第37話 硝石丘法の検証

 冬のとある日、私は服部半蔵と服部一族の一部の者たちとともに、旧松殿家の屋敷の一角に集まっていた。

 その場所は、屋敷の片隅であり、立地は良くない。ただでさえ、人が近寄らないところなのに、私がある物を置かせてからは、益々近寄らなくなっていた。

 そこには、何個かの蓋のされた木桶が置いてあり、お情け程度の屋根と、雨避けの溝などが掘られている。


「若様、誠に木桶の蓋を開けてよろしいのですか?」


 服部半蔵が困惑しつつ、私に問い掛ける。

 私は、木桶の蓋を開けて中身を確認するつもりなのだ。

 服部一族で管理しており、中身がどの様なものか分かっているため、服部半蔵が躊躇するのは、私に中身を見せるべきでは無いと考えているためだろう。

 そもそも、この木桶を置かせたのは、私が旧松殿家の屋敷を管理下に置いてから、すぐのことである。服部一族が仕官する前からあるので、中身が何であるか分かってはいるのだ。


「本日は、木桶に尿を撒く日であろう?中を見るために、尿を撒くのは止めさせておる故、臭いも少しは和らいでおるはずだ」


「左様にございますが……」


 服部半蔵は、尚も渋っている。木桶の中の穢れが、私に害をなすのではないかと恐れているのだろう。


 木桶の中身は主に人の糞尿である。糞尿他にも雑草などの草木や石灰、屋敷の軒下の土を混ぜたものだ。定期的に尿をかけ、毎日掻き混ぜさせている。

 混ぜている物を知れば、21世紀のラノベを読んだりしている人なら分かるかもしれない。私は「硝石丘法」を試しているのだ。

 火薬の原料である硝石を生産出来る様になれば、海外から硝石を輸入する必要も無くなる。そもそも、今の時代には、殆ど火薬は普及していない。

 応仁の乱の際には、唐土から「火槍」と言う火薬兵器が持ち込まれて、使用されたそうだが、あまり効果を発揮出来なかったため、普及しなかった様だ。

 しかし、銃が普及すれば、瞬く間に火薬の需要が高まる。その火薬の原材料である硝石は莫大な価値を生み出すだろう。

 まぁ、硝石を販売するつもりは全く無いが。日本国内では硝石を採掘出来ないため、自前で取る為には、硝石を生産しなければならない。外国に依存して、戦略物資として操作されたり、価値ある物を国外に出すのはよろしく無いからな。


 私は、服部半蔵を促し、木桶を管理している服部一族の者に蓋を開けさせる。管理している服部一族の者には、いつも特別手当を与えているので、勘弁してもらいたい。

 5年以上経っているからか、饐えた臭いは大分薄い。本日が尿を撒く日であったから、撒いた日に比べれば、尿の饐えた臭いも薄くて当然だろう。冬であることも、臭いを和らげている。

 木桶の中身を見て行くと、醗酵しきっているのか、土の様な見た目の人糞の表面に白い霜の様な物が浮かんでいた。所々に白い結晶の様な物が見受けられる。

 何とか、硝石は出来ている様で、安心した。他の木桶を確認していくと、程度の差はあれど、硝石が出来ている様だ。

 それぞれの木桶には、雑草や石灰、土の配合が変えられている。桶と蓋には、番号が付与されており、その番号で配合比率を記録していた。


 この木桶を作るまでが大変であった。「硝石丘法」を知られる訳にはいかないので、様々な人間を関わらせている。旧松殿家の家僕たちを信じていなかったのも理由の一つであるが。

 渡辺四郎左衛門に不要であったり、ボロい木桶を用意してもらい、旧松殿家の家僕に屋敷の軒下の土を入れさせた。別の家僕には、屋敷の雑草を集めさせ、入れさせる。石灰については、白粉商人に量を伝えて集めさせ、供の近衞家の侍に命じて、木桶に石灰を入れさせた。

 そして、旧松殿家の家僕に命じて、浮浪者を連れて来させ、屋敷の糞尿を流し込ませ、掻き混ぜさせたのだ。その後は、7日に一度、尿を掛けて掻き混ぜさせる。それを約5年かけて行わせてきたのだ。


「服部半蔵よ、出来ておったぞ!」


「何が出来ていたのでございますか?」


 私が興奮気味に、硝石が出来ていたことを喜んでいると、服部半蔵は若干引きつつ、何が出来ていたのかを聞く。


「硝石ぞ!この白い霜こそ硝石よ!」


「硝石にございますか?」


 硝石が出来ていたと告げても、服部半蔵はイマイチ分かっていない様子だ。


「元寇の際に、元軍が使っておった『てつはう』や応仁の乱に唐土より取り寄せし『火槍』など、火薬の武器の原料ぞ!」


「火薬の原料にございますか!?」


 火薬の原料だと伝え、「てつはう」や「火槍」の例を出せば、漸く分かった様で、驚いている。

 服部半蔵も驚き喜んでいるところ悪いが、服部一族にはまだ仕事がある。


「服部半蔵よ、この白い霜から硝石を取り出してもらいたい」


 私は、硝石丘からの硝石結晶の精製法を伝えると、服部半蔵は嫌そうな顔をしていた。

 硝石丘の土を水で溶かして、その上澄みの水を採った後、木炭を入れて濾過を繰り返す。ある程度、濾過された水を更に漏斗で濾過した後に、水分を蒸発させ、結晶化させる。良い結晶になるまで、何度も結晶化させなければならない。

 嫌そうな顔をする服部半蔵に、秘中の秘である硝石作りを任せられる者が服部一族以外にいるのか?と言う。すると、服部半蔵も自分たち一族しか秘密裏に出来ないと理解したのだろう。渋々頷いたのであった。



 硝石の生産について、ヨーロッパ各国では「硝石丘法」で生産出来る様になるまで、約2〜3年かかっていた様だ。しかし、プロイセンは約1年で出来ていた様だが、土壌や環境の違いかもしれない。

 実際に堆肥の様に、丘や山の様な状態で醗酵させれば、早く出来るかもしれないが、不潔であるし、感染症や環境汚染が怖い。まだ木桶で作らせた方が、効率が悪くとも多少はマシに思える。

 幕末に薩摩藩が「硝石丘法」を行ったそうだが、人糞などの不浄なものを使うことから、評判は相当悪かった様だ。しかも、糞尿を肥料に使っていたため、不浄なものを穢れと忌み嫌う古来からの考え方もあり、普及しなかった様だ。「硝石丘法」は短期間に大量生産出来るのが強みであるのだが。

 日本で普及したのは、主に「古土法」である。戦国時代中期には、製法の伝播により「古土法」で生産されていた様だ。

 しかし、20年ぐらいかかってしまうため、海外からの輸入が主であった。泰平の世である江戸時代になると「古土法」で十分だったのであろうが。

 越中国の五箇山や飛騨国の白川郷で作られた「培養法」が継続的に量も取れて、時間も比較的短いが、江戸時代では秘密裏に生産されていた。

 白川郷や五箇山の硝石は、古くから「培養法」で作られていた様で、石山合戦の際に、石山本願寺にも運ばれたそうである。

 しかし、日本の「培養法」では材料の調達に難があるので、大量生産するならば「硝石丘法」となるのだろうな。

 今回の検証では、各材料の配合比率のデータ収集など、一定の成果をしています得ることが出来た。

 このデータと「硝石丘法」の問題点などを考慮しながら、領地を得た時に硝石を生産する体制について、どうすべきか今のうちに考えておく必要があるだろう。


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