第12話 商家の選定と渡辺四郎左衛門へ報いる
渡辺四郎左衛門が当家を訪れてから、一ヶ月が経った頃、商家の目星が付いたとの報せが届いた。目星を付けた商家は、何軒かあるそうなので、私は渡辺四郎左衛門を呼ぶことにする。
渡辺四郎左衛門は、私の口利きで当家に出入り出来る様になったのだ。そのため、当家に呼ぶのも容易になっている。
数日後、当家を訪れた渡辺四郎左衛門が待っている部屋へ傅役とともに赴く。
以前と同じ様に、私の入室に合わせて、渡辺四郎左衛門は頭を垂れていた。傅役が頭を上げる様に促し、渡辺四郎左衛門が挨拶を述べる。
「渡辺四郎左衛門よ、商家に目星が付いたとのことであったが、如何であるか」
「若様の御期待に叶う様な商家を何軒か見つけてございます」
その後、渡辺四郎左衛門は、目星を付けた商家についての説明を受ける。その中で、商人である渡辺四郎左衛門の助言を受けつつ、商家を選定を行った。
「では、私の方で件の商家と話をしてみましょう。色良い返事をいただけたならば、改めて御報せいたしまする」
商人同士で話をした方が良いと言うことで、渡辺四郎左衛門が交渉に当たることとなった。
渡辺四郎左衛門任せになってしまっているのが申し訳無いが、公家がやるよりは上手く事が進むはずなので、任せる他無いのが現状だ。
それからも、渡辺四郎左衛門から報せなどが届く度に、話し合いをすることとなった。
渡辺四郎左衛門が御用聞きに、当家を訪れる度に、幼子の私にも御機嫌伺いをするので、話し合い以外でも顔を合わせている。土産に持ってくる餅は、いつも美味しくいただいているのだ。
渡辺四郎左衛門の交渉により、色良い返事を引き出した商家が出た様である。後日、改めて渡辺四郎左衛門が当家に商人を連れて参ることに決まった。
数日後、渡辺四郎左衛門が商人を連れて、当家を訪れた。
「こちらが、若様の御要望の商人にございます」
渡辺四郎左衛門が、件の白粉商人の紹介をする。その後、白粉商人から挨拶の言葉があり、私が行おうとしている事業についての話をすることとなった。
近衞家の荘園でキカラスウリを栽培すること、栝楼根から天花粉を製造し白粉にすること、天花粉の白粉を近衞家御用として販売することなどである。
白粉商人は、渡辺四郎左衛門との交渉が成立した後に、ある程度の話を聞いていたのだろう。商売としての課題など、渡辺四郎左衛門を加えて話し合うこととなった。
栝楼根の加工についてや、天花粉の白粉の価格、白粉座との関係など様々な課題がある。
栝楼根の加工については、職人を引き抜いて、商家で生産することに決まりそうだ。引き抜けそうな職人をこれから探してくれることになった。
白粉の価格については、天花粉より安く、軽粉や鉛白より高い価格になりそうである。
軽粉は産地が伊勢国であるため、神宮(伊勢神宮)の御師たちが、神宮の御札とともに白粉を運んでいるらしい。なので、軽粉は全国に流通網が確立され、安価であるそうだ。
天花粉の白粉は、近衞ブランドで高級志向で販売するしかなさそうである。
白粉座との関係についても、軽粉や鉛白と差別化を図り、高級志向の路線で一部の層を対象にすることで、座との対立を避ける方針だ。
今後は、白粉商人の方で様々に動いてくれるらしい。白粉商人だけだと、私が不安なので、渡辺四郎左衛門にも引き続き協力を求めた。
こうして、渡辺四郎左衛門の仲介により、白粉商人との話し合いが終わる。
今回の白粉の件で、汗を流して働いてくれた渡辺四郎左衛門に何らかの形で報いてやらねばならない。
後日、当家を訪れた際に、私の下へ御機嫌伺いにやってきた。
「渡辺四郎左衛門、先日は私のためによく働いてくれた。私も其方に何か報いてやらねばなるまい」
私が渡辺四郎左衛門に報いてやろうと言うと、彼は固辞しようとする。
「これを見てみよ」
私は一枚の紙を差し出す。その紙には、菓子の図と文言が書かれていた。
川端道喜と言えば「ちまき」の製造販売でも有名である。なので、「ちまき」の図や製造に関して、知っていることを書いた紙を用意したのだ。
室町時代では「ちまき」は鬼(疫病など)を払う効果があると信じられていた。
そもそも、日本における「ちまき」は、チガヤの葉に包んだことに由来すると言われている。また、マコモやアシの葉に包まれることもあったそうだ。
笹の葉で「ちまき」を包むようになったのは、初代の川端道喜の考案であるとの言い伝えがある。初代の道喜は、渡辺四郎左衛門の娘婿である渡辺彌七郎(中村五郎左衛門)のことだ。
初代の道喜の「ちまき」は、うるち米を出来る限り粒度の細かい上新粉に加工し、湯で捏ねて団子状にする。それを湯掻いて、更に臼で搗いた上で笹の葉に包む。そして、再び湯掻いて完成させると言う手の込んだ菓子であった。
川端道喜で用いられていた笹の葉は、鞍馬山のものと言われている。それは、川端道喜の祖とされる渡辺綱の鬼退治の伝承が元になっているらしい。
初代の道喜は、上新粉の「ちまき」と共に、葛粉を原料とした「ちまき」の製造を始めたと伝えられている。
応仁の乱の後に、朝廷は経済的に困窮することとなった。そのため、吉野の国栖の者たちが葛粉を献上するようになったそうだ。
その後、天皇が道喜に葛粉を下賜され、葛の「ちまき」を製造し、宮中に納入し始めたのが経緯だと言う伝承がある。
「これは、ちまきの図にございますか?」
渡辺四郎左衛門は困惑しながら、差し出された紙を受け取り、見入ることとなった。
私が差し出した紙には、上新粉と葛の「ちまき」について書かれている。
「如何にも。新たなちまきの案じゃ。其方の家の祖は渡辺綱と聞く。それ故、包む葉は鞍馬山の笹を使えば良かろう」
「新たなちまきを私が作って、よろしいのでしょうか?」
「案であるが故、出来上がったものでは無い。其方が作り上げ、売り出すと良い」
私が新しいちまきの案てして出すと、渡辺四郎左衛門は自分が作って良いのかと問うた。渡辺四郎左衛門以外に誰が作ると言うのだろうか?
そもそも、概要しか分からないのに作れる訳が無い。ちまきなんてわざわざ作りたい訳でも無いので、渡辺四郎左衛門が完成させて、名物商品にすれば良いのだ。
初代の川端道喜である渡辺彌七郎には悪いが、手柄は義父の渡辺四郎左衛門のものにしてしまおう。
「朝廷では献上された葛があると聞く。父上に進言して、其方に下賜する様に上奏していただこう」
「よ、よろしいのですか?主上から賜るなど畏れ多いことにございます」
私が父に頼んで、渡辺四郎左衛門に葛を下賜される様に取り計らってもらおうと伝える。すると、渡辺四郎左衛門は畏れ多いと困惑してしまった。
別に当家の懐が痛む訳では無いので、父たちは気にせず進言するだろう。朝廷と摂家は荘園などで対立することがあるので、自家の懐が痛まない分には構わないはずだ。
渡辺四郎左衛門に「ちまき」の紙を渡し、そのまま会談は終わった。
その後、私は父と祖父に、渡辺四郎左衛門に対して、朝廷から葛を下賜する様に取り計らってくれと頼んだところ、二人は少し悩みつつ応じる。
父から主上に上奏したところ、御朝物を毎日献上する渡辺四郎左衛門に報いたいと朝廷も考えていた様で、すんなりと話は進んだそうだ。
葛を下賜された渡辺四郎左衛門は、葛の「ちまき」作りに精を出しているらしい。
先日、御機嫌伺いに現れた際には、大層感謝され、葛の「ちまき」が完成して売れた際には、相応の礼をしてくれると約束してきたのだ。
別に気にしなくて良いのにと思いながら、気長に待とうと、土産の餅を食べながら思ったのであった。
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