第3話 多幸丸の髪置の儀
永正15年(1518年)
私は数え年で3歳になり、吉日に髪置の儀が執り行われた。そして、傅役が付けられることとなったのだ。
髪置の儀とは、子供が3歳の節目に行う儀式で、頭に糸で作った綿白髪を乗せて長寿を祈願する。
平安時代頃から始まった風習であり、赤子は髪を剃って坊主にする習慣であったため、3歳になり髪置きを行い、髪を伸ばし始める様になることは、無事に成長できた証とも言える。今後は髪を伸ばして総角にするのだ。
髪置の儀の際に、頭に綿白髪を乗せるのは、髪が白くなるまで長生きして欲しいと言う願いが込められているらしい。
公家や上級武家では、傅役は3歳〜5歳ぐらいに付けられるのが一般的な様で、3歳になって付けられたのは早い方だと言えるだろう。
家中では年齢の割に賢すぎるとは言われていたものの、髪置の儀が終わっていないのに傅役を付ける訳にはいかないと、今までは付けられていなかったのだ。
3歳になり、髪置の儀を終えたことで、それまでより出来ることの幅が増えたと言うか、自由度が増した。3歳まで生きて、儀式を終えたため、漸く人間として扱われる様になったと言うことだろう。
私の傅役は近衞家に仕える地下家の出身の家僕であった。嫡男であれば半家から傅役が任ぜられるかもしれないが、庶子であるので仕方無いと言えるだろう。
半家の一族とて限りは有るし、生活は豊かとは言えない。近衞家の様に豊かであれば子を多く成すことが叶うが、そんな家の方が少ないのだ。主家の子の数に合わせて、半家が一族を増やすことなど難しいことだろう。
そもそも、近衞家が子を多く成していることがこの時代の非常識であり、多くの公家衆は貧しさ故に子を成せないことの方が多いのである。嫡男一人しか成せず、成長しても早世してしまったため、断絶した家もある有り様だ。
傅役が付いたため、手習いも始まり、手本を用いて仮名の習得が行われた。前世では成人していたので、仮名など既に分かっていたものの、和歌などを用いた手本で覚えなければならなかったことや美しい書体で書かなければならないことなどには難儀することとなる。
しかし、3歳であるので、手習いもそんなに時間をかけられることが無いため、自由に過ごせる時間はそれなりにあった。
屋敷内を許される範囲で走り回ったりなど、可能な鍛錬も怠らない。幼児特有のスイッチが切れた様に寝てしまうのには困ったものだが、身体が幼子なので致し方無いことであった。
手習いにかかる時間も短いため、近衛家では父の姉にあたる近衞殿(後の北条氏綱継室)や2歳年上の慶寿院(後の足利義晴室)など叔母たちの相手をさせられることもある。叔父たちは仏門に入って家を離れているか、勉学に忙しいため、伯母たちの相手をする子供がいないのだ。
祖母の維子は妊娠をしてから、私を構うことは少なくなったが、伯母たちとともに時々見舞っている。今、祖母が孕んでいる子こそ、後に久我家に養子入りする久我晴通だ。
3歳下の叔父ももう間もなく誕生することだろう。伯母はなかなか良縁が無いため、少し寂しそうにしている。だから、兄弟姉妹や甥を構っているのかもしれない。
季父が誕生したならば、私が面倒を見る機会も出てくるだろう。家に残っている叔父は少し歳が離れているし、仏門に入ってしまうだろうからな。
私を構うのは、叔母たちだけで無く、家督を譲った祖父の近衞尚通も暇な時に現れる。傅役からの報告を受けているのだろう。私が手習いなどの覚えも良いからか、祖父の相手をさせられるのだ。
祖父は当代随一の文化人と言っても過言では無く、若い頃に連歌師の宗祇から古今伝授を受けている。
近衞家の当主になってからは、公家、連歌師、武士などに近衞邸を開放し、学問や文芸の普及にも努めていた。父に家督を譲ってからは、更に励む様になり、祖父の来客は多い。
戦国時代と言う呼び名も、祖父の日記が由来となっている。『後法成寺関白記』(近衞尚通公記)と言う日記において、細川政元の死後に跡目を争う細川澄元と細川高国の争いを中国の春秋戦国時代に例え「戦国の世の時の如し」と評したのだ。戦国時代と名付けられたのが祖父の日記からだと思うと、素直に感心してしまう。
そんな祖父の一人語りを聞かさせられたり、手習いで学んだ仮名文字を書かさせられるなどしている。
当代随一の文化人の話を聞けたり、手習いの様子を見られるなど、贅沢なことなのだろうが、文字の美しさなどの指導が煩い時もあるので、あまり嬉しいとは思えない。
前世が成人していたため、現在の歳がの割には賢いせいか、祖父も私の年齢を考慮し忘れている時もあるのだ。前世の感覚を引き継いでいるせいか、祖父の一人語りの時の教養の話は理解出来ないことが多い。
父の近衞稙家は近衞家の当主になって忙しいのか、庶子である私を構うことは殆ど無い。父と見えることすら珍しいぐらいだ。関わりが薄いので、特に父に思うところは無い。子供だったら寂しいと思うことがあるのかもしれないが、前世は父よりも歳上だったのだから、寂しいなんて思いも湧く訳も無かった。
数えで3歳になり、傅役が付いたことで人間として認められ、漸く近衞家の一員となったのだと実感している。
私が自由に出来ることや時間も増えたので、それらを活用して将来に向けて準備していくとしよう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます