第2話 赤子としての日々
近衞多幸丸として生まれたものの、赤子の頃から安穏とした生とは言えなかった。何故なら、私の前世である21世紀の日本とは常識が随分と異なる。そのため、赤子ながらも戸惑うことがあった。
赤子の身であった頃、まだ目が開いておらず、見えないながらも乳母の乳を吸っていた。しかし、目が見える様になると、乳母の乳房にまで白粉が塗られていたのである。
白粉の原料は鉛か水銀だ。そのため、身体には有害である。
そんな有害物質を口に含んでしまっていた訳だが、気付いてしまったからには口にする訳にはいかない。なので、乳母の乳を叩いて、白粉を少しでも払うようにしたのである。最初は戸惑っていた乳母であったが、次第に私が白粉を嫌っていることが分かった様で、乳房に白粉を塗るのは控える様になった。
少し時間がかかったものの、何とか白粉を直接口にしなくて済む様になった。だが、白粉を顔に塗っている乳母の母乳そのものが大丈夫なのか疑問に思ってしまった。
しかし、生きていくために乳母の母乳を飲まないわけにはいかない。早く、普通の食事が出来る様に願う日々であった。
多幸丸に転生してから9ヶ月が経ち、私は舌足らずながらも、言葉を発する様になった。本当はもっと前から話せそうだったものの、前世で赤子が話せるのは早くても9ヶ月と言われていたので、それに合わせたのである。前世で姪っ子が生まれ、いつになったら話せる様になるのかと、兄がソワソワしていたので、ネットで調べたことを思い出してしまう。
身体が未発達なせいか、話し慣れていないからか、当初は舌足らずで単語しか出て来なかったものの、周囲の大人たちに話し掛けている内に、段々と話すのが上手くなっていった。
そして、私が話せる様になったことで、大人たちとコミュニケーションを取れる様になり、大人たちの話を盗み聞きするよりも多くの情報を得ることが出来るようになったのである。
私が話せる様になったことは、屋敷での生活にも変化を齎した。祖母の維子や叔父叔母たちは、早く話せる様になった私を面白がって構う様になったのだ。
そして、祖父の近衞尚通も太政大臣を辞して、家督を父の近衞稙家に譲ると、私に構う時間が増えることとなったのである。
「賢しい子であるな。これなら仏門に入っても立派な僧になれようぞ」
祖父は私の様子を見て、私が仏僧になっても大丈夫だろうと安堵している様だ。私は祖父の発言に驚くものの、叔父たちが仏門に入っていったことなどを聞き及んでいたので、祖父が発した言葉は至極当然のことであるのだろう。
私は長男であるが庶子であるため、近衞家の家督を継ぐことは殆ど有り得ない。正室との間の子でさえ、嫡男以外は仏門に入れられるのが一般的なのだから、庶子である私が仏僧になるのは、この時代の常識なのだろう。
私は仏僧になるつもりは無いし、斎藤正義自身も史実では出家したものの、還俗して斎藤道三の養子になっている。一説には、近衞稙家から道三に頼んで養子にしてもらったと言う話もある。斎藤正義は武芸に長じていたため、近衞家が有する戦力として確保しておきたいと言う思いもあって、有利な条件で引き受けてくれた有力者が斎藤道三なのかもしれない。位置的にも、畿内の争乱に巻き込まれづらいながらも、京からそれほど遠くないので、近衞家にとって都合が良いと言えるだろう。
近衞家と言う後ろ盾を持ちつつ領主になるためには、武芸に長じる必要があるため、成長に伴って鍛錬に励まなければならないだろうな。近衞家に利益を齎す存在として認知されなければ、武士への斡旋はしてくれないだろうし、仏門に入れられるだけだ。
史実通りに生きても、道三に殺されてしまうので、近衞家で過ごす間にも力を付けておかなければならないだろう。
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