第11話 渡辺四郎左衛門の訪問

 私は祖父の近衞尚通に願い出ていた信を置ける商人の紹介してもらう件について、家僕を通じて件の商人と会うこととなった。

 当家の屋敷を訪れる商人の名は、渡辺進と言う。通称は四郎左衛門だそうだ。

 京で餅商人をしている者で、川端道喜の義父と言えば通じる者もいるだろう。

 渡辺家の祖は、鬼退治で著名な渡辺綱の子孫を称していたらしく、北面武士として京の南郊の鳥羽に居住していたらしい。

 北面の武士の家柄だったからか、渡辺進も朝廷に仕える様な立場にあったのだろう。その立場から餅座の権利を得たと言われている。


 文亀三年(1503年)に創業した渡辺四郎左衛門は、創業と共に朝家(皇室)との関係を深くしていった。

 応仁の乱の後に、足利公儀の力は大きく衰退する。それに伴い、公儀が支援すべき朝廷も弱体化してしまったのだ。

 そのため、天皇の食事もままならない状況に陥ってしまう。その様な状況の下、創業しめ間もない渡辺四郎左衛門は、天皇に毎朝の食事として「御朝物」と呼ばれる餅を献上するようになったそうだ。

 渡辺四郎左衛門が献上している「御朝物」と言う餅は、蒸したもち米を少し搗いたものを芯として塩味の潰し餡で包んだ「おはぎ」や「ぼたもち」のようなものらしい。一説には、おはぎの原形との説もある。

 渡辺四郎左衛門も創業間もなくに「御朝物」の献上を始めたため、当初は物が不足していた。なので、硯箱の蓋に乗せ、素袍を着た四郎左衛門が里内裏に毎朝献上しているそうだ。

 困窮している朝廷は、それでも「御朝物」の献上を喜びんだと聞き及んでいる。後柏原天皇は「御朝物」を喜び、たびたび到着を急かしたとの噂が伝わっている。

 渡辺四郎左衛門は「御朝物」を6つ、天皇の朝食用として毎朝献上しているそうだ。天皇は、その内の2つを召し上がっているとのことである。


 北面の武士の家柄とは言え、商人に鞍替えしてから間もなく、困窮した朝廷のために、毎朝の食事を届けるなど、そう簡単に出来ることでは無い。まだ本業も安定していないだろうに、忠義に厚いと言うべきだろうか。

 故に、祖父は信の置ける商人として、幼子の私に紹介する様、家礼に命じたのだろう。

 問題は、渡辺四郎左衛門が幼子の私に協力してくれるかどうかである。



 渡辺四郎左衛門が近衞邸に来訪したとの報せを傅役から告げられる。私は傅役と共に、渡辺四郎左衛門が待たされている部屋へと赴く。

 部屋に入ると、私の入室を告げられていたのか、渡辺四郎左衛門が頭を垂れて待っていた。顔はよく見えないものの、元武士と言うだけあって、身体付きはしっかりとしている様だ。


「渡辺四郎左衛門、面を上げよ」


 傅役が渡辺四郎左衛門に声をかけ、彼は漸く頭を上げる。顔付きは思っていたほど鋭さは感じず、商人に向いていると言えば向いているのだろう。


「渡辺四郎左衛門にございます」


 渡辺四郎左衛門は名乗りを上げ、そのまま挨拶の言葉を述べる。声は低いものの、商売をやっているからか重厚感を感じさせない様な話し方だ。

 傅役が私のことを紹介する。傅役は私と渡辺四郎左衛門の間で、直接は言葉を交わさせないつもりが無いのだろう。

 しかし、傅役には渡辺四郎左衛門を呼んだ理由の細部を伝えていない。

 私は傅役に合図をし、直接話しかけることにする。傅役は顔を顰めたものの、応じざるを得なかった。


「渡辺四郎左衛門、よう参った」


 私は渡辺四郎左衛門に労いの言葉をかけると、彼は少し驚いた様子で、目を見開く。


「私が其方を呼んだのは、商人を紹介してもらいたいからじゃ」


 私が渡辺四郎左衛門を呼んだ理由を述べ、その後に詳細を語っていくと、渡辺四郎左衛門は困惑を隠せずにいた。

 詳細については、軽粉や鉛白では無い白粉を作りたいこと。それを販売するために後継者のいない小さめの商家を紹介して欲しいこと。その商家を近衞家の傘下に収めたいことなどだ。


「若様、恐れながら……」


 私が語ったことについて、本業の商人である渡辺四郎左衛門から、様々な提言が上がる。

 白粉は、産地である伊勢のが有名だが「白粉座」があるので、仮に軽粉で無い白粉を売るにしても、白粉などを取り扱っている商家が良いこと。また、白粉座の影響がなるべく少ない小さな商家が望ましいとのことだ。

 小さな商家ほど、近衞家と言う後ろ盾を欲しがるから、傘下に入るだろうとのことで、無理に後継者のいない商家を探す必要は無いと言う。

 天花粉の白粉の生産についても、加工する者を引き抜くなりすれば容易だが、白粉としては高く付くので、近衞家御用と言うブランドが必要になるとのことだ。

 考え方に多少の相違があったものの、概ねは私の考えと同じであり、商人である渡辺四郎左衛門の考えを尊重することにした。


 近衞家の子息とは言え幼子の私の話を真面に聞いてくれた渡辺四郎左衛門は、大層人の出来た人物であろう。里内裏に出入りしているだけあり、礼儀正しい。

 私の希望に沿った形で、出来ることはやってくれるとの言質を得ることが叶った。


 渡辺四郎左衛門に協力してくれる礼を述べ、見返りに何が欲しいか問うた。


「滅相もございませぬ。まだ、当方は何も成しておりませぬ故。ですが、叶うことならば、近衞家に出入りさせていただきとうございます」


 渡辺四郎左衛門は、まだ何も成していないのに礼は受け取れないと言う。しかし、出来ることならば、このまま近衞家に出入りさせてもらいたい商いをさせて欲しいとのことであった。近衞家に出入りさせてもらうことで、箔が付くと考えている様だ。


「相分かった。祖父と父に進言してみよう。其方が私の願いを叶えてくれたあかつきには、それに相応しい物を贈ろうぞ」


 こうして、渡辺四郎左衛門との会談を終えることとなった。渡辺四郎左衛門は、なるべく私の意向に沿う形で、事を進めてくれると約束してくれたのだ。

 近衞家の荘園でキカラスウリを栽培するのは今年からなので、栝楼根を収穫出来るまで、まだ時間がかかるだろう。急いでいる訳では無いが、渡辺四郎左衛門の働きを期待したい。

 今回、私が得た最大の成果は、渡辺四郎左衛門と言う協力者を獲得したことだろう。渡辺四郎左衛門が土産に持ってきた餅を頬張りながら、そんなことを思うのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る