第40話 初めての鷹狩り

 折角、冬と言う季節なので、私は祖父の近衞尚通から贈られた大鷹で鷹狩をしようと思い立った。

 鷹狩は一年を通して行われるものの、冬は雁や鴨など、渡り鳥を獲ることが出来る。鷹狩に適した季節であるのだ。

 また、「鷹の鳥」と呼ばれる、鷹狩で獲た鳥を天皇に献上するのも、基本的には冬に行われる。「鷹の鳥」も基本的には雉であった。

 摂家など高位の公家にも「鷹の鳥」は進上されており、細川高国も細川京兆家の家督を継ぐ前は、近衞家によく進上していた様だ。

 細川高国が細川京兆家の当主になってからは、近衞家への進上は無く、後柏原天皇へ献上するか三條西実隆に贈っている。

 昨年は、細川高国の従兄であり、細川京兆家の分家の典厩家の当主である細川尹賢から三羽の雉が「鷹の鳥」として進上されていた。

 しかし、その「鷹の鳥」は、祖母の維子からそのまま三條西実隆へと贈られている。祖母は「北政所」として、祖父や父の代わりに、公の場に出る機会があったのだ。

 三條西実隆には、細川京兆家や近衞家など様々な家から「鷹の鳥」を贈られるだけで無く、後柏原天皇からも何度も下賜をされている。

 これらの上流階級の社会で遣り取りされる「鷹の鳥」は、主に雉であった。

 しかし、織田信長や徳川家康の時代になると「鷹の鳥」は鶴や鴨となってしまう。



 私が、今回狙うのは、鴨や雁など、屋敷で食べられるものだ。雉なんて獲ろうものなら、食べられずに、また祖母が三條西実隆に贈ってしまうかもしれない。


 私は、大林菅助、松永久秀・甚助兄弟、服部一族の者を供に鷹狩に行くことにした。

 塚原卜伝も鷹狩に興味があるそうなので、護衛を兼ねて同行してくれる様だ。塚原卜伝も後の廻国の武者修行では、供を多く連れ、鷹も伴っていたそうなので、今の段階でも鷹狩に興味を抱いているのかもしれない。

 私は、祖父が贈ってくれた大鷹に付けてくれた鷹匠に良い狩り場は無いか聞いていた。この鷹匠は、公家の地下家の者で、高位の公家の鷹匠をしている家の者にだそうだ。祖父から大鷹を貰ってからは、旧松殿家の屋敷にて大鷹の世話をしてくれている。

 鷹匠の話では、上京の外の洛中の範囲で、何ヶ所か良い狩り場があるそうだ。我々は、それらの場所で鷹狩をすることにした。


 今の京の都は、上京と下京の2つに分かれており、それぞれの区域から出れば、田畑があったり、原野のある自然豊かな環境だ。

 まずは、放鷹に慣れるため、原野で獲物を獲ることとなった。

 洛中の原野で鷹匠が薦める場所へ赴く。暫く探索すると、雉が見つかった。


「若様、雉にございます。運がよろしいですな」


 雉を見つけた鷹匠は、小声で私に運が良いと述べる。あまり嬉しくは無いが、私の放鷹の練習は雉でする様だ。

 大鷹を腕に据え、雉に向けて放つ。放たれた大鷹は、そのまま雉へと向い、その鋭い爪を雉の身体に突き立てた。鷹匠は松永甚助と共に、急いで獲物の雉と鷹を回収しに行く。

 鷹を放つ練習は、旧松殿家の屋敷においても行っていたが、まさか初めての放鷹で、雉を狩れるとは思わなかった。ビギナーズラックと言ったところだろうか。


「若様、お見事にございます!」


 鷹を回収してきた鷹匠が褒めそやす。松永甚助の腕には、獲物の雉が抱えられていた。

 塚原卜伝や大林菅助、松永久秀なども、獲った雉を見て、口々に褒める。ここで、自分の実力であると勘違いして、調子に乗ると、大抵は上手くいかないことは分かっているので、改めて気を引き締め直す。

 その後も、別の場所で鷹狩を続け、何度か失敗したものの、雉を計2羽獲った。塚原卜伝たちもやりたそうな顔をしたので、私の大鷹でやらせてみる。

 結果として、塚原卜伝は雉を1羽を獲り、松永久秀も雉では無い鳥を1羽獲ることに成功した。

 しかし、大林菅助は1羽も取ることが出来ずに、悔しがっている。大林菅助の場合は、獲ろう獲ろうと言う気持ちが強すぎて、殺気の様なものが鷹にも獲物にも伝わってしまっているのではなかろうか。私は、大林菅助から、ある程度リラックスした状態の方が上手く狩れるのであろうと学んだのであった。


 私を含めて、計4羽の獲物を得た我々は、旧松殿家の屋敷へと帰る。大林菅助だけ獲れずに落ち込んでいたが。松永甚助も今回は放鷹をさせられなかったが、次はさせてやりたいと思っている。

 旧松殿家の屋敷に戻ると、塚原卜伝と松永久秀は獲物の鳥を渡そうしてきたが、屋敷で食べる様に伝え、自分で獲った雉を持って、近衞家の屋敷へと帰った。


 私が供と共に雉を携えて帰ると、近衞家の家僕たちは、喜色を浮かべながら、雉を受け取る。


「その雉は夕餉に出してくれ」


「若様、それはなりませぬ。『鷹の鳥』にございますれば、御当主様方にお見せせねば」


 私は、家僕に雉を夕食に出してくれと頼んだが、ダメだと拒絶されてしまう。「鷹の鳥」なので、父たちに見せなければならないらしい。肉が食べたかったのに、お預けを食らうとは……。


 近衞家の屋敷の一室にて、祖父母を筆頭に家族たちが集まっていた。家族たちの中心には、器に載せられた2羽の雉が並んでいる。


「まぁまぁ、立派な『鷹の鳥』ですこと!」


「見事な『鷹の鳥』じゃ。初めての鷹狩で雉を2羽も獲るとは、大したものだ」


 祖母の維子と祖父の近衞尚通は感心した様子を見せる。祖父が称賛するなど珍しいことだ。


「多幸丸殿、私も『鷹の鳥』を獲りとうございます」


 祖父母に倣って、伯母たちも褒めそやす中、叔父は自身も鷹狩をして「鷹の鳥」を獲りたいと言う。即座に祖父に窘められていたが。


「近頃は、『鷹の鳥』を進上してくれる武家も少ないですからな。されど、この『鷹の鳥』をどうすべきか…」


 父の近衞稙家が、「鷹の鳥」の進上が少なくなったと言いつつ、この雉をどうするかと考え始める。


「折角、多幸丸が『鷹の鳥』を獲ったのです。三條西家の逍遙院(実隆)殿に贈りましょう」


 祖母は、三條西実隆に「鷹の鳥」を贈るべきだと主張した。


「逍遙院殿に贈り、多幸丸へ学問を教えていただける様に、お願い致しましょう。逍遙院殿は当代でも名高き文化人にございます。多幸丸も良き師に習えば、武芸ばかりで無く、学問にも身が入るでしょう」


 祖母は、三條西実隆に「鷹の鳥」を贈り、私に学問の教育をお願いしようと言い出す。祖母の中では、私は武芸ばかりに熱中している様に見受けられるのだろう。しかし、家僕たちから学問や教養を習っているし、及第点はもらえている。


「うむ、そうであろうな。逍遙院殿に贈るのが良かろう。多幸丸も帯解きの儀を終えたことであるし、逍遙院殿だけでなく、私も暇を見付けては学問を教えることに致そう」


 祖父も祖母の意見に賛同するとともに、三條西実隆だけで無く、自身も私の教育をすると言い始めた。


「多幸丸は持明院家で鷹を学んだので、鷹の歌は上手くなりましたが、他の和歌はまだまだにございますれば、父上や母上のおっしゃる通り、逍遙院殿の元へ通わせるのも良いやもしれませぬ」


 父まで祖父母の意見に賛同してしまったため、私は三條西実隆の元へ通い、学問を習うことになりそうだ。

 必然的に「鷹の鳥」として2羽の雉も三條西実隆に贈られることとなった。

 勉強の時間は増え、ご馳走まで失うとは、踏んだり蹴ったりである。

 当代随一の文化人である、三條西実隆や祖父に学問や教養を習えるなど、一部の者たちには垂涎なのであろうが、私にとっては鷹狩の獲物を食したいと言うのが、本音なのであった。

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