第9話 近衞親子の遣り取りー弐(近衞尚通視点)
○ 近衞尚通
稙家と白粉についての話を終え、私は多幸丸の行く末について稙家と話をすることにした。
多幸丸と話した時は、白粉と天花粉の話から、荘園で栝楼根を育てる話や商家を傘下に収める話など埓外の話に進んでしまったため、私も疲れてしまったのだ。
多幸丸が武士になりたいだと思ってもみないことを言われて、戸惑ってしまった。また、公家から武家になった例などを挙げ、私も多幸丸の話に上手く乗せられてしまった気がする。
あの時の私は、正しい考えを出来たとは思えないので、改めて稙家と話すことで、多幸丸の行く末を考えたいと思ったのだ。
稙家が近衞家の当主であり、多幸丸の父親であることから、稙家の考えを重んじ、話し合わねばなるまい。
「多幸丸が武士になりたいと申しおった」
「多幸丸が武士になりたいですと!?」
「如何にも、仏門に入りたくないそうだ。庶子なれば家を継げぬ故、他の者たちの様に仏門に入るしか無いならば、武士になりたいとな」
「仏門に入らぬなら、公家として生きるか、武士になるか。当世では嫡出でさえ分家を成す訳にはいきませぬ。庶子ならば、尚更難しゅうございます。それ故、武士になるしか無いということにございましょうか」
稙家は、私が申した多幸丸が武士になりたたがっていると言う言葉に、驚き困惑している。私とて、言われたときは困惑せざるを得なかったからな。
多幸丸が仏門に入りたくないことや理由を伝えると、稙家も当世の様から、多幸丸が言いたいことに理解を示した様だ。
「多幸丸は土佐国の一條氏や伊予国の西園寺氏を引き合いに出してきてな」
「土佐国の一條氏や伊予国よ西園寺氏は、本家の荘園を預かっているに過ぎませぬ。ただでさえ当家の懐は厳しいのに、多幸丸に分け預けられる荘園などございませぬ」
多幸丸が申した土佐の一條や伊予の西園寺のことを話すと、稙家は私と同じ考えで、多幸丸に預けられる荘園は無いと申した。
「私も同じ考えじゃ。故に稙家と同じ様に諭したところ、次に申したのは、伊勢国司の北畠家や飛騨国司の姉小路家であった」
「伊勢国司の北畠家や飛騨国司の姉小路家は、建武の政や朝廷が北と南に分かれていた世の話にございましょう。朝廷は一つになり、足利公儀の力が衰え、在地の武士たちが力を持つ様になりました。故に当世では叶いますまい」
続いて、多幸丸が述べた伊勢国司の北畠や飛騨国の姉小路について話す。稙家の考えは再び私と同じで、国司としての下向は当世では成せぬと思った様だ。朝廷は一つになり、応仁の乱の後は、在地の武士たちが力を持った故、国司として入るなど、有り得ぬことであろう。
「然り。多幸丸も叶わないと分かっていながら、申したのであろう。私が稙家の言の様に諭した。すると、続いて美濃国の鷹司氏の話を持ち出したのじゃ」
「美濃国の鷹司氏でございますか!?」
私が、多幸丸が申した美濃の鷹司のことを伝えると、稙家も埓外のことであったのか驚く。
「左様。多幸丸としては、その案が狙いであったのであろう。当家の分流である鷹司家の分家として、美濃国の国人となり、美濃守護の土岐家に仕えておる。多幸丸も同じ様に分家を立てることを望んでおるのだろう」
「美濃国の鷹司氏にございますか。他国の守護や有力な国人と縁を持てば、成し得ることにございますな。されど、当家と関わりが深い有力な武家となると限られますぞ」
私が多幸丸の望みが美濃の鷹司の様な分家を成すことなのではないかと伝えると、稙家も成し得るのではないかと言った。しかし、稙家の申す様に、当家と関わりの深い武家は限られる。
「如何にも。当家が関わりが深い守護となると、薩摩国の島津家であろうな。されど、薩摩国・大隅国・日向国の三ヶ国の守護であるとは言え、力は衰え、薩摩国でさえ保てているか疑わしい。更に、島津の三国は貧しい故、知行として与えるのは難しかろう」
「島津も乱や当主の急死で力が衰えておりますからな。それに、薩摩では遠すぎて、分家を成しても、当家の役に立てるとは思いませぬ」
当家が最も関わりの深い守護は、当家の被官である薩摩の島津である。だが、島津が治める地は貧しく、多幸丸に知行を分け与えるなど叶うまい。
稙家の申すとおり、島津は乱や当主の急死で力が衰えておる。加えて、薩摩では畿内から遠過ぎて、当家の役に立つとは思えぬ。
「然り。されど、当家と関わりが深い武家は畿内の武家ばかりじゃ。畿内は争いが絶えぬ故、分家を成しても滅ぼされるだけであろう。それどころか、当家の荘園にまで累が及ぶやもしれぬ」
「畿内の有力な武家となると、細川京兆家でしょうが、当家の分家を成すことを許すとは思えませぬ。叶うとすれば、九條家の様に、京兆家への養子入りかと。京兆家も跡目争いが常なれば、良い案とは思えませぬ」
当家と関わりが深い武家となると、畿内の武家ばかりじゃ。されど、畿内は争乱ばかりだ。
もし、多幸丸が分家を成せたとしても、畿内の争いに巻き込まれるだけであろう。多幸丸が滅びるだけならまだしも、当家の荘園に飛び火して、押領されるおそれもある。
稙家も管領を輩出する細川京兆家が、当家の分家を許すはずが無いと考えておる様だ。
畿内では、九條流が与しておる大内などの西国大名たちと当家が与する公儀で対立しておる。畿内の武家の争いが、摂家で近衞流と九條流が対立にまで響いておるのだ。
そう考えると、畿内に近い地に、当家の戦力として、分家が欲しいのは本音である。
「然り。当家の利となるならば、畿内に近く、当家の力となりそうな良い地となると、かなり限られる。多幸丸が申した鷹司の様に、美濃国が良いのであろうか」
「左様にございますな。されど、美濃国は守護の跡目争いで、昨年から乱が起こっております」
多幸丸が申した美濃の鷹司の様に、美濃国は豊かさや畿内と程よい立地など、当家の分家を作るには望ましい。
されど、美濃国では守護である土岐家の家督争いで乱が起こっている。美濃守護である土岐政房は、次男の頼芸を溺愛しており、長男・頼武の廃嫡を考える様になったのだ。
永正14年(1517年)には戦となり、政房と頼芸は敗れている。
「美濃国は乱が起こっている故に、多幸丸を送り込みやすいやもしれぬ。美濃国ならば、当家も縁がある故な」
「当家に仕える斎藤家は、美濃守護代の斎藤の宗家にございますからな。斎藤家の伝手を辿れば、事と次第によっては、多幸丸を美濃国に送って分家を起こせるやもしれませぬ」
「美濃国は当年も戦が起こりそうであると耳にしておる。美濃国はまだまだ荒れそうである故、長い目で見ていかねばなるまい。多幸丸もまだ幼い故、武家にするかは時をかけて決めねばなるまい」
美濃国には、当家に仕える斎藤家の分流が守護代となっている。このまま、美濃国が乱れておれば、多幸丸が入り込む隙があるやもしれぬ。
まだ、時がある故、急いで決めることは無かろう。
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