は、自分より弱かったら連れて来るつもりは無かったらしい。私は、大林菅助に再びジト目を向けてしまった。
塚原卜伝に更に話を聞くと、卜伝は鹿島神宮の神官で大掾氏の一族である鹿島氏の四家老の一人である吉川左京覚賢の次男として常陸国鹿島に生まれたそうだ。吉川氏の本姓は卜部氏であり、鹿島神宮に仕える神官の家であるものの「鹿島の太刀」と呼ばれる父祖伝来の鹿島神流を受け継ぐ剣術の家であった。
5、6歳の頃、塚原卜伝は実父の吉川左京の剣の友であり、塚原城主の塚原土佐守安幹の養子となったそうだ。
そして、元服した塚原卜伝は、塚原新右衛門高幹と名乗る。塚原氏の本姓は平氏で、鹿島氏の分家であった。
塚原卜伝は、実父の吉川左京からは鹿島神流、義父の塚原土佐守からは天真正伝香取神道流を学んでいる。自身の剣術の腕に自信を持ち始めた塚原卜伝は、武者修行の旅に出たいと願う様になっていく。
そして、永正2年(1505年)に16歳で第一回目の廻国の武者修行に出たそうだ。第一回目の廻国の武者修行は、京の都を中心に戦乱の中での修行であった。塚原卜伝は、人の死を目にする事が多く、世の虚しさにやりきれない気持ちになったそうだ。
そのため、永正15年(1518年)頃に、故郷の鹿島へと戻ったとのことであった。
その第一回目の武者修行が、約20年前に京の剣客たちの間で話題になったのだろう。
塚原卜伝は実家に戻ったものの、憔悴して変わり果てた姿に驚いた実父の吉川左京と義父の塚原土佐守は相談をした。
そして、塚原卜伝は、鹿島を代表する剣術家で、鹿島城の家老でもある松本備前守政信に塚原卜伝を預けられた。塚原卜伝と会った松本備前守は、卜伝に千日間の鹿島神宮への参籠を奨めたそうだ。
塚原卜伝は、荒れた心を鎮め、自己の剣を振返りつつ修行に励んだ。その様な修行の日々を過ごした塚原卜伝は、遂に鹿島の大神より「心を新しくして事に当れ」との神示を頂いたのであった。
剣の悟りを開いた塚原卜伝は、ト部の伝統の剣を伝えるという意味でト伝を号し、名乗るようになったそうだ。
その後、塚原ト伝は、松本備前守の勧めで、大永3年(1523年)に、第ニ回目の廻国の武者修行に出発して、現在は京の都にいるとのことであった。
塚原卜伝は、今回の武者修行の間は、2本の木剣に紐を通して背中に背負い、訪れた先々で人々に剣を指導しているそうだ。
塚原卜伝は、まだ剣豪として名が通っていない時期なのだろう。剣豪として有名人であれば、もっと騒ぎになるはずだ。
「鹿島神宮は我ら藤原の氏神である春日大社と同じ神を祀っておる。塚原卜伝とは、何かの縁を感じる故、其方が良ければ、この屋敷に逗留せぬか?」
私は、塚原卜伝に旧松殿家の屋敷に滞在しないかと提案する。我が藤原家の氏神である春日大社と祭神を同じくする鹿島神宮の導きなのではないかと思ってしまうほど、塚原卜伝との出逢いは稀有なものだ。
そして、私は後の剣聖である塚原卜伝に、屋敷での滞在の間に稽古を付けてもらおうと思ったのである。
「よろしいのですか?願ってもないことにございます」
塚原卜伝は喜び、私の提案を受け入れてくれた。まだ名が通っていないので、宿や一部の支援者の世話になっており、路銀はなかなか厳しいものらしい。
こうして、塚原卜伝は別室で待つ僅かな供の者たちとともに、旧松殿家の屋敷に滞在することとなったのであった。
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