第15話 近衞親子の遣り取りー肆(近衞尚通視点)

○ 近衞尚通



 永正16年6月3日(1519年6月29日)に松殿家当主である松殿忠顕が亡くなった。

 近頃、体調が悪いとは聞いていたが、思っていたより早く亡くなってしまったのだ。私や稙家の考えが水泡に帰してしまったと言える。


「松殿宰相が亡くなってしまいましたが、如何なさいますか?」


 松殿宰相が亡くなったことで、我々の考えを改めねばならなくなったため、屋敷で稙家と話し合うこととなった。

 稙家が松殿宰相が無くなったことで、これらのことを問うてくる。

 多幸丸に松殿家を継がせるかどうかであろう。


「多幸丸に松殿家を継がせる訳にはいくまい。松殿宰相が亡くなったことで、多幸丸には別の使い途があるからな」


「左様にございますな。没落した家を継がせても詮無きことにございます。」


 松殿宰相が亡くなったことで、多幸丸は別のことに使うことが出来よう。稙家の言うとおり、わざわざ没落した家を継がせることなど無いのだ。


「では、松殿家は如何なさりますか?」


「松殿家はこのまま絶やす他あるまい。されど、多幸丸が猶子であった故、屋敷と荘園は当家が継ぐことになろう」


「分かり申した。わざわざ禁裏御料にすることもありませぬからな」


 松殿家はこのまま嗣子無く絶えてもらうしかなかろう。多幸丸が猶子であったお蔭で、当家が継ぐことが出来るので、屋敷と荘園は我らが頂戴することになるが。

 稙家の言う通り、このままだと禁裏御料にされてしまうかもしれぬなど以ての外よ。荘園については、朝家と摂家は常に対立し続けておる。これは、長く続いている戦いであるからな。


 私は松殿宰相が亡くなったと報せを受けた時に思い付いたことを稙家に伝える。


「松殿家の屋敷と荘園は、多幸丸に任せてみたいと思うが、其方はどう思う?」


「多幸丸に松殿家の屋敷と荘園を任せるのでございますか?多幸丸は幼子ですぞ。荘園を任せるなど……」


 私は松殿家の屋敷を多幸丸に任せようと思い付いた旨を稙家に伝えたところ、多幸丸は幼子である故、稙家は反対の様だ。


「松殿家の猶子は多幸丸である。多幸丸は賢しい故、荘園を任せても上手くこなしそうではあるがな。それに、松殿家の家僕たちが増えれば、当家が負う責も増えよう。ならば、多幸丸に荘園を任せ、家僕たちの食い扶持は自分たちで稼がせれば、当家の懐が痛むことは無いと思うのだが、どうか?」


「父上のおっしゃる通り、松殿家の家僕たちを引き受ければ、当家の懐は痛みますな。多幸丸は渡辺四郎左衛門など商人たちと遣り取りしている様ですから、松殿家の屋敷と荘園を与えて、家僕たちの食い扶持を何とかさせるのも良いやもしれませぬ」


「松殿家の荘園から生まれる利の内の、当家に上納させることは忘れてはなるまいがな」


 私は、松殿家の家僕たちを引き受けたならば、当家の懐が痛むやもしれぬと述べると、稙家も納得した様だ。

 当家は唯でさえ他家よりも家僕が多い。松殿家の家臣たちが入り込む余裕など無いのだ。

 ならば、多幸丸に松殿家の屋敷と荘園を与え、松殿家の家僕たちを養わせれば良い。松殿家も荘園の利だけで、家僕たちを食わせるのは苦しかったであろう。

 多幸丸は渡辺四郎左衛門など商人と遣り取りしておる故、荘園で失敗しても何とかなるであろうからな。

 もし、利が生じたならば、上納させれば良いだけのことよ。


 その後、私は多幸丸に松殿家の屋敷・荘園・家臣たちを任せることを稙家と話し合った。

 まずは、松殿家の継承を当家がする旨を朝廷に納得させねばならぬ。そこまで難しく無かろうが、摂家の九條流の者たちが何か申すやもしれぬからな。

 松殿家の僅かな荘園と言え、禁裏御料や九條流の荘園にさせるなどあってはならぬ。

 私は稙家と引き続き、朝廷でどの様に動くかを話し合ったのであった。

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