幼少期篇
第1話 近衞多幸丸への転生
私の最期の記憶は、真夏の暑い日に倒れ意識を失う直前の記憶だった。
再び目を覚ました時、私は赤ん坊の姿になっていたのだ。そして、私がテレビ番組や大河ドラマに出てくる平安時代の貴族か大名屋敷のようなところであった。
前世では、転生モノや内政チートのラノベなどを好んで読んでいたので、その時の私は転生に違いないと思ったのだ。よくある転生モノで、和風な世界観のファンタジーに違いないと、憧れの異世界転生だと喜んでしまった。周囲の大人たちが話す言葉も日本語であり、わざわざ異世界の言葉を覚えなくて済んだと安堵していたのだ。
しかし、大人たちの会話を聞いていく内に、自分が思っていたのと違う立場であることに気付かされる。私が今いるところは『近衞邸』と呼ばれるところらしい。私は近衞家の子息に生まれ変わってしまった様だ。
近衞家といえば、摂家筆頭の家格であり、天皇に次ぐ貴種であり、名門中の名門である。近衞家は明治維新までは朝廷の中心を担い、戦前には総理大臣の近衛文麿を輩出するなど、政治権力に大きな影響力を有していた。
そんな権門の近衞家に生まれ、この逆行転生はイージーモードだと思っていたけれど、大人たちから漏れる話を聞くに連れ、情勢は思ったより芳しく無いことを聡る。
私は近衞家の次期当主である近衞稙家の長男に生まれ、多幸丸と名付けられた。
近衞家の長男に生まれたから、何れは関白だと思っていた。しかし、私は父の稙家が近衞家に仕える家女房に手を出して孕ませてしまった子であり、庶子になるらしい。長男であるとは言え、庶子に生まれてしまったからには、家督を継ぐのはほぼ難しいと言えるだろう。
父も数え年で15歳とまだ若く、正妻も迎えていない。その正妻との間に子が生まれれば、その子供が近衞家の継承権を持つこととなる。私が近衞家当主になることはほぼほぼ無理であることが分かる。
近衞家当主の長男だと分かった当初は、公家の次期当主として、内政チートしてやろうと思っていたのだ。しかし、私が逆行転生した時代は戦国時代だと言うことが分かると、すんなり諦めることにした。
鎌倉時代以降は、武士が政治権力を握っている。そして、室町時代を経て応仁の乱以降の戦国時代では、武士たちの様に武力を持つ者たちが政治権力を握り、力無き公家たちは朝廷の権威に縋り付きながら、何とか生き抜いていくしかなかった。
応仁の乱の影響で京の都は荒れ果てており、公家たちは困窮に喘いでいる。応仁の乱以前であれば、足利公儀に媚び諂うことで、公家たちも生きていけたが、戦国時代ではそうも行かなくなった。
摂家の近衞家はまだマシな方であり、荘園も押領されたとは言え、それなりに維持している。守護請や地方の武士たちからの付け届けなどを含めれば、公家たちの中では遥かに富んでいるのだ。
しかし、それでもかつて近衞家が栄華を極めた頃の様な贅沢は出来ない状況であった。
近衞家以外の公家たちなどは、摂家であっても困窮する始末であり、足利家と姻戚関係にある日野家などの極一部を除けば、貧困に苦しんでいる。
そんな公家たちにとって厳しい戦国時代に生まれ変わってしまった訳だが、近衞稙家の庶子で多幸丸と言うと思い当たる人物がいた。
前世はそれなりに歴史好きであり、ネット記事でも最近では取り上げられる様になった人物だ。
近衞家の庶子でありながら、『美濃の蝮』と恐れられた斎藤道三の養子になった武将がいる。
その人物の名は『斎籐大納言正義』
斎藤正義は、近衞稙家の庶長子であったが、斎藤道三の養子になり、その後は東美濃に勢力を拡大していった。しかし、配下の久々利頼興に酒宴に誘われて行ったら殺されてしまった悲劇の武将である。
斎藤正義の死は、養父の斎藤道三が仕組んだものと言われており、その理由としては、正義を殺した久々利頼興に対して報復することが無かったからである。正義の居城であった烏峰城は、道三の庶子?である長井道利の領地となった。
斎藤正義が斎藤道三の指示で殺されたのは、正義が勢力を拡大していく上で、意見の対立が生じ、道三の意に沿わなくなっていってしまったからと言われている。美濃国の国盗りを成した道三は、養子である正義の血統が近衞家出身の貴種であることから、自身と対立する美濃国人たちに擁立されて取って代わられるることを恐れて、殺させたらしい。
養父の指示で配下に殺されてしまう人生とは、どうなのかと思うが、今はまだ多幸丸としての人生は何も決まっていない。道三の養子になるのを回避するのも、1つの選択肢である。兎に角、殺されずに何とか生きる道を探すしかない状況だ。
このまま庶子として生きても、分家を立てるか僧侶になるぐらいしか選択肢が無い。公家が荘園を多く持ち、豊かであれば分家も許されるかもしれない。しかし、公家たちが貧しい戦国時代では、分け与える荘園も無いため、分家を認められることの方が少ない。そのため、公家たちは世子以外は寺に入れて僧侶にしてしまうのが一般的だ。
斎藤正義も比叡山の横川恵心院に出家させられたものの、武事を好んだために還俗し、武将になったと言われている。
取り敢えず、公家の名門中の名門の近衞家で得られる知識や教養は、戦国時代でも役に立つはずなので、勉学と鍛錬に励むことにしよう。
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